視覚障害と言っても、障害が分かった年齢や原因となる病気によって悩みや困りごとはさまざまです。
今回は先天性ではなく中途で網膜色素変性症がわかり、今も見えにくさと付き合いながら生活している3人の方に、見えにくさがわかってからやったことや、仕事上での工夫、今後のキャリアなどについてお聞きしました。
プロフィール
田中さん(仮名)
30代男性。3歳で網膜色素変性症が発覚し、20歳で合併症による白内障の手術を行う。現在は弱視。IT企業でカスタマーサポート業務に従事。
佐藤さん(仮名)
40代男性。35歳で網膜色素変性症が発覚し、現在は弱視。デザイン関連業務に従事。
原さん(仮名)
40代女性。44歳で網膜色素変性症が発覚し、現在は弱視。診断前まではWEB制作業務に従事していたが、網膜色素変性症がわかり事務職へ配置転換。
オンライン座談会
ー最初に、疾病を診断された時期について教えていただけますか?
田中さん 僕は3歳のときに網膜色素変性症と診断されましたが、盲学校へは進学せずに普通学級で過ごし、そのまま大学へ進学しました。網膜色素変性症という病気の特性上、突然見えなくなるというよりは見え方が日々変わるので、その都度見えにくさと向き合ってますね。
はじめて見えにくさに直面したのは20歳のときです。白内障が原因で視界全体がかすみ、バイトもできないほどでしたが、手術によって回復しました。就職するときにも一般枠か障害者雇用枠かどちらがいいかで悩みましたね。結局、見え方の変化に対応するためには障害者雇用枠がいいのではと思い、新卒から障害者雇用枠で働いています。7〜8年前からさらに見えづらくなったので通勤時に白杖を使うようになり、3年前から社内でも白杖を使っています。見えにくくなるたび、業務をミスなく進めるためにできる工夫や、どうやって社内に居場所をつくるか考えてきました。
佐藤さん 私は35歳のときに人間ドックで「網膜色素変性症の疑い」と診断されました。どんな疾病かもわからなかったので、インターネットで調べたところ日本網膜色素変性症協会(以下、JRPS)がヒットし、病院を紹介してもらいました。
診断を受けて驚きもありましたが納得の方が大きかったですね。と言うのも、街中でよく人とぶつかっていたので、視野狭窄が原因だとわかって腑に落ちました。一方で、当時は30代でやっと思うように仕事ができはじめた時期だったので悔しさがありました。
原さん 私は44歳のときに健康診断で「網膜色素変性症の疑い」と診断されました。私の叔父も同じ疾病だったため、まず叔父に連絡してJRPSやタートルの会などの視覚障害者支援に関わる団体があることや、障害者手帳や年金の存在を教えてもらいました。
仕事においては当時WEBアプリケーションの開発エンジニアとして働いていて、目を使う仕事だったので、続けられないだろうと思い、すぐに会社へ退職願を出しました。
佐藤さん 視覚障害のある人の仕事というとあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師(通称、「あはき業」)のイメージが強いですが、網膜色素変性症の場合、突然見えなくなるわけではないので仕事選びが難しいですよね。
原さん そうですね。私自身も診断を受けてすぐに「あはき業」をイメージして、資格を取るために「盲学校へ行った方がいいかな?」と思ったのですが、知人から「体力が必要だし向いていないのでは」と言われて考え直しましたね。
田中さん 原さんは前職を退職したあとに職業訓練を受けているんですよね?
原さん はい。障害者手帳を取得していれば、視覚障害者用の職業訓練として音声読み上げソフト(スクリーンリーダー)の使い方などを教えてもらえる制度があるのでおすすめですよ。私は東京都 世田谷区にある視覚障害者就労生涯学習支援センターに通っていました。他にもいくつか職業訓練機関をまわりましたが、この支援センターの先生は生徒の見え方や生活環境に合わせてトレーニング内容を考えてくださってありがたかったです。また、同じ障害の方と出会えたことも励みになりました。みなさん明るくて、前向きで刺激を受けましたね。
田中さん 仲間に出会えると励みになりますよね。ちなみに、僕自身は最近少しずつ見えにくくなっているので、将来的にスクリーンリーダーが必要になるのかなとも考えているんです。
原さん 職業訓練は在職中でも受けられるようなので、もし必要になったら受けてみてもいいかもしれないですね。東京都は、東京しごと財団がジョブコーチ支援事業というもので在職者向けの職業訓練を提供しているようです。
ー仕事上での困りごとや対処としてやっている工夫などがあったら教えてください。
田中さん PC作業中は眼鏡をかけて、内蔵の拡大鏡を使って作業しているだけで特別なツールは使用していないです。紙の資料を読むときにたまにルーペを使いますかね。視野が狭くてマウスポインターをすぐ見失ってしまうので、なるべくマウスを使わずに作業するためショートカットキーを覚えています。
佐藤さん 私も田中さんと同じようにマウスポインターを見失うことがあって困っていたのですが、解決策を見つけたんです! それがイラスト制作や画像編集のときに使うペンタブレット。手元のタブレット上に自分がペンを置くと、その場所にPC画面上もマウスが来るので見失わなくて済むんです。
田中さん ペンタブレットいいですね! 買おうかな。
原さん 私もみなさんと同じようにマウスポインターを見失いやすいので、マウスポインター自体を大きく表示していますね。あとは、ダークモードにすると見えやすいので設定を変えたり、遮光メガネをつけることで目の疲れを低減するようにはしています。
ー病気がわかってからどんなコミュニティにアクセスしましたか?
原さん 私の場合は同じ病気のある叔父や職業訓練校で出会った仲間など、実際に会った人から得る情報もありましたが、LINEのオープンチャットで「網膜色素変性症コミュニティ」に参加すると、そこで病気に関する情報が得られました。オープンチャットはいろんなコミュニティがあって、他にも、VoiceOver コミュニティー、視覚障害情報交換所、視覚障害者の事務職情報交換室などもあります。
佐藤さん 僕も原さんに教えてもらって網膜色素変性症コミュニティのオープンチャットに入りました。病気や福祉サービスに関する情報が入ってくるのは便利ですね。
インターネットを通して情報を得られるようになっていますが、僕自身は今よりも見えにくくなったときの歩き方や生活の仕方など、もっとリアルな情報が知りたいと思っていました。そう考えたときに視覚障害のある人と友だちになれたらいいだろうなと思って、ブラインドサッカーをはじめたんです。ただ、実際に体験会に行ってみたらこの競技自体にハマってしまって(笑)自主練チームをつくるほど熱中しましたね。競技も楽しみながら、自然と障害に関する情報が入ってくる環境をつくることができたのはよかったと思います。
田中さん 僕の場合は見え方がゆっくりと変わっていったということもあって、情報収集を一気にやったということはないんですが、「viwa」という当事者団体や眼科医 三宅琢先生のGIFT HANDSというiPhoneやiPadの操作コミュニティを使うコミュニティに入っていたりしましたね。
ー最後に、同じように中途で見えにくくなった方へ伝えたいことや、ご自身のキャリアについて教えてください。
原さん 私は網膜色素変性症がわかってからオンライン・オフラインともにいろんな場所へ行って情報収集をしました。先ほど話していた職業訓練校の他にも、東京都 新宿区にある東京視覚障害生活支援センターで白杖の選び方や使い方を教えてもらったり、埼玉県 所沢市の国立障害者リハビリテーションセンターで視野検査をしてもらったりもしましたね。診断されてから不安で落ち込むこともありましたが、とにかく足を動かしてみると人との出会いなどもあり前向きになれることも多かったです。今は、オンラインで開催しているイベントや相談会などもあって、全国各地の方とのお話もできるのも良いですね。
佐藤さん 私から伝えられることはなくて、むしろ教えてもらいたいくらいですよ(笑)
私自身のキャリアについて話すと、仕事と生活のことはときどき考え込んでしまいます。子どももいるので経済的には今の仕事を続けた方がいいと思いつつ、目が見えなくなったときにできる仕事へ転職した方がいいのだろうかと迷っていました。ただ、僕一人が今の働き方だけで家庭を支えるには限界があるなとも感じて、もう少し柔軟に考えてみようと思ったんです。たとえば、目が見えなくなったら妻が働いて私が家族をサポートするとか、収入が少なくなったときを見越して資産運用をするとか、副業先を見つけて収入源をいくつかに分散させるとか、いろんな選択肢があるはずですよね。実際に今は、私が土日の炊事を担当するようになったんです。
一方で、見えるうちにやっておきたいこともあります。私はアートが好きなので見える間にたくさんみていきたいなと思っています。
田中さん ここにいる佐藤さんや原さんのように、見えなくなっても前向きな人たちに励まされてきたので、僕自身もなるべく前を向いていようと思っています。実は現在の部署へ異動したのは自分が望んだからではなくて、見えにくさが起因して望まない異動したんですね。そのとき落ち込まなかったわけではないのですが、腐らずに職場に適応することを意識してやってきたことで周りの方にも認めてもらえるようになり、今はチームリーダーをやっています。
また私の場合は、網膜色素変性症という進行性の難病のため、何年かに一回カクンカクンと見えにくくなりますよね。そのたびに、料理をするとか電車の乗り降りをするとか小さなことであっても、前にできたことをやろうとすると何かしら工夫が必要になります。そうしたときに「できない」と思わずに、工夫をし続けるようにしています。それに自分がやってきた工夫はどこかで誰かの役に立つこともあります。前向きさと環境へ適応すること、そして工夫を忘れなければなんとかなるんじゃないかと思います。