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ストーリー

セネガルから「障害」のない世界を目指す日本人。「ここに自分の挑戦したいことがある」(前編)

木陰で松尾さんがセネガルの仲間と一緒に笑顔で話をしている画像。
記事内写真提供:松尾雄大さん

 

セネガルで障害者に関わる団体を立ち上げた松尾雄大(まつおゆうだい)さん。

2020年にWITH PEERを創設し、22年からセネガルで共同代表兼現地プロジェクトリーダーとしてパラスポーツを通した障害のない社会の実現を目指しています。活動のきっかけは2018年、2人のセネガル人との出会いでした。

不安定な世界情勢の中、異国の地での大きな志を持った取り組みを2回に分けてご紹介します。

前編では、団体のビジョンや活動の概要、海外に興味を持った大学時代のエピソード、セネガルでの障害者を取り巻く現状をお伝えします。

基本情報

松尾雄大さん 略歴

1992年福岡県生まれ。長崎大学教育学部卒業後、独立行政法人国際協力機構(以下、JICA)の青年海外協力隊(職種:小学校教育)としてセネガルで2年間活動する。その後、日本ブラインドサッカー協会職員を経て、2020年4月に「WITH PEER」を共同で創設し、2022年2月よりセネガルで活動を行う。

セネガルってどんな国?

セネガルはアフリカ大陸最西端に位置する活気ある街並みと文化的な香りが漂う国。人口1630万人で首都はダカール。国の産業は1位が漁業で2位が観光です。日本からセネガルへの直行便の平均所要時間は約33時間、時差はマイナス9時間。

参考:ファイブスタークラブ(外部リンク)

アフリカのセネガルを示した画像。アフリカ大陸の西の端にある。

インタビュー

ビジョンの実現に向けた3つの軸

ー松尾さんの立ち上げた団体「WITH PEER」について教えてください。
私たちは「スポーツを通じ『障害』なき世界の実現に寄与する」というビジョンを掲げてセネガルで活動をしています。ミッションは、社会が作っている「障害(Disability)」に挑む人をつくることと、共生できるコミュニティをつくることです。


ー具体的にはどのような活動をしているのですか?
2つの軸があります。1つ目の軸は、パラスポーツの普及です。主な競技は、ブラインドサッカーと車いすバスケです。具体的には、各地域での定期的な練習や大会の開催、代表チームの強化、学校への普及などを進めているところです。2つ目の軸は、地域のコミュニティを作っていくことです。こちらは、ボッチャという競技を中心に取り組んでいます。機能的な障害の有無に関わらず、地域の人々が共生できる環境をつくっていきたいと考えています。

セネガルで車椅子の人や肢体不自由の人が一緒にボッチャを行っている画像。
機能的な障害の有無や年齢、性別によらず、一緒にボッチャを行う様子

ースポーツとコミュニティというテーマがあるのですね。
この2つに加えて、現地に来て気づいたもう1つの大きな軸が、就労です。セネガルでは障害者の就労に関して様々な問題があります。目が見えない、足が不自由、ということを強みとして活かせるような仕事を作りたいです。就労は大きな問題だと感じているので、2つの軸と合わせて、今後取り組んでいく予定です。


ー他に一緒に活動しているメンバーはいるのでしょうか?
私と共に共同代表をしている左近に加え、協力してくれる心強い仲間が数名います。今後、日本の車いすバスケットボールやブラインドサッカーの選手にも、現地にお越しいただく予定です。私たちは、団体名に「WITH PEER」と名付けたように障害当事者と一緒に活動することを一番大切にしています。日本の障害者にセネガルに来てもらい、現地の障害者との対話の中で、その人自身が障害者として経験してきたあらゆることを共有してもらいたいです。そうした出会いが現地の人にとってロールモデルになると考えています。もちろん、セネガルのパラスポーツの選手とも連携しながら、障害当事者が主体となって進めています。


ー共同創設者はどのような方なのですか?
共同創設者の左近浩太郎は、私と同様にセネガルで青年海外協力隊として活動していました。当時から教育系隊員によるプロジェクトなどで一緒に企画・運営をやっていました。任期終了後はJICAの青年海外協力隊事務局というところで、開発途上国における体育・スポーツ分野の情報収集・支援、障害当事者派遣の調査、「スポーツと開発」事業の担当をされていました。


ー活動資金はどのようにまかなっているのですか?

今はいくつかの助成団体からの支援の下で活動しています。今年の後半からはJICA基金も活用する予定です。資金面での課題は、自分たちの事業から活動資金を生むことです。従来は2つの軸を進めるために、活動に賛同してくださる皆様や協賛企業様からのご寄付やを中心に考えていました。ですが、これだけでは限界があります。また3つ目の軸である障害者の「就労」という観点でみると継続性が大事だと考え、障害者の就労につながりつつ、活動資金を生み出せるソーシャルビジネスを検討しています。1年後までには何らか形にする見込みで、現在は調査をしたり、連携先を見つけたり、小さな取り組みを試したりしています。

ブラインドサッカーのドリブルを行う選手を見守る松尾さんの画像。
ブラインドサッカーの練習を見守る松尾さん

海外は大嫌いだったのに…

ー詳しい活動内容はこのあとお伺いするとして、海外で事業を行う松尾さんを駆り立てる行動力の原点は何ですか?
海外に目が向いたのは、大学1年の終わりですね。それまでは私、海外が大嫌いだったんですよ。英語がほんとにできなかったので。試験の結果も散々で、「海外で生活しないからこんなのいらない」とずっと思ってました(笑)
でも、大学1年の時にたまたまウユニ塩湖をテレビで見て、衝撃を受けました。こんな素晴らしい景色を知らないのに、海外は大嫌いと言っていた自分は何なんだろうと。ネットで調べたら世界の絶景が出てきて、これを全部見たいと思ったんですね。そこで、大学を1年間休学して、バックパッカーとして世界1周しました。

ウユニ塩湖に空の青い色が反射している幻想的な風景の画像。中心に人が一人小さく写っている。
ウユニ塩湖のイメージ画像

ーすごい行動力です。印象に残った国はありますか?
イスラエルですね。自分の中でのギャップの大きさに気づきました。テレビで見ていたイスラエルは、テロや宗教弾圧というイメージだったのですが、実際に現地で得たものは違いました。人はとても優しいし、きれいな街ですし、エルサレムに宗教の聖地が集まっているというのも魅力的でした。現地の人と話をする中で、「アパルトヘイト・ウォールで分断されてるというのは国がやってることで、本当は皆と仲良くしたいんだよね」という話を聞いたときに、自分の中でのギャップが一気に埋まりました。


ー大学卒業後は、どのような進路に進んだのですか?

大学の専攻が教育学部だったので、バックパッカーで世界中の子どもたちと接したあと、海外の教育に関する仕事を探しました。そこで、青年海外協力隊に応募し、セネガルに派遣されることになりました。2年間の活動を終えると、日本ブラインドサッカー協会に就職して、国内外での普及活動などを行いました。その後、2020年4月に今の団体を共同で立ち上げ、コロナ禍でオンライン中心に活動してきました。そして、今年(2022年)2月に退職してWITH PEERの現地プロジェクトを開始するために、セネガルに渡航しました。

松尾さんが日本の人工芝のフットサル場で笑顔で映っている画像。
日本ブラインドサッカー協会で勤務していた時の松尾さん

ー松尾さんはなぜパラスポーツに関わるようになったのですか?
2018年5⽉、青年海外協力隊の隊員としてセネガルでブラインドサッカーのイベントに参加しました。「スポーツと開発」の一プログラムに他の協力隊員と共に参加し、プログラムの一部を企画・運営しました。そこで視覚障害者やパラスポーツと出会い、本格的に関わるきっかけになりました。


ーパラスポーツの魅力に気づいたきっかけは何かありましたか?
何なのか、自分でも不思議なのですが…。ずっとパラリンピックという言葉は知っていたものの、興味はありませんでした。私自身、学生時代にサッカーをやっていたのですが、障害者とスポーツを結びつけることができていませんでした。そんな私が、セネガルでブラインドサッカーのイベントを行ったとき、初めてパラスポーツを体験し、自分事化したことが大きなきっかけでした。


ー自分事化したことで、どのような気持ちの変化があったのでしょうか。
これまで障害者の友達がいたわけでもないので、街の中で障害者が困ってるというような話を聞いても、何とも思っていませんでした。でも、ブラインドサッカーに出会い、視覚障害者の友達ができて、日常的に話すようになったとき、初めて自分の経験と結びついたのです。ここに自分の挑戦したいことがあると感じました。


ーセネガルで活動するのには理由があるのですか?

イベントでの、2人のセネガル人との出会いがあったからです。
一人目は、アリさんです。アリさんは、「スポーツは視覚障害者の才能を開花させて、機能障害の有無なく社会に溶け込むことができる⼒がある」という思いで、セネガルでブラインドサッカーチームを立ち上げていました。二人目は、ブラインドサッカーチームのキャプテンで視覚障害者のハディムさんです。ハディムさんは、視覚障害者の失業や社会からの排除をなくすため、ブラインドサッカーの大会を全国で開催したいと話してくれました。この2人との出会いがきっかけとなり、セネガルで活動することを決めました。

松尾さんの右にアリさん、左にハディムさんが並び、肩を組んで笑顔で記念撮影している画像。
アリさん(左)とハディムさん(右)

ーコロナ禍での渡航は、大変だったのではないですか?
はい、実は今回の渡航は3度目の正直です。2020年4月と2021年2月に、渡航して現地で活動を始める予定で準備していたのですが、いずれも新型コロナウイルスの影響で延期になりました。
その間もアリさんとは連絡を取り続けていました。アリさんは「3年前にユーダイとイベントをやった。ユーダイは⽇本に帰ってもセネガルのことをずっと考えてくれて、2年前からセネガル渡航を計画してくれていた。コロナで延期になったが、それでも来てくれた。アフリカにはたくさんの国がある中でセネガルを選んで、こうして⼀緒に活動できることが嬉しい」と、現地のパートナーにも私のことを伝えていただいていたようです。

セネガルの現状

ーパラスポーツの中でもブラインドサッカーと車いすバスケットボールが中心なのは理由があるのですか?
2013年の国勢調査の結果なので現在は多少変化しているかもしれませんが、セネガル国内の障害者は全体で80万人いると言われています。そのうち、視覚障害者が20万人、肢体不自由者が20万人で、その2つが障害者の約半分を占めています。そこで、まずはこの人々ができるスポーツが望ましいこと。第二に、セネガルではサッカーやバスケが人気であること。第三に、この2つの競技はどちらも機能的な障害の有無によらず一緒にできるスポーツであること。これらを鑑みてまずは、ブラインドサッカーと車いすバスケットボールでアプローチすることにしました。

車椅子バスケットボールで、選手がシュートを打っている画像。
車いすバスケットボールの練習風景

ーセネガルでのブラインドサッカーの競技人口はどのくらいですか?
視覚障害者は20万人いるのですが、競技人口は60人くらいです。2015年に開催されたのが最後の国内大会で、国内での認知度は低いのが現状です。


ーセネガルはサッカーの強豪国として有名だと思うのですが、それでもブラインドサッカーは広まらないのですね。原因は何なのでしょうか?

セネガルには国立の盲学校が1校だけあります。国内の各地域から集まった200人弱の児童・生徒が在籍しており、授業などでブラインドサッカーに触れる機会があります。しかし、この盲学校で一生懸命ブラインドサッカーに励んでいた生徒たちのうち、盲学校を卒業後にフランスへ留学する生徒も多いので、国内に選手が残らないのです


ーなぜ卒業後、フランスに行くのですか?

盲学校関係者によると、主な理由は、仕事があることと大学でしっかり勉強できること、あとは社会保障が整っていると言われています。逆に言えば、セネガルにはそれらが十分ではないのです。フランスに渡航してからブラインドサッカーを続けている視覚障害者は多いですが、セネガル国内での普及や強化がなかなか進まないのにはこういう背景があります。


ー様々な社会的背景が関連しているのですね。

フランスに行く視覚障害者にもセネガルに家族や友達がいるので、できることなら残れればいいのかもしれません。しかし、「家族を養うためにお金を稼がないといけない。仕事は大事だ」という声を聞きます。現地の障害者にとって、経済的に自立できるようになることがとても大切であるからこそ、私たちもスポーツと併せて就労に大きな課題感を持って取り組みたいと考えています。

セネガルの民家の脇で松尾さんが大人3人、子ども1人と一緒に笑顔で立っている画像。
セネガルで出会ったご家族と一緒に記念撮影

後編に続く(近日公開予定)

後編では、セネガルでの視覚障害者の就労の現状や、社会進出を阻む要因、これからのビジョンや日本の皆様へのメッセージをお伝えします。

イベントのご案内

2022年3月26日土曜日、19時から20時30分、セネガルから生中継のオンラインイベントが開催されます。
参加は無料です。

詳細・お申し込みはこちら(外部リンク)

「WITH PEER」のホームページはこちら(外部リンク)