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ストーリー

視覚障害児の子育て論。母親と父親、それぞれの視点から。

写真提供:いずれも百田牧人さん



東京都に住む百田牧人(ももたまきと)さん、佳子(ももたよしこ)さんご夫妻。

牧人さんは保険会社に勤務し、ソーシャルイノベーションの取り組みの一環で、海外の現地パートナーとともに障害者の就労の新しいモデル創発に取り組んでいます。

百田さんご夫妻の長男は未熟児網膜症による視覚障害があり、都内の盲学校に通っています。今回は、牧人さんと佳子さんに視覚障害児の子育てに関するお話を伺いました。

百田佳子さんインタビュー

佳子さんとお子さん2人が電車の前で記念撮影している画像。
列車の前で記念撮影

ーお子さんの見え方や疾患などを教えてください。
長男は、未熟児網膜症による視覚障害があります。見え方は右が光覚弁、左が手動弁程度です。都内の視覚支援学校の小学部に通い、点字で学習しています。次男は晴眼で地元の公立小学校に通っています。


ーなぜ、視覚支援学校を選ばれたのですか?

大きな理由は自宅に近いからです。私は関西出身で、関西では視覚障害児が普通校に通って点字で学習することも珍しくありません。しかし、関東で普通校に通うとなると大変で、そこまでして普通校に通わせたいという気持ちもなかったので、自宅に近い視覚支援学校を選びました。


ー関東と関西では、学校の選択にも違いがあるのですね。

夏休みに地元へ帰省した時に、視覚障害児を支援しているNPO法人のキャンプに参加して親御さんと仲良くなりました。関西では、上の子が晴眼で下の子が視覚障害があると、同じ普通校に行くことも多いという話を聞きます。逆に、盲学校に通うには理由があり、盲学校が合わなければ普通校に転校することもあるようです。


ーそうなのですね。もともとの教育方法の違いもあるのでしょうか。
次男が通う小学校にも特別支援学級がありますが、障害児との交流は、給食や運動会で一緒になればいいというくらいです。
私が通っていた大阪府下の小学校は、特別支援学級にも普通のクラスにも障害児の座席がありました。ある授業で、特別支援学級の児童が紫色で象の絵を描いた時に、「これ、ありかもしれない」と感じました。障害のある子は、うまくおしゃべりができないし勉強も苦手かもしれないけど、特別な感性があるのだろうと思っていました。

蒸気機関車の工場見学で佳子さんとご長男が記念撮影している画像。
蒸気機関車の車庫を見学しました。

ー佳子さんは子育てに関して、どこから情報を得ていますか?
盲学校の教員やママ友からが多いです。長男が幼稚部に入るまでの間に、各盲学校で行っている育児相談に積極的に参加しました。本屋で、他の障害児の育て方の本は置かれていても、視覚障害児の子育てに関する本はほとんどありませんでした。神奈川県内の視覚障害児と保護者が中心になって活動する「ひよこの会」にも所属して、情報をいただいています。


ー幼少期から様々な場所に積極的に参加して情報を得られたのですね。

親子で外に出かけるには、親自身が障害のことを受け入れないといけないのかなと思います。長男が生まれるまで私と夫は大阪で勤務していたのですが、長男が生まれてすぐに夫が東京への転勤が決まりました。東京に来ると、友達はいなくて病院もどこに行けばいいか分かりませんでしたが、家にこもっていても仕方がないので、外に出ていくしかありませんでした。息子が未熟児で生まれたので病院に長く入院しており、その間に看護師やケースワーカーが丁寧にサポートしてくれたことは恵まれていたと思います。


ー今、こういう情報がもっと欲しいということはありますか?
子どもにパソコン使わせたいと思っても、学校からの情報は少なく、福祉施設では高校生以上が対象になるなど、勉強できる機会が少ないと感じます。ブレイルメモなどのIT機器を、早期から学べる環境があればいいなと思っています。


ー佳子さんが子育てをする中で、意識されていることはありますか?

視覚に障害があると選択肢が少なくなってしまいがちなので、できることや興味を持つことは積極的に取り組ませたいと思います。息子は音が鳴るものが好きなので、siri や Google アシスタントをよく使っています。やりすぎて「ご飯だよ」と言っても、やめられないこともありますが(笑)
そのような自分の好きなことが、いずれ強みになればいいなと思います。

お子さん2名がレストランで食事をしている画像。
レストランで美味しい食事を満喫中です。

百田牧人さんインタビュー

ー子育てをする中で夫婦の役割分担はありますか?
昨年は、仕事のため単身でほぼ1年間海外にいたので、何もできていませんでした。帰国後、子どもは母親だけが頑張って育てるものではないという当たり前のことに気付かされました。子育ては楽しいというけど、実際はそんなに甘くないですよね。健常児の子育てでもストレスがかかるのに、障害があるとより一層です。
そんなこともあり、帰国後は家族の食事の半分を担うようになりました。仕事一辺倒ではなく、もっと、家族に貢献したいと思い始めたからです。


ー百田さんが食事を作られるようになって感じたことはありますか?
食育の大事さを感じました。長男の場合は、食べるのが面倒に感じるようです。箸はあまり使いたがらず、フォークをよく使いますが、さつまいもを刺すのも大変で、こぼしてしまうこともあります。私が食事を作ることで、「どういう料理を作れば食べやすいのかな?食事を始める前にどういう説明をしたら楽しく食べてもらえるのかな?」と、多くの気づきがありました。
もし料理をしていなかったら、ここまで考えることはなかったと思います。これまで妻が全ての食事を作って、子どもが食べなかったときにストレスをかけてしまっていたことにも気付きました。僕が作ったご飯を喜んで食べてくれると嬉しいですね。


ー牧人さんが実際に食事を作られたからこその気づきだったのですね。
勉強の教え方も同様です。妻は点字で教えることができますが、私はあまり読めません。妻に代わって勉強を教えるとき、それを逆手に取って「お父さん、点字が読めないから教えて」と言います。子どもにしてみると、今まで親は勉強を教えてくれる存在でした。息子は妻から先生のように教えられていますが、私が「ごめん、俺、点字がわからない」と言うと、息子は「そうか、僕が教えてあげるんだ」という発想の転換になります。夫婦は2人しかいないけど、多様性や違いがあるので、いろんなものを感じ取ってもらえるといいかなと思います。

自宅で長男が点字で勉強している途中、次男と佳子さんの3人がカメラ目線で映っている画像。
点字を使って勉強中です。

ーご長男が生まれたタイミングで、東京に転勤になったとのことです。当時のことをお話いただけますか?
ちょうど10年前です。当初の出産予定よりも3ヶ月早く、2月に604gの未熟児で生まれました。NICUという集中治療室で、生きるか死ぬかの境目をさまよっていていました。妻は今でこそ元気にしていますが、当時は産後のストレスも含めて、とてもショックを感じていました。その1か月後に、私が東京に転勤するという内示が出ました。引越しなどの準備も必要で、大変な時期でした。息子は、5月まで集中治療室を出られませんでした。幸い、一命を取り留めた矢先に、未熟児網膜症で目が見えないということが分かりました。当時は、ショックも大きかったのですが、少しずつ「どうやってこれから育てていくか」という方向に考えられるようになりました。10月から妻と子どもが東京に来て、一緒に住み始めました。


ーショックがあった中で、「どうやってこれから育てていくか」を考えられるようになったきっかけはあったのですか?
子どものころ、視覚障害の友達はいましたが、周りに視覚障害者がいなかったので「どう育てたらいいだろう。この子の未来はどうなるのだろう」と、いろんな葛藤がありました。YouTubeで、海外で脳性まひの子どもを一生懸命育てて、彼と一緒にマラソンを走るのが夢だという親の姿を見て、涙しながら「俺もこうして頑張んなきゃ」と思ったこともあります。しかし、当時は圧倒的に視覚障害に関するネットワークが小さかったです。


ーそこから、どのようにつながりを広げていったのですか?
最初にネットワークを広げたのは、妻の方です。視覚障害児の親の集まりや、視覚支援学校のコミュニティに参加していました。妻は関西出身なので、こちらにつてがなくて寂しかったと思いますが、親御さんとのつながりができてきました。
障害を持った子供たちも参加できるインクルーシブなこども合唱団も妻が見つけました。私は、子どもが生まれてから7年間くらいは障害のこととは関係ない保険の仕事をしていました。新規事業開発チームに参画し、保険の周辺領域も含めたソーシャルイノベーションに取り組むという観点から、社会課題の1つである障害のある方の就労のあり方を変えていく取り組みのトライアルを立ち上げました。そこから視覚障害者にも出会い、私のネットワークが広がったのはここ数年です。

飛行機の運転席に家族4人で座って記念撮影している画像。
家族旅行にて、4人で記念撮影。

ーこども合唱団に参加されてよかったことはありますか?
彼が社会参加する大切な場ができたことです。これまでは家庭と学校の往復で非常に狭いコミュニティで生活していました。コミュニケーションも得意ではなく、どちらかというと自分の世界に入りがちです。
最初はいやがっていましたが、だんだん先生や友達と打ち解けて、今はzoomで参加するのが楽しみで仕方ないようです。以前に比べて社交的になってきて、大勢の前で面白いことを言うなど、今まで見たことのない姿を見せてくれます。さらに、自分の好きな音楽が上手になっていくという好きなことに没頭する機会ができていることもいいなと思っています。


ー子育ての中で大変なことはどのようなことですか?

長男は話し始めるまでに少し時間がかかりました。コミュニケーションを取り始めたころ、見えないことによって自分がしてほしいことを主張するのが難しかったと思います。子どもは言葉も発せられず、親が何をやっても泣きやまずにイライラしてしまうこともありました。次男が生まれて夜泣きをするとダブルパンチで、妻にもストレスがかかっていましたし、私自身もどういう風にすればいいか分からずにもどかしかったです。
「できるだけ視覚障害児には外界の情報を言葉で伝えましょう」と教わって、一生懸命色んなことを説明しても無反応だったり、「きれいな花があるよ」と言うと自分の鼻を触ることもありました。
1つ1つ教えるということが大変で、妻が一身に受けてずっと子どもと向き合う場面が多かったと思います。そういうことに気づいてあげられなかったと反省しています。夫婦で協力することが大切ですね。

1台のアイパッドを兄弟2人が笑顔で操作している画像。
兄弟仲良くiPadを操作しています。

ー障害者雇用に関わる仕事の経験は、子育てにどのように活きていますか?
生まれた直後は、「子どもは目が見えない。だから頑張って育てなければいけない。彼が見えないんだったら、俺が目の代わりになるんだ」という、息子を守る発想でした。でも、それは間違っていることに気がつきました。親の方が早く死ぬのでいつまでも息子の目にはなれません。本当は自立を促さなければいけないことを想像できていませんでした。


ー海外から帰国されて、変化はありましたか?

海外で感じたことは「自立すること」の重要性です。日本は、福祉制度が充実していて素晴らしい反面、ハングリーさが少ないなと感じることもあります。魚を釣ってあげるんじゃなくて、魚の釣り方を教えないといけません。目が見える見えないに関係なくいつかは自立しなければいけないので、息子にたくましさを植え込んでいかないと痛切に感じました。日常的についつい手伝い過ぎてしまうので、海外に行って子どもと離れた期間は、ある意味で息子の自立を促す側面があったかもしれません。


ー物理的に距離ができたことでよかったこともあったのですね。
顕著な例が、海外から半年ぶりに帰ってきたときに息子が一人でご飯を食べれるようになっていたことです。これまでは私が手伝って食事をさせていましたが、よく考えればおせっかいでした。私がいなくなったことで、一人で食事ができるようになっていました。そういう経験が大事なので、私が家にいなかったことは申し訳なかったのですが、これからも自立を促していないといけないと思っています。

雪の中、兄弟が笑顔で記念撮影している画像。
おそろいの防寒着で記念撮影。

ー世界の障害者雇用に関する仕事をされる牧人さんから見て、日本の良い点や課題はどのようなことですか?
海外では、「日本は素晴らしい。日本に住みたい」と言われます。障害者手帳が交付されて、公的サービスが受けられるのはなんて素晴らしいのだと言うのです。東南アジアには、バリアフリーどころか、道がボコボコで車椅子の人が出歩くには危ない場所がたくさんあります。一方、一見してバリアフリーが整備されている都市部では、かえって障害者がサポートを受けられず孤立しやすくなる面があると思います。どんなに点字ブロックが整備されたとしても、視覚障害の方への「何かお困りですか?お手伝いしましょうか?」という声かけはとても重要だと思います。


ー環境が充実することのメリットとデメリット、両面を考えなければいけないのですね。

日本でもインクルーシブ教育の重要性が叫ばれ始めています。障害者といわゆる健常者を分けた教育は効率的な面がある一方、幼少期から両者の間に見えない壁ができてしまい、お互いに交流する機会も少ない状況です。また、日本の障害者には年金制度があり、息子も成人になれば受給できます。ありがたいと思う一方で、海外のそういう制度のない国では「とにかく勉強しよう、どんな形でもいいから稼ごう」というハングリーさがあり、それを支える周りの熱量もすごいです。どちらがいい悪いということではなく、違いとしてありますね。


ー確かにその通りだと思います。
障害者雇用の問題も「社会福祉」と「労働政策」のどちらで捉えるかで全然違います。日本は「社会福祉」として考えており、とにかく雇用の箱を作って最低賃金で働いてもらうという仕組みです。一方、海外の先進国では労働政策として取り組んでいる国も多くあります。障害者を訓練することにコストがかかっても、彼らが自立して稼げるようになれば長い目で見たときに社会にも本人にも有益であるという考え方です。


ー息子さんが就職するころには、日本や世界でどんな職業の選択肢があればいいと思いますか?
マイクロソフトのアクセシビリティ担当責任者の「テクノロジーで地球上のあらゆる人のアクセシビリティを高める」という言葉が印象的です。インターネットにつながっていくことで、地球上のすべての人の人生を充実させるということです。10年後か20年後、いつになるか分からないですが、「アクセシビリティ(利用しやすさ)」と「インクルージョン(包摂性)」が重要だと思います。今、社会の一人ひとりは多様です。高齢者は目が見えにくく、足腰が弱くなり、いわゆる障害をもっている状態と同じです。そういう意味で、息子は高齢者の先輩なのかもしれません。多様な人が社会と関われて、活躍できるのがいい世界観です。そのためにテクノロジーを使うことと、人々のマインドセットが変わっていくことが大事だと思います。

百田まきとさんが海外の障害者雇用に関するイベントでプレゼンしている画像。
海外のイベントで登壇する牧人さん。

ーこれからの子育てで大切にしていきたいことはありますか?
一つ目は、自立を目指すことです。親や先生がいつまでもいるわけではないので、視覚障害があることでの多少の支援は必要でも、自立度を高めていかなければいけません。
二つ目、好きなことを見つけて生きがいにしていくことです。音楽なのか何なのかは彼が見つけることで、やりがいと生きがいを持つことが大事だと思います。
最後は、誰かに貢献する存在になることです。社会の役に立つとまでは言わなくても、誰か個人からありがとうと言われる存在になってほしいです。障害があると助けられることが多くて、自分がありがとうを言ってばかりの立場になりがちです。全ての人はギブ&テイクができる対等の存在だと思うので、そうなるために点字だけではなくて、パソコンスキルなどいろんなことを勉強しなければなりません。


ー視覚障害に限らず、色んな生きづらさを抱える人が生きやすい社会になるために大切なことは何だと思いますか?
多様性をもっと許容することだと思います。日本の歴史で、特に高度経済成長期を紐解くと、「大量生産・大量販売」を目指してきました。均質な労働力を確保するために均質な教育が行われ、個性は重視されていませんでした。今もそのままの教育システムとマインドセットのままです。ノーマルとアブノーマル(普通か普通ではないか)という概念は、産業革命以降にできたと言われています。均質な労働力を確保するために、あなたはできる、あなたはできないと区別する必要があります。
今、変化の激しい時代で創造性が重要になった時に、ノーマルとアブノーマルは多様性の1つとして受け入れて、新しい価値を生み出していかなければいけません。企業も多様なものの見方から色んなニーズがあることを理解して、製品やサービスを作るべきです。私たちがすべきことに置き換えると、多様性をきちんと理解して受け入れることです。普通か変わっているかということではなくて、どちらも全体的に受け入れる社会づくりをしていくことが重要だと思います。


ー最後に、視覚障害者の子育てをされている父親にメッセージがあればお願いします。
学校やこども合唱団で色々な父親を見てきて、母親同士はつながっていきますが、父親同士がつながっていくことは少ないと感じました。父親は、仕事に熱中してやりがいに感じていると、家庭のことを忘れられることがあります。仕事を熱中するのは素晴らしいことですが、家庭から逃げる場になってしまってはいけません。仕事もやるけど子育てを母親任せにせず、アンテナを張っておくことが大切です。自分の知らないところで妻にストレスをかけると、足元から家庭がぐらつてしまいます。そうならないために、バランスよく家庭に向き合ってほしいと思います。これは、私の反省も含めてです(笑)
息子にとって父親は大切な存在なので、子育てに向き合っていく姿勢が大事だと思います。

兄弟2人が写真館で正装して、驚いた表情で写っている画像。
正装姿、かっこよく決まっています。

この記事を書いたライター

Spotlite編集部

Spotlite編集部は、編集長で歩行訓練士の高橋を中心に、視覚障害当事者、同行援護従業者、障害福祉やマイノリティの分野に精通しているライター・編集者などが協力して運営しています。

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