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ストーリー

きっかけはダイエットや友達作り。同行援護を利用してパラクライミングを楽しむ【世界王者・濵ノ上文哉選手】

人工のクライミングウォールを上っている濵ノ上選手。ウォールにはカラフルで大小様々な形のホールドと呼ばれる突起がついている。

2021年度からパラクライミング男子B2クラス日本代表として活躍し、これまで世界選手権を2連覇している濵ノ上文哉選手。今回は、世界の舞台で戦い続ける濵ノ上選手に、同行援護やパラクライミングのこれからについて、率直に語ってもらいました。

濵ノ上文哉(はまのうえ・ふみや)選手プロフィール

1990年2月京都府生まれ。中学2年生の頃に網膜色素変性症の診断を受ける。大学受験をきっかけに2008年に障害者手帳を取得。2018年のパラクライミング世界大会初出場で銅メダルを獲得し、その後2021年・2023年の世界選手権で2連覇を達成。現在はエイト日本技術開発にパラアスリート社員として所属している。みつき利用者。

都心部の歩道で、茶色っぽいシャツを着て白杖を持って立っている濵ノ上選手。

趣味から競技へ、偶然の出会いが世界への一歩に

2016年、26歳の頃に始めました。2013年に関西から東京へ転勤してきて、当時は友達も少なく、何か趣味を見つけたいなと思っていました。それで、登録していた視覚障害者向けのメールマガジンを頼りに、案内されていたイベントにいくつか参加していました。

その中で出会ったのが、クライミングイベントを企画している「NPO法人モンキーマジック」の副代表の方です。「よかったら来てみませんか」と声をかけてもらい、実際に参加してみたのが始まりでした。

もともと、体を動かすこと自体は嫌いではありませんでした。当時は事務職で運動不足も気になっていたので、「ちょうどダイエットにもなるかな」と気軽に始めました。あとは、友達もできそうだな、とも感じていました。

ー偶然のきっかけで始めたところから、現在は日本代表に選ばれ、世界大会にも出場されるまでになりました。競技として本格的に取り組むようになったのは、どんな経緯だったんですか?

最初は月1〜2回イベントに参加する程度でしたが、だんだん回数を増やしていきました。そこで知り合った人たちとプライベートでも登るようになったり、スクールに通って指導者からレッスンを受けたり。大会の半年〜1年前くらいからは、「出るならもうちょっと頑張ろう」と思って、食事を節制したり、自分なりに勉強しながら取り組んだりしていましたね。

当時は、平日は会社員として働きながら、仕事終わりや土日に練習をする生活でした。大会も2年に1回くらいのペースで開催されていたので、有給を使いながら参加していたかたちです。

その後、2022年末にエイト日本技術開発にパラアスリート社員として転職し、今はクライミングに軸足を置いた生活ができるようになっています。

濵ノ上選手とサイトガイドの男性が抱き合って喜んでいる。サイトガイドの男性の服の背中には「JAPAN」の文字と日の丸が見える。
2023年ベルン世界選手権(B2男子)で優勝したときの濵ノ上選手

同行援護との出会いが変えたこと、見えてきた課題

ー同行援護を使い始めたきっかけは?

4~5年ほど前に、知人から「こういう制度があるよ」と教えてもらったのがきっかけです。それまで制度自体もよく知らなくて、「ガイドヘルパー」という単語をうっすらと聞いたことがある程度でした。

制度を知ってからは、知り合いに「よかったら資格を取ってみない?」と声をかけるようになるほど、良い制度だと感じました。実際に資格を取ってくれた人には、いろいろ頼みやすくなりましたね。それまでは善意で手伝ってもらうことが多かったのですが、国の制度として時給が発生することで、お願いする側としての心理的な負担が軽くなったと感じています。

ー同行援護を利用する中での、みつきの印象はどうですか?

みつきさんは全体的に若くて、エネルギーのある印象です。単にヘルパーを派遣するだけではなく、自分たちでイベントを企画していて、当事者のアクティブなお出かけにも対応できるような体制を整えよう、という思いも伝わってきます。

ー同行援護の制度について、感じている課題や望むことはありますか?

僕の場合はクライミングを仕事としているため、「経済活動にかかわる外出には利用できない」という制限がある同行援護は、使えない。クライミングには「サイトガイド」という、競技中にサポートしてくれる役割があるのですが、その方に現地までの移動や現場での誘導も含めてお願いしているのが実情です。同行援護が経済活動の場面にも使え、移動を総合的にサポートする仕組みであればいいな、と感じることはありますね。

また、競技に理解のあるヘルパーが増えたらいいなとも思っています。たとえば「クライミングのガイドができる人」がすぐ見つかるような環境があれば、クライミングに挑戦したい視覚障害当事者にとっては、もっと始めやすくなるはずなので。

パラクライミングのこれから。広がりに必要な観点とは

岩場で赤いクライミングロープを準備している濵ノ上選手。明るい青のヘルメットをかぶり、紺色のTシャツとブルーのボトムス姿。

ーこれからチャレンジしたいことや、達成したい目標はありますか?

私は競技の選手なので、まずは競技でいい結果を出し続けることが一番大事だと思っています。そのうえで、発信や営業のために、今はオフィシャルホームページを作ろうとしています。そこを窓口に、寄付やスポンサーを得ていけたらと構想しています。

体験イベントなど、競技自体の普及についてもこれから考えていきたいのですが、そこに手を取られて競技レベルが下がってしまったら、本末転倒です。バランスを見ながら進めていきたいです。自分自身の競技レベルをまだまだ上げないといけないと思っているので、リソースの99%はそちらに割いていきたいですね。

ーパラクライミングの未来について、考えていることがあればぜひ伺いたいです。

クライミング自体がまだマイナースポーツですし、今は競技人口が少ないので結果を出せている部分もあると思っています。本来は、若い世代がどんどん出てきて活躍していくのが理想です。ただ、金銭面だったり、社会的なハードルがあったりして、それが難しい状況にあるのは、やっぱりもったいないなと感じます。 

それに、クライミングは始めるハードル自体も高いです。見えない状態で高いところに登るというのは、非日常感があり面白くもあるのですが、多くの人にとっては怖さを感じる経験でもあります。ボランティアのスタッフさんがたくさんいるというわけでもないので、自分でコミュニティを見つけたり、一緒に登ってくれる人を探したりする必要もあります。継続するハードルも高いスポーツだと思いますね。

ただ、同行援護を利用すれば、そうしたハードルを下げることができるので、おすすめです。また、競技として取り組む人には、競技を続けるためのインセンティブとして、たとえば仕事になるとか、お金を稼げるとか、そういった要素も重要になってくると思います。

ー競技を広げるために、社会に求めたいことはありますか?

平たく言えば、今の時点で活躍している選手を、社会全体としてもっと評価することだと思います。いわば、「ちやほやする」こと。そうすれば、「自分もやってみたい」と思う人は、自然と増えるはずです。実際にパラリンピックの種目になった競技では、世界的にも選手が増えているのです。

メディアのあり方についても、思うことはあります。東京では改善してきているように思いますが、地方ではまだ「福祉の延長」で障害者が語られる場面が多い印象があります。「助ける側」と「助けられる側」という構図になりがちで、取り上げられ方も、困難な経験を乗り越えて希望を見つけた、といったわかりやすいストーリーが多い気がします。

クライミングは、僕自身「究極の縛りゲー」だと感じていて(笑)。視覚障害のある人が高い壁を登っていく様子を見たら、普通に面白いですよね。そこには、純粋なエンターテインメントとしての魅力もあると思うんです。

街でカジュアルな服装で白杖を持って立っている濵ノ上選手。紫系のTシャツの上に紺地に白の縦ストライプのシャツを羽織っている。ボトムスはベージュ系のチノパン風。靴は白いスニーカー。左耳にピアスが光っている。

写真提供:濵ノ上文哉選手(公式インスタグラム、Facebookより)
編集協力:株式会社ペリュトン

この記事を書いたライター

Spotlite編集部

Spotlite編集部は、編集長で歩行訓練士の高橋を中心に、視覚障害当事者、同行援護従業者、障害福祉やマイノリティの分野に精通しているライター・編集者などが協力して運営しています。

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