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石原純子さんが井上眼科病院でピアサポートを始めてからの10年

青いカーディガンにマスク姿でお話しする石原さん

お茶の水・井上眼科病院の「ロービジョン外来」では、視覚に不便さを感じる方を対象に、ロービジョンケアを行っています。ロービジョンケアとは、「医療的なケアから教育的、職業的、社会的、福祉的、心理的ケアまで、広い範囲にわたる支援」のことです。

元看護師で、網膜色素変性症という視覚障害の当事者である石原純子さんも、ロービジョン外来で働く職員のひとり。今回はそんな石原さんに、これまでの歩みや目が見えにくくなったときのこと、患者さまと接するうえで大切にしていることについてお話を聞きました。

参考:日本眼科医会「ロービジョンケア」(外部リンク)
参考:井上眼科病院 / お茶の水・井上眼科クリニック (東京・御茶ノ水)(外部リンク)

石原純子(いしはら・じゅんこ)さん 略歴

医療法人社団済安堂、井上眼科病院の人事総務部に勤務。元看護師。

第二子出産を機に退職後、子育て中に見え方に違和感をおぼえ受診。網膜色素変性症の診断を受ける。就労移行支援を利用し、デジタルデバイスの利用訓練を受け、2014年7月より現職。視覚障害者のITサポートに関する業務を中心に担当している。

パソコンを前に置き、右手で手ぶりを交えて話す石原さん
石原純子さん

「治らず、やがて見えなくなる」という医師の言葉に絶望

―石原さんが見えにくさに気づいたのはいつ頃でしたか?

第二子の子育て中、なんとなく見え方がおかしいと感じるようになりました。第一子が産まれてしばらくは子育てをしながら看護師として働いていたのですが、第二子出産を機に退職したあとのことでした。試しに眼鏡を作ってみてもすっきり見えず、なぜだろうと思っていました。

子どもにご飯を食べさせるときに口にスプーンを入れられなかったり、テーブルの上の食器に気付かず、倒したり落としたりすることがありました。また、公園に行きちょっと目を離すと、子どもがどこにいるのかすぐには探せないこともありました。

車の運転でも信号の位置が見えにくく、いつも不安でした。隣に乗せている子どもに「今、信号は何色?」と聞いて、運転を続けていた時期もありました。今振り返ると、怖いですよね。でも、当時はものが見えていないわけではなかったので、それがおかしいとは思っていませんでした。

―網膜色素変性症と診断されたきっかけを教えてください。

2005年の1月、朝起きたら飛蚊症(視界にゴミのようなものが見える症状)が出ていて、片目の視界が半分くらい暗くなっていました。「これは大変だ。網膜剥離かもしれない」と思って、近所の眼科に駆け込みました。翌日には大学病院を受診し、様々な検査を受けた結果、「網膜色素変性症」と診断されました。

当時、医師に告げられたのは「治療法がなく治らない。進行し、やがて見えなくなる」ということだけ。絶望しましたね。「えっ、なんで私が?」「これからどうなるんだろう、いつまで自分の目は見えるのだろう」という思いで胸が苦しくなりました。

今接している患者さまも、同じようなことを告知されて泣いている方を見かけます。その姿を見ていると、当時の自分と重なります。でも実際には、ロービジョンケアによって対処できることがたくさんあるのです。眼科医の方々に、今だから言える当事者の思いがあります。「告知とともに、未来に希望を持てる言葉かけをお願いしたい」ということです。それは、長い間苦しい気持ちで、何もできないと感じて過ごす患者さまを少しでも減らせるのではないかと思うからです。

私が診断を受けてから数年間は、生活に追われていて何も考えられなかったです。子どもが小さかったこともありますが、日々のことで精一杯でした。でも、本当はそれ以上に、病気と向き合いたくなかったのだと思います。

再び看護師として働くも、努力ではどうにもならない現実に直面

―その後、暮らしやお仕事はどうされましたか?

やはり仕事を諦められなくて、子どもに手がかからなくなってきたタイミングで、小児科クリニックでパート勤務を始めました。幸いなことに、そこの先生は病気のことも理解して採用してくれました。2010年ぐらいのことです。

実際に働いてみると、自分で思っているよりもできないことがたくさんあると感じました。看護師という仕事は命に直結する仕事のため、ミスは許されません。また、全身状態の観察も大事な仕事になるのですが、以前であれば当たり前にできていたことが、当時の私にはできなくて。日々、自信を失くしていきました。仕事が一人で完結できず、努力や工夫だけではどうにもならないことを突き付けられ、仕事の前日は悩んで眠れませんでした。

そうなると、どんどん精神的に追い込まれていきました。周りの人たちはとても親切だったのですが、「見えない」ことが恥ずかしく、どうしても言えませんでした。専門職としてのプライドもありました。

最終的には、ストレスで起き上がれない状態になり、退職せざるを得なくなりました。その頃には、読み書きも難しくなっていて、以前のように働くことや、サポートなしで生活することはできないと自覚せざるを得なくなりました。ようやく諦めがつき、障害者手帳を取得しました。

院内の廊下を盲導犬の誘導で歩く石原さん
「見えにくさ相談会」で盲導犬との歩行を実践する石原さん

電子機器を使いこなせるようになり、人生が変わった

―障害者手帳を取得して、生活にはどんな変化がありましたか。

最初は何も変わりませんでした。役所で手帳を交付されたときも「こんなサービスを受けられます」と冊子をもらって終わりです。障害について相談できる場所を紹介してもらえる、なんてこともありませんでした。

視覚障害があっても何かできることはないかという一心で、ハローワークに相談に行きました。当時も視覚障害者の就労状況は厳しく、看護師資格があるなら、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、いわゆる「あはき」が有利ではないかと勧められました。しかし、家事育児と資格取得を両立することは難しいと考え、前向きにはなれませんでした。

でも、あるときハローワークで「視覚障害者にパソコンを教えているところが四ツ谷にある」という情報が入ってきたのです。気になってすぐに見学に行ったら、皆さん「本当に目が見えてないのですか⁉」と思うくらい高度なことをしていて、圧倒されました。

私は病気になる前はパソコンが全く使えなくて、できたのはメールとネットショッピングだけ。でも、パソコンを音声のみで操作ができ、白黒反転した画面を見た時に、直感的に「私にもできるかも」と思えて、すぐ訓練に通い始めました。

訓練を受け、できることが急速に増え、新しいことを吸収したいという意欲が高まりました。このころ、iPhoneやiPadも使えるようになり、生活がすごく便利になりました。様々な視覚障害者に会う機会も増え、情報もどんどん入ってくるようになっていきました。

―世界が一気に広がったのですね。

それまではできないことばかりに目がいっていましたが、「あれもできるかもしれない、これもやりたい」と前向きに考えられるようになりました。

視覚障害があっても生き生きとしている人はたくさんいる、と知れたのもよかったです。それまでは、他の視覚障害者の方と出会う機会がなかったのです。出会える場所も知らなかったし、孤独でした。

訓練ではいろんな人と知り合えて、気持ちが共有でき、調理やお化粧の方法など、生活の中で役立つ工夫やアイデアをたくさん聞けました。そんな経験を経て、先々の生活をイメージできるようになりました。

患者さまの気持ちに寄り添うことが最も大切な仕事

―井上眼科病院で働くことになった経緯を聞かせてください。

実際にiPadを使うようになり、便利だな、役に立つなと実感し始めた頃、訓練に通っていたセンターに「井上眼科病院でiPadやiPhoneを使ったカウンセリングができる人を募集している」という求人が舞い込んできました。私もiPadを仕事に使えないかと考えていたので、ぜひ挑戦してみたいと思いました。 それで2014年の7月に入職し、現在まで「ITサポート」という仕事を続けています。

色鮮やかなオレンジとミントグリーンのソファや、丸い形のピンク色の大きなソファーがある井上眼科の待合室。
井上眼科病院の小児の検査診察待合スペース。明るい色合いです。

―具体的には、どのような業務を担当されているのでしょうか。

医師や視能訓練士から依頼のあったロービジョン患者さまに対して、1時間程度の予約制のカウンセリングを行い、そこでiPhoneやiPadを中心にパソコンの簡単な視覚補助機能など、IT機器の使い方をお伝えしています。便利グッズを紹介したり、生活の中で役立つ知恵をシェアしたりすることもあります。

中でも最も大切なのは、ピアカウンセラーとしての役割だと思っています。

見えにくくなると、皆さん今までできていたことができなくなったり、周囲の言動によって傷ついたりと、つらい気持ちを抱えます。そうした患者さまの気持ちに寄り添い、少しでも元気になってもらえるように話を聞いています。

私も当事者なので、つい自分の経験を押し付けてしまいたくなることもあるのですが……。そこはぐっとこらえて時間をかけて患者さまのお話に耳を傾けます。

黒地の床に、白でくっきりと矢印代わりの印がついている廊下
院内の床は、弱視の方が判別しやすいようサインが工夫されています。

―患者さまからはどんな話が挙がりますか?

外出先で躓くことが多くなった、下り階段で怖い思いをすることが増えた、知り合いに会っても自分からコミュニケーションを取れずに気まずい、本や新聞が読めない、パソコンの画面が見えないから仕事の効率が落ち困っている、仕事が続けられるか不安があるといったことが多いです。まずサポートでは、家族状況、普段の生活、どんなことが不便で困っているのか、興味や趣味は何かなどを訊ねます。多岐にわたるお話の中から、患者さまが心を開いてくれる糸口を探りながら話を進めます。決してあせらずタイミングをみながらです。

―最初からIT機器の話をするわけではないのですね。

はい。いろいろな話をしながら、患者さまが関心を持ちそうな話題が掴めたところで、初めて「こういうものも使えますよ」と紹介するようにしています。実際に機器を触ってもらって、簡単な操作をお伝えしてやってみてもらうと、皆さん「わぁ、すごい。こんなことができるんだ」と声を弾ませます。「昔の私みたいだな」と思います。

わかりやすく、簡単にというのがポイントで、まずは「できる」を体感してもらえることを目指しています。

矢印と行く先が書かれた案内板の前に立つ石原さん。
院内を案内してくださった石原さん。

視覚障害があっても、自分の心次第で幸せに生きられる

―ほかに、患者さまとのコミュニケーションで心がけていることはありますか。

「自分のことはなるべく自分でできるようにする」ということを働きかけることです。障害があると、人にお願いする場面が増え、肩身の狭い思いをすることが多いので、自分のやりたいことを自由にできるのは何よりの喜びになると思うのです。ですから、身の回りのことを自分でする方法を一緒に考えることはよくあります。

―患者さまにとっては、石原さんとのお話が安心感や希望に繋がりそうですね。

そう言ってくださる方もいますね。「諦めなくてよかった」という言葉を聞けたときは、やりがいを感じます。

ある患者さまのご家族から、お手紙をいただいたことがありました。「めげるな、何とかなる」というメッセージが伝わり、力をもらったという内容でした。「やった!」と思いました。「私の伝えたかったことは、それそれ!」と、心の中でガッツポーズをしたくなりました。

見えにくくなると「もう何もできなくなるのでは」「楽しいことなんてなくなるのではないか」と暗い気持ちになりますよね。私にもそんな時期がありましたが、希望を持って生きることはできます。自立とは、決して一人きりで頑張ることではありません。頼れる先を増やすことが大切だと言われています。そのうえで、周りのサポートを借り、機器を活用すれば視覚障害があっても自分でできることはたくさんあることを知って欲しいです。これからも、視覚障害があってもあきらめず自分の心次第で幸せに生きられるというメッセージを伝えていきたいですね。

WEBサイト:井上眼科病院 / お茶の水・井上眼科クリニック (東京・御茶ノ水)(外部リンク)

井上眼科病院のロービジョンケアについては、以下のリンク先の記事で詳しくお話をうかがっています。
関心のある方は、ぜひお読みください。
参考:ロービジョンケアとはどんなもの?井上眼科病院の専門職の方々に伺いました | Spotlite(内部リンク)

記事内写真撮影:Spotlite
取材協力:遠藤光太