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ストーリー

「『我が身一つで3人目の人生へ』が私のテーマです」元プロボクサーのマッサージ師 三國文敬さん

三國さんがマッサージのせじゅつを行い、患者さんの腕にテーピングを貼っている画像。

東京都内で、鍼灸マッサージの治療院を開業した三國文敬(みくに ふみのり)さん。

陸上競技にも取り組み、全国各地のマラソン大会に出場しています。

元プロボクサーという異色の経歴を持つ三國さんに、仕事の魅力や陸上競技との出会い、これからの夢を伺いました。

略歴

北海道生まれ。20歳で上京し、歯科技工士や介護施設でホームヘルパーの職に就く。30歳で緑内障を発症し、鍼灸マッサージの資格を取得する。ヘルスキーパーとして企業での勤務を経て、2020年4月から神田みくにマッサージを開業。

三國さんが笑顔でインタビューを受けている画像。

インタビュー

ー三國さんの疾患と見え方について教えてください。
私の疾患は緑内障です。30歳までは晴眼者でしたが、病気を発症してから徐々に進行しました。少しづつ視野が狭くなり、現在の見え方は光覚弁です。


ー30歳で病気を発症した時、1番困ったことは何ですか?

情報が得られなかったことです。視覚障害になった時、「どうやって自立していけばいいか」という知識が全くありませんでした。これからのことを知るにも、障害を持ちながら自分で調べないといけなくて、すぐにバリアフリーな社会にはつながらないのだなと感じました。


ー最初に必要な情報を得るところに、最もバリアがあるのでしょうか。

私の場合はそうでした。最終的には、眼科の先生にしがみつくように、「僕どうしたらいいですか?」と聞くと、「役所の障害福祉課があるよ」と言われました。しかし、障害福祉課で相談したら、一般の専門学校へ行くように勧められてしまいました。そこで、自分で図書館で調べて埼玉県の国立障害者リハビリテーションセンターを知ることができました。その後、鍼灸マッサージの国家資格を取得し、ヘルスキーパーとして民間企業に就職しました。

三國さんがマッサージ室の施術台を整えている画像。

ー休日は伴走者とトレーニングをしているとのことですが、どのような種目が専門なのですか?
陸上競技のトラック競技をメインで行っています。1500mからマラソンまで、様々な種目に出場しています。昨年は、マラソンで年間に約20レースほど出場しました。今は、トラック種目で東京パラリンピックへの出場を目指しています。


ー視覚障害を発症する前から陸上競技をやっていたのですか?
いえ、陸上競技は視覚障害を発症してから始めました。学生時代は野球に打ち込み、北海道出身なのでクロスカントリースキーなどウインタースポーツも経験しています。また、20歳で上京してからはボクシングのプロライセンスも取得しました。


ー三國さんは、元プロボクサーだったのですね。
日中は仕事をして、毎日20時~22時ごろまで練習を行い、その後コンビニや新聞配達のアルバイトをするという生活を続けてボクシングのプロテストに合格することができました。今は試合はできませんが、スポーツセンターにサンドバックがあるのでたまに利用しています。今後、医療が発展して視覚障害が治れば、「ザ・おやじファイト」という30歳以上のオヤジが出場する大会に出たいと思っています。

ボクシンググローブや名前の入ったボクシングパンツを並べて撮影した画像。

ー陸上競技はどのようなきっかけで始めたのですか?
2016年、妻から円周走のことを教えてもらいました。円周走では、グラウンドの中央に杭を打ち、そこから伸びるロープを持って走ります。視覚障害者でも走れるというイメージがなかったので、大きな衝撃を受けました。それからは土日にスポーツセンターに通い、1周100mの円周走を300周、1回30キロ走っていました。


ーすごい距離を走っていたのですね。伴走者と走るようになったのはいつからですか?
円周走を始めてから数か月後、スポーツセンターで知り合った人から、伴走ができるクラブを教えていただきました。それからは伴走者と走るようになりました。また、皇居の周りを白杖を使って1人で歩いている時に、声をかけてくれた方と継続して練習するようになるなど、少しずつ伴走してくれる方が増えていきました。

マラソン大会で伴走者と一緒にゴールする三國さんの画像。

ー走ることの魅力は何ですか?
もともと走ることは苦手だったのですが、伴走者との出会いで世界が広がりました。走っている時は開放感がありますし、白杖を使わなくても移動できることに感動しました。
視覚障害者は、1人で買い物に行けないなど、移動が不便だと思います。それでも、伴走者と一緒に走る中で、途中に買い物に寄ったり、銭湯や食事にも行くことができます。走ることをきっかけに、以前の晴眼者の日常生活に近づけることができ、心からの感謝の気持ちでいっぱいです。


ー三國さんの夢を教えてください。

いつか健常者と障害者が一緒に競技を行う「ドリームオリンピック」ができることを夢見ています。今は、オリンピックとパラリンピックに分かれています。知的障害者が参加する世界大会や、聴覚障害者が出場するデフリンピックもあります。
でも、一緒になって競技をする方が楽しそうです。例えば、マラソンの場合は、車椅子の選手が健常者のレースに混じってもいいと思っています。車椅子マラソンの方が圧倒的にタイムは早いのですが、ルールを工夫して安全に一緒に競技ができればいいですね。

障害者スポーツ大会の表彰式ご、伴走者と一緒に記念撮影する三國さんの画像。

ー三國さんは、この4月から治療院を開業されたとのことです。どのような特色があるのですか?
私自身がスポーツを行っている経験を活かして、スポーツテーピングやアイシングなどをメニューに取り入れました。また、パーソナルトレーニングでは、1人ひとりの希望に合わせて、マラソンでタイムを伸ばすために一緒に公園で走ったり、ケアの方法をお伝えすることができます。自分が現役のランナーであるからこそのサービスを提供したいと思っています。


ー鍼灸マッサージ師のお仕事はいかがですか?

これまでずっと歯科技工士や介護のヘルパーなど専門職に就いてきたので、国家資格を取得して働くけることが嬉しいです。自分が気持ちを込めて施術した後、患者さんに喜んでもらえるととてもやりがいを感じます。

三國さんがマッサージ室で患者さんにせじゅつしている画像。

ー今、視覚障害のことで悩んでいる方に伝えたいことはありますか?
視覚障害者といっても1人の人間ですので、最初は視覚障害者であることを認めたくないという気持ちや悔しい気持ち、落ち込む気持ちなど、人それぞれ色々な悩みがあると思います。私は、周囲の目線が気になり、白杖を使って外に出ることは気が重く、苦手でした。
でも、親切な方々から声をかけていただくことで、少しづつ気持ちが前向きに変わっていきました。1人で外出するのは勇気がいると思うので、ヘルパーさんや伴走者と一緒に少しずつ外に出ると気持ちが前向きに変わっていくと思います。


ー障害の有無によって区別しないというのは日常生活でも同じかもしれませんね。

そうですね。講演などでお話しする時は、『我が身一つで3人目の人生へ』というのが私のテーマです。1人目は晴眼者の時、2人目は中途で視覚障害者になってからマッサージ師として働いている時、3人目は陸上競技を始めてスポーツに取り組むようになった今の自分です。晴眼者も視覚障害者もどちらも経験している私だからこそ伝えられることをこれからも考えていきたいと思っています。

テーピングや針など、マッサージで使用する備品を机の上に並べて撮影した画像。

お問い合わせ

神田みくにマッサージ(外部リンク)

この記事を書いたライター

Spotlite編集部

Spotlite編集部は、編集長で歩行訓練士の高橋を中心に、視覚障害当事者、同行援護従業者、障害福祉やマイノリティの分野に精通しているライター・編集者などが協力して運営しています。

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