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ストーリー

囲碁との偶然の出会いと魅力 一般社団法人日本視覚障害者囲碁協会 代表理事 柿島光晴さん(後編)

囲碁盤を笑顔で掲げる柿島さん

記事の目次

一般社団法人日本視覚障害者囲碁協会の代表理事 柿島光晴(かきじまみつはる)さんは17年程囲碁の普及に携わり、現在はZoomやYoutube等を活用し、更に活動の幅を広げています。後編では囲碁普及活動の今につながる過去のお話しなどをお伝えします。

現在とこれまでの活動についての前編はこちらです。

「今はZoomで囲碁を打っています」 一般社団法人日本視覚障害者囲碁協会 代表理事 柿島光晴さん(前編)|Spotlite(内部リンク)

インタビュー

−そもそも囲碁と出会ったのはたまたまだったのでしょうか?

単純な始まりで、2001年〜2003年までテレビアニメで「ヒカルの碁」が放送されていて、盲学校から帰る時間帯にやっていました。ご飯を食べながら見ていて、その時に視力がなかったので音だけで聞いていました。影響されやすい人間なので、これ面白そうだなと思い、地元の友達と囲碁を覚えて老後に囲碁を打つかという話から、視覚障害者用の碁盤があるかを調べました。アニメを見てても、そんなに細かく囲碁のルールを解説はしていないため、自分も友人もよく分からなかったため、直接地元の碁会所の門を叩きにいくことにしたのですが、素直に視覚障害者と電話口で伝えると断られてしまった。うちは経験者じゃないとダメだよとか、初段以上じゃないとダメ、視覚障害者に教えたことないから無理だという回答が続きました。5、6箇所ある碁会所の中で最後にかけたところのマスターが「面白そうだから来なよ」と誘ってくださって、囲碁の歴史が始まりました。

−私自身も学生時代を振り返るとアニメの影響で何かを始めることってあったなあと思うのですが、柿島さんが全ての碁会所に電話してまで諦めずに始めたかったのは理由があったのでしょうか?

当時お茶の間では19時から「テニスの王子様」で、19時半から「ヒカルの碁」だったので、一歩間違えたらテニスでブーメランスネークとかを打っていたかもしれません。1年、2年ずれていたらアメフトをやっていたかもしれないですね(笑)その頃だったら、視覚障害者アメフト協会を作っていたかもしれませんね。

話がそれましたが、ヒカルの碁の中に名言がいくつかあり、「囲碁は2人で打つんだ」という言葉があって、同じ実力のものが2人いることによって碁の内容がよくなるという意味合いがあります。ちょうど一緒に始めた友人が実力が同じくらいで、その子に勝ちたくて上手くなりたくて勉強したい気持ちにつながっていきました。友達はブックオフで囲碁の本を買って独学で勉強し、気付いたら切磋琢磨してお互いにのめり込んでいく状態が数年続きました。

1つ言えるのは囲碁が僕にあっていたというのもあります。何かをするのにサポートが必要ないんです。スポーツだと点が入った時に審判や見えるひとに頼ることがあるけど、2人だけで打つことができ、見えてても見えなくても関係なく友人と同じ実力だったことも囲碁の魅力と感じました。

囲碁と出会う前にのめり込んでいたことがあったのか、それとも熱中できるものを探していた状態だったのですか?

盲学校で勉強していたのは音楽でした。20歳過ぎた頃から視力が急激に落ちて、その時に何かやろうと思ったのがピアノで、家庭が昔の考え方で女の子は文化系で男の子はスポーツなんだと言われていたので、それまでは剣道をしていました。目の病気のことが分かり、両親も心が寛容になったのか地元のピアノ教室に通い、盲学校にも音楽科があることを知り、ピアノ専攻の科に入りました。

今考えるとピアノの鍵盤が白黒で碁石も白黒で共通点があると思っています(笑)

中国訪問時にひとめぼれした碁石をいれる竹で作られた碁笥(ごけ)
中国訪問時にひとめぼれした碁石をいれる竹で作られた碁笥(ごけ)

一日弾いても飽きないくらいだったのですが、他の生徒の実力がものすごく高くもあり、ピアノで音楽の道に行くことは挫折しました。卒業と同時にすることがなくなってしまったのですが、卒業する2003年に「ヒカルの碁」に出逢ったのがまさに奇跡と思っています。

−囲碁を始めてからだんだん普及したいという想いに至るまでのご自身はどう変化していったのですか?

2002、3年に囲碁を始め、そこそこ囲碁を打てるようになりました。その頃になると一緒に囲碁を始めた友人が囲碁に飽きて辞めてしまい、打つ相手がいなくなってしまったんです。しょうがなく碁会所に通うんですけど、当時使っていた視覚障害用碁盤を持っていくと他の方も囲碁を楽しみたくて来てるからこの碁盤で打ちたくない人もいる。石を打つ音がいいという人もいて囲碁っぽくないって言われてしまうこともありました。そこまで強くもなかったので、初心者と打つの嫌だなという人もいて、マスターが相手を探してくれていた話を横でしているのを聞いて悪い気持ちになって、碁会所に行きにくくなりました。そこでインターネットで発見したのが、日本福祉囲碁協会でした。

そのNPOの活動は老人ホームや碁会所に直接行けない方のところに出前で囲碁を打ちにいくボランティアの団体で、まさに自分の需要と供給にマッチしてすぐに連絡してその方々に碁を打ってもらう環境が整いました。最初の1年は毎週公民館で約束して打っていましたが、ボランティアを受けている側であることがこれまでの碁を打つ時の友人と対等に打っていた状況と違うように感じ始め、1年後にはボランティアを受ける側でなく囲碁を教える側になることもできるのではなと感じ始めました。

そこで2008年に日本福祉囲碁協会に会員として入り、翌年からボランティア活動として教えることを始めました。日本点字図書館でカルチャー講座として囲碁を組み込んでもらい、視覚障害者に囲碁を教える活動がここで始まりました。この頃から囲碁を広めたいという気持ちに移っていったように思います。

真剣な表情で碁石を置く柿島さん
真剣なまなざしで囲碁を打つ柿島さん

−教える立場で感じていることはありますか?

自分が楽しむだけだったら、教えることなく自分がただ打てばいいし、成長していくのも面白いと思うけど、囲碁を打っている時にこの打ち方は誰々に教えてもらった手だなと思い出すことがあって、今でも最初に教えてもらった打ち方が活きていると感じています。

こういう誰かが自分が教えた手をいつか対局してる中で思い出してもらえたら、自分が死んでも僕の手が残っているというのがいいなあと思いました。また囲碁は自分の打った対局を棋譜といって後世に残すことができるのも素敵だと思っています。

−話が脱線するのですが、囲碁の他に好きなものはありますか?

囲碁の傍ら白杖マニアでして、今日持って来たのはグリップが木で出来ているドイツの白杖で、デザイン的にカッコ良くて購入しました。いつか世界の白杖展をしてみたいです。実はプログラムを組んでデータを作ってもらい、オリジナルの木のグリップが作れるようになっています。

白状のグリップを掲げる柿島さん
柿島さんお気に入りの白杖のグリップ

−こだわりは昔からあるんですか?

子供の時は普通にみんなと同じようなものを欲していたので、いつからなんでしょうね。囲碁をやっていると珍しくて写真を撮られる機会が出て来て、同じ服着てるよねとか安い服と言われてしまうのは嫌だなあと思い、プロのスタイリストに頼んで、服を選んでもらうようになりました。外見だけではなくて内面も磨きたいですけどね(笑)

−お話を聞いていて自分だけじゃない人のことも常に考えて行動されているように感じたのですか、どうですか?

その気持ちもあるけれど、逆で自分のことしか考えてないように思います。自分が話しやすくするために相手を意識する。自分の活動が良くなるように身なりをよくする。自分に返ってくる。相手ばかり意識すると自分がどっかにいってしまうと考えています。

囲碁でも相手を意識するよりは自分の碁を打とうという気持ちの方が良い囲碁が打てます。教える時は相手にわかりやすく囲碁が楽しいものだよというイメージを伝えることが大事と考えていて、楽しいと感じてもらった方がまた来てくれると思うので、次に詳しく伝えれば良いかなとも考えていたりします。

−事前に柿島さんがZoomで行っている囲碁番組を拝見し、どんな人も楽しめるように工夫しているように感じたのですが、どんな気持ちで進行しているのですか?

多くの囲碁番組って淡々と対局を観戦するものが多くて、初心者だったらこの番組つまらないなあと思い、自分だったらここに打つなあと言いたいし、視聴者を巻き込みたいという想いがあり、某クイズ番組のネタをお借りして参加型にしています。あといつ初心者が見ても囲碁ってこういうものなんだってわかるようにしておきたい気持ちで作っています。2020年4月半ばから配信を始め、第2回から参加型にしています。

「みらクルTV」 

毎週木曜日にZoomで囲碁とトークを混ぜた生番組を配信

後日録画したものをYoutubeで配信

https://www.youtube.com/channel/UCz1Ol2QWmGWcjyR-gJREW2w

−オンラインツールを活用することでこれまでの囲碁普及との違いは感じていますか?

これまでは目の前の人に集中して囲碁を教えていればよかったけれど、今は不特定多数の方が囲碁を教える様子や対局を見ているので全く知らない人達が見ても楽しめるような気持ちを持っています。良い内容を残すという意識でやっています。

−オンラインツールを駆使していくことでの周りの影響や変化はありましたか?

今まで囲碁から離れていた友達が面白かったよとメールをくれたり、以前囲碁の記事を書いてくださった方にまた記事にしたいというオファーをいただきました。これからは直接教えてない人が僕の囲碁番組をどこかで見て連絡が来ることもある世界かもしれないと予想しています。

−これからやりたいことや夢はありますか?

Zoomと囲碁の可能性が満ち溢れていて、ブレイクアウトルーム機能で個別に対戦相手ごとに部屋を分けてオンラインの囲碁大会が出来たり、距離を越えて世界の様々な方と対戦できます。2021年6月に世界盲学校囲碁大会を企画しています。

以前に韓国、中国、ベトナムの盲学校へは直接訪問してアイゴを寄贈していて繋がりがあるのですが、時差の関係で時間帯などの問題をどうクリアするかが課題です。

2014年の9月から岩手県の大船渡で復興の位置づけとして囲碁イベントを毎年開催しており、碁石海岸という景勝地で囲碁祭りを行っています。第6回から盲学校囲碁大会を組み込んで、視覚障害の生徒が大船渡に集まって囲碁を打つという内容を3回開催し、盲学校の生徒にとって甲子園のような聖地になって、いつか自分も強くなって大船渡に行きたいという場所になったら良いなあと考えています。日本全国の人が大船渡って囲碁の街だよねと思える復興の結果も残せたら良いなと思っています。

−柿島さんが常に後世に残す視点をお持ちで先を見ていらっしゃるように感じたのですが、いかがでしょうか?

囲碁自体が先を読むゲームなので、打ちながら最終的にどんな形にしたいのか意思の張り合いで、常に先を読む脳になってしまっているかもしれません。考える癖がついているとも言えるので自分もいつ何があるか分からないので、視覚障害者の人でもいつでも囲碁が始められる環境を作っておきたいと考えています。ひとりの力ではどうにも出来ないので、周りの力を借りながら、いつでも盤面は変化しているので常に新しい手を打たなければいけないと思っています。この言葉は残しておいてください(笑)

−他に実現できるか分からないけれどもやってみたいことはありますか?

僕の成長は何か作り続ける人だなと最近思うんです。今使っているアイゴの碁盤の更に使いやすいものを作りたい。できるだけ安価で、手に入りやすいもの。視覚障害でなくても見える人にも打ちやすくても良い。障害を超えたもの。

既にアイゴは金型がなくてもプログラミングデータを用いればレーザーカッターで自作することができるので、このデータをオープンソースで世界中にばら撒けば、どこでも碁盤を作れます。物理的なものでなくてもアプリで打つということも手に入りやすいと言えるので、それもいつか開発したいです。

終わりに

インタビュー後もさまざまなお話を語る柿島さん
インタビュー後にご実家の馬肉専門店(柿島屋)へ訪問

終始ユーモアを交えながら、囲碁の魅力やこれまでのことを語る柿島さん。

囲碁を通して距離や垣根を超えて人が対等につながる場を生み出し、新たな視点で囲碁の可能性を広げているように感じました。柿島さんが語ってくださった夢が叶っていくその背中を追いかけて、引き続きお話を聞いてみたいと思います。

お知らせ

2021年5月31日(月)から6月6日(日)まで、オンラインと日本棋院会場を使った「心を繋ぐ囲碁」イベントが開催されます。柿島さん主催の世界盲学校囲碁イベントや講演、その他の企画としてコンサートなども予定されているようなので、よろしければ是非ご参加ください。

「心をつなぐ囲碁」イベントページ(外部リンク)

お問い合わせ

一般社団法人日本視覚障害者囲碁協会 代表理事 柿島光晴さん

WEBサイト: https://aigo.tokyo

メールアドレス:yfa80943@nifty.com

この記事を書いたライター

Spotlite編集部

Spotlite編集部は、編集長で歩行訓練士の高橋を中心に、視覚障害当事者、同行援護従業者、障害福祉やマイノリティの分野に精通しているライター・編集者などが協力して運営しています。

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