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ストーリー

ライバルは同志だった。視覚障害者のやり投げ、3人で目指す世界の舞台。

北京グランプリの表彰式後、若生くんが1人でガッツポーズしている画像

こんにちは、高橋です。元号が変わってはや2か月が経ちました。令和になって最初の記事は、視覚障害者のやり投げに取り組む若生裕太(わこうゆうた)くんでした。

前の記事:元球児のやり投げ奮闘記 ~パラリンピックへの道~

今回はその続編です。
若生くんは今年5月に行われた北京グランプリで日本記録を更新。約1か月後の日本パラ陸上競技大会では、自身の日本記録を約2m更新する54m25cmで優勝しました。

若生くんと同じ視覚障害のF12クラスには、田中司(たなかつかさ)さんと政成晴輝(まさなりはるき)くんという同年代の選手がいます。
田中さんは24歳、若生くんと政成くんは22歳です。

今回は、ライバルに思える3人が切磋琢磨しながら世界の舞台を目指す理由をご紹介します。

3人とも私より年下なのですが、田中さんだけはどうしても自分より年下の気がしないので、田中さん、若生くん、政成くんの略称で進めます。
(田中さん、スミマセン。)

F12クラス 男子やり投げの現状

3人の所属と練習拠点

若生くんは、日本大学の4年生です。普段は主に大学の陸上競技場で練習しています。6月から強化育成指定選手となり、今後の練習環境や就職活動などがいい方向に進めばと思います。

田中さんと政成くんは、民間企業に所属し、会社のサポートを受けながら近隣の大学などで練習しています。

若生くんが東京、田中さんが香川、政成くんが大阪とそれぞれの地元をメインの拠点として活動しています。

日本記録

2016年 51m70cm(田中さん)

2018年 52m17cm(政成くん)

現在   54m25cm(若生くん)

田中さんが2016年に樹立した記録を政成くんが2018年に更新し、現在の日本記録は若生くんが持っています。

同世代の3人が、似たようなレベルでしのぎを削っています。

北京グランプリで記録証を持って記念撮影する若生くん
北京グランプリにて、記録証を手に記念撮影。

3人で切磋琢磨する理由

私は最初、「ライバルが多くて大変だ」「仲良くもできないだろう」と思っていましたが、実際は真逆でした。

お互いの存在を知りながらほとんど話をしたことはなかった3人は、北京グランプリで一気に打ち解け、試合のあと皆で部屋に集まったり帰国後も連絡を取り合っているようです。
それにはいくつか理由があります。

共通点

3人には、たくさんの共通点がありました。

病気

3人とも視覚障害になったのはレーベル遺伝性視神経症という病気が原因です。

野球

中学校3年生の時、田中さんは県内の強豪校に、政成くんは野球留学で県外の甲子園常連校にそれぞれ進学が決まっていたところ、病気を発症しました。
若生くんは高校時代には甲子園に出場経験のある強豪校でキャプテンを務め、大学2年生で病気を発症し、やり投げを始めました。

(田中さん、政成くんのそれぞれの経歴をご紹介するとそれだけで別の記事になりますので、今回は割愛します。)

応援したくなる人柄

3人それぞれキャラクターは違いますが、話をするとやり投げへの情熱と素直さが伝わり、ずっと応援したくなる雰囲気があるのです。

北京のホテルの部屋で、若生くんが田中さんのコーチからやり投げのフォームを教えてもらっている画像
田中さんのコーチに指導を受ける若生くん。役立つことは素直に吸収する。

日本代表の選考方法

3人の仲がいい理由は、それぞれの人柄と「お酒が好き」というもう1つの重要な共通点によるものだと理解していますが、いくばくかは陸上競技における日本代表選手の選考方法も関係しています。

来年の東京パラリンピックの前に、今年の11月、ドバイで「2019世界パラ陸上競技選手権大会(以下、世界パラ陸上)」が開催されます。

この大会で4位までに入った選手は、東京パラリンピックの出場推薦を受けることができる非常に大事な大会です。

世界パラ陸上に出場するための条件は下記の通りです。

  1. 派遣指定記録を突破する

    F12クラス男子やり投げの派遣指定記録は、57m02cm
    日本記録は、54m25cm
    この条件は誰も満たしていません。

  2. 世界ランク4位以内である(2019年7月21日現在:派遣指定記録は適応しない)

    現在の世界ランクは、若生くんの5位が最高です。
    こちらの条件も誰も満たしていません。

  3. 同じクラスで4名以上が条件を満たせば、上位から3名が選ばれる。


チーム競技のように1チームの構成人数が決まっているわけでも、柔道のように階級ごとに枠があるわけでも、日本で1番になれば自動的に日本代表に選ばれるわけでもありません。

世界で戦うためには、自分の記録を伸ばすことに集中する。

これが究極の個人競技に思えるやり投げで、ライバルが同志になる所以です。

派遣指定記録を突破するために

世界パラ陸上の派遣指定記録として公式に認められる大会は残り2回です。

来年の東京パラリンピックの選考につながる大会も、国内ではこの2回だけの可能性が高いそうです。
この1か月弱が東京パラリンピックまでの道のりを決めると言っても過言ではありません。

高松合宿

陸上競技場で田中さんと若生くんが談笑する画像
最終日の練習を終えた直後の田中さんと若生くん

田中さんは、3人の中で競技歴が最も長く、経験や人脈が豊富な選手です。
若生くんの練習環境や就職のことも気にかけてくれています。

今回、田中さんからのお誘いで若生くんは6月25日~28日まで高松で合宿を行い、6月29日の中国・四国パラ陸上競技大会に出場することになりました。
(政成くんは都合が合わず、参加できませんでした。)


私と田中さんの出身地が同じだけでなかなかの偶然だと思うのに、私の実家と田中さんの家は車で5分程度の距離でした。

日本一面積の小さな香川県ですが、ここまで狭かったとは知りませんでした。

余談はさておき、練習の合間に行った高松合宿ならではの活動を2つご紹介します。

小学校での講演

全校生を前に、田中さんがお話をしている画像
田中さんも初めての対談形式。台本なしのアドリブで進んだ。

合宿の全ての練習を終えた後、地元の公立小学校で全校生向けに講演を行いました。田中さんの計らいで、若生くんに加え、視覚障害者に関わる仕事をしているということで私まで登壇することになりました。

児童は、2人が視覚障害になった経緯やパラリンピックを目指す理由などを食い入るように聞き入っていました。
首都圏に集中しがちなパラリンピック選手と実際に交流ができるのは非常に貴重な機会だと思います。

最後には、校長先生から2人へのエールで締めくくっていただき、田中さんと若生くんにも刺激になったようです。
私の小中学校の同級生が先生として勤務しているというサプライズ付きで、人のつながりの大切さも再確認できました。

校長室で、若生くんと田中さんがサイン色紙を持ち、校長先生と記念撮影をしている画像
若生くんは記念すべき初サイン。

レーベル病を発症した高校生のために

さらに田中さんの紹介で、昨年の秋にレーベル病を発症した高校2年生の生徒をサポートしている中野由理(なかのゆり)さんとお会いしました。

生徒本人は現在、小学生の時に習っていた水泳に取り組んでおり、進路を含めてこれからのことを一緒に考えていくそうです。

中野さんは水泳指導員と初級障害者スポーツ指導員の資格を持ち、香川県パラ水泳協会の理事として活動するほか、香川県パラカヌー協会にも所属しています。
香川県で障害者スポーツに携わる同年代として貴重な存在です。

ただでさえ同じような病気の患者が少ない地方だからこそ、色々な専門性を持った人が早期から関わり、多方面から対応していきたいです。

1人用のカヌーに乗っている中野さんの画像
中野さんは27歳。香川県のパラスポーツが盛り上がる予感。

今回の高松合宿では、1週間後の関東パラに向けたトレーニングだけでなく、小学校での講演や中野さんと高校生のサポートについて情報共有を行うなど、有意義な時間になりました。

田中さん、ありがとうございました。
次回は、7月末にも高松で合宿を行う予定だそうです。今から楽しみです。

ふと考えた「なぜ、パラリンピックなのか」

若生くんは、やり投げを始めて約1年。
大会に出場するごとに、記録を伸ばしてきました。
数々の喜びを提供してくれている一方、「もう有名人になっちゃった」という何とも言えない身勝手な寂しさがあります。

なぜ、陸上経験のない私がこの嬉しさや寂しさを共有できているのかふと考えました。


キーワードは、ギャップです。

恋愛トークでよく聞くこの言葉、どうやら障害者スポーツにも関係があるのではないかと思うのです。


高松合宿で若生くんにこんなことがありました。

空港にて、航空券に印刷されたQRコードの場所が分からず、ゲートが通れない。

焼肉屋にて、灰皿と取り皿を間違える。

日常の中にあるちょっとした「できないこと」を補うことで、感謝されます。

また、公共交通機関の少ない香川県では、車で移動をお手伝いすると、田中さんからも大変に感謝されます。

その代わり2人は、いざ競技になると筋骨隆々の身体でやりを投げて、世界の舞台を目指す。
私が「できないこと」を体現してくれています。


オリンピック選手には正直、できないことが思いつきません。
飛行機には一人で乗れるし、灰皿と取り皿を間違えることもないでしょう。
私には想像も及ばないほどの様々な困難があるのでしょうが、少なくともスポーツに関する専門性がなく、何も接点がない人にとっては別世界です。

パラリンピック選手も競技面では別世界ですし、指導やサポートをするには専門性が必要です。
しかし、日常生活のふとした時にできないことがある。それは視覚障害に限らずです。

障害者スポーツに関わっている人は、そのギャップに気付いている人なのかなと思います。

日常のできないことを少しお手伝いすることと、世界を目指す時間を共有すること。

この「できないこと」の等価交換は、少々?いや、かなり大きな差があるなと思いましたが、Win-Winの関係が成り立っているということで都合よく納得しておきます。

障害者スポーツのギャップ、いいですよ。
恋愛のギャップの意味がよく分からない私にとって、さらに魅力的に感じるのは気のせいでしょうか。

最近、日本眼科学会と日本眼科医会が「アイするスポーツプロジェクト」というWebサイトを開設しました。視覚障害に関するスポーツの情報が掲載されています。

興味のあるスポーツがあれば、ぜひ色んな大会やチームの練習に参加してみてください。

うどん屋で若生くんと田中さんがうどんを食べている画像
試合前日の昼ご飯は、讃岐うどん

パラ陸上と香川県

ここまで散々「香川県」のことを書いてきましたが、もう1つだけ。

世界パラ陸上に出場する日本代表の合宿地が高松なのです。
期間は9月30日~10月4日の5日間。

世界パラ陸上日本代表  高松で今秋、事前合宿 昨秋の日本大会を評価
(スマホでリンクが見れない方はパソコンからご覧ください。)

香川県に縁が多いのは、地元への思いが強い私にとっても嬉しい限りです。
3人と一緒にまた来られるのを楽しみにしています。

全国の陸上ファンの皆様、ぜひ香川県にお越しください。
香川県の皆様、屋島レクザムフィールドでお会いしましょう。

最後に

3人が世界の舞台に立つ日を夢見て、これからもできることをサポートしていきたいなと思います。

田中さんも、若生くんも、政成くんも、やり投げ選手である前にみんな礼儀正しい好青年なのです。


北京グランプリの出発前、若生くんの記事の最後に「日本記録を更新しました、と報告するための原稿を準備しておきたいと思います」と書いたら現実になりました。

今回ももちろん書きます。

これから「3人が派遣指定記録を突破しました」という原稿を準備しておきたいと思います。

ゲン担ぎではなく、そうなると信じているから。



3人と同世代、ゴールボールで世界を目指す宮食行次(みやじきこうじ)さんのインタビューはこちら

この記事を書いたライター

高橋昌希

1991年香川県生まれ。広島大学教育学部卒業後、国立障害者リハビリテーションセンター学院修了。視覚障害者のための福祉施設での勤務を経て、ガイドヘルパーの仕事を行う。教員免許(小学校・特別支援学校)を保有。歩行訓練士。Spotlite発起人。

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1991年香川県生まれ。広島大学教育学部卒業後、国立障害者リハビリテーションセンター学院修了。視覚障害者のための福祉施設での勤務を経て、ガイドヘルパーの仕事を行う。教員免許(小学校・特別支援学校)を保有。歩行訓練士。Spotlite発起人。

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