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ストーリー

「僕は水泳が得意じゃない」パラリンピックメダリスト富田宇宙さんが泳ぎ続ける意味

プールで泳ぐ富田宇宙選手
アイキャッチ写真提供:株式会社つなひろワールド

東京2020パラリンピックでの活躍が記憶に新しい富田宇宙さん。自身を「水泳が得意じゃない」と語りますが、その真意とは。富田さんにとってのパラリンピック、視覚障害、大切にしていることなどについて、お話をうかがいました。

富田宇宙さん 略歴

東京2020パラリンピック大会メダリスト。400m自由形(S11) 銀メダル・100mバタフライ(S11) 銀メダル・200m個人メドレー(SM11) 銅メダル。熊本県出身。
高校2年生のときに、網膜色素変性症であることが判明する。視覚障害が進行しても続けられる仕事としてSEを目指し、日本大学文理学部情報システム解析学科(現 情報科学科)に進学。

大学在学時には競技ダンスに打ち込み、現在はその頃の経験を活かしてブラインドダンサーとしても活動している。2022 Freedom’s Cup Japan Dance Championshipsブラインド部門では、チャチャチャとルンバの2種目で優勝。EY Japan所属。

僕は水泳が得意じゃない

―まずは、東京2020パラリンピックでのメダル獲得、おめでとうございます。競技をする上で、特に大切にしているのはどんなことですか?

視覚障害者が速く泳げるようになろうとする時、最大の壁の一つが、自分では自身の泳ぎを見られないということです。周りの方に代わりに見てもらって、分析・フィードバックしてもらう。それを受けて、ポイントを絞り込みます。そこから新しいフォームや、定着させるための練習方法をコーチと相談して決めていきます。

僕は水泳があまり得意じゃないので、タイムを縮めるために常に泳ぎを改善しています。自分の記録を更新することが目標なので、常に泳ぎの課題点を見つけて、変化させています。

―メダリストが「水泳があまり得意じゃない」とおっしゃるのは、意外な印象を受けます。

競技に詳しくない方にわかっていただくのは難しいんですが、本当にうまくないんです。

僕は体つきも水泳に向いていないし、センスもない。これは自分を卑下しているのではありません。高校まで健常者として競泳をやっていましたが、県大会レベルで、全国大会なんて考えたことすらなかった。社会人になってパラ水泳を始めてから、必死に当時の記録を更新していって、どうにかパラリンピックでメダルを獲れるところまで成長できた、という感じです。

「水泳が得意じゃない」と言うのは、卑下でも謙遜でもなく、自分をシビアに見て、常に改善を心がけているということなんです。

プールを背景に笑っている富田宇宙選手
(写真提供:富田宇宙選手)

パラリンピックは、本来競えないもの

―富田さんは、パラリンピックの魅力はどんなところだと思いますか?

それぞれが自分の課題と向き合って戦って、その自分との戦いをみんなに見てもらうことが、パラリンピックの最大の魅力ではないかと考えています。


スポーツだから、順位をつけてメダルをもらうという結果が必要なのですが、その本質は競争ではないと感じるんです。例えば同じ障害クラスのアスリート同士でも、僕は高校生から徐々に目が見えにくくなって。一方で金メダルを獲った木村敬一くんは幼い頃から全く見えなくて……。根本的に違いすぎて競えないと感じてしまうんですよね。

僕たちはタイムは近いけど、これまでにぶつかってきた壁の種類が全然違う。だから、「どちらが速いか」ということが、最も価値のあることだとは思えないんです。僕が木村君に勝って日本記録を保持している種目もいくつかありますが、「俺の方がすげえんだぞ」とは思いません。

視力を失いながらも記録を伸ばし続けてきた僕の努力は本物だし、プライドもあります。だけど、木村君が全く見えない状態から作り上げてきた泳ぎ、それによって生み出されたタイム……その価値を僕が塗り替えることはできない。泳ぎに対する土台や背景がまったく違う。僕は僕の価値を持っていて、彼は彼の価値を持っている。どちらも絶対に揺らがない。

だから極端に言えば、金銀銅じゃなくて、赤青緑みたいなものだと思ってます。その方が真に迫っているような気がします。

プールでコースごとに泳ぐ複数の男性
(写真素材:Unsplash)

―なるほど。障害の当事者でない人たちにとって、観戦時の心持ちも変わってきそうです。

パラリンピックは、障害のある人にとって自分のあり方を認める機会になるのはもちろんですが、周囲の障害のない人たちにも気づきを与える特別なフィールドですよね。パラスポーツを発展させる過程で、施設がバリアフリーになったり、移動のハードルが低くなったり……そういうことにつながる社会的な意義も、パラリンピックの価値です。

子どもたちはパラスポーツに触れることで、いろいろなことを学べる。やがてその子たちが社会に出たときに、障害のある人と自然に関わっていけるようなエッセンスになる。僕は、パラリンピックをそんな学びの場としても捉えています。

また、僕が泳ぐ姿をたくさんの人に見てもらうことによって、身近に感じてくれる人が増える。そうして、街中で障害のある人が困っていたら「ちょっと声かけてみようかな」とか、気持ちの変化を起こすための一部に、自分がなれたらうれしいです。

僕がパラリンピックに挑戦していく中で人と関わったり学んだりしたことを、多くの人に伝えていく。結果として、視覚障害の人たちのQOLが向上したり、次にパラリンピックを目指す人たちがもっとスムーズに成長できたり。それも僕が水泳を続けている意味なのかなと思っています。

苦しさを受け入れ、そのままの自分で生きていく

―視覚障害当事者のアスリートとして、富田さんはこれまでもさまざまなメディアに登場されています。当事者のアスリートとしてメディアに出ることについての思いを聞かせてください。

常に気をつけているのは「僕は」という一人称でしか話はできないということです。「視覚障害の人は」とか、そういう文脈では語れません。

パラアスリートの人たちは、障害がある人の母集団からすると、かなり端っこに属するごく一部の存在だと思っています。常に「僕は障害者の代表ではない、みんな違うんです」ということを伝えるようにしています。

健常者と同じように、障害のある人にもいろいろな人がいる。だから面白い。背が高い・低いとか、スポーツが得意・苦手とか、みんな違うのと同じで、歩ける・歩けないとか、見える・見えないとか、そういう要素があるだけのことだと捉えています。
 
その違いを、全部受け入れなくてもいい。ただ認めて、「いろいろな人がいるんだな」と知る。すると視野も広がるし、自分がどういう存在かということがより明確にわかってくる。「みんなが違うということを、まずわかりましょう」と伝えるように心がけています。

上から見た、色々なサイズと内容の多肉植物の鉢植え
(写真素材:Unsplash)

―とは言え、富田さんを特別視してしまう人もいるかもしれません。読者の方に伝えたいことはありますか?

自己肯定感を上げるために何かを頑張って、たとえそれを成し遂げたとしても、実は苦しさは解消されないということです。

パラリンピック選手をやっていると、「富田さんはすごく楽しそうで輝いていて、羨ましいです」と言われることも少なくないです。でも実際には目が見えなくなっていく生活の中で、できないことが増えていく。

どれだけ水泳で活躍しても、目が治るわけじゃないし、できなかったことができるようになるわけじゃない。実際は皆さんと同じように苦しいままなんです。大切なのは、そんな中でも、自分の無力感や楽しくない毎日をどう受け入れていくか、ということだと思います。

何かをすれば楽しくなる、解決する、ということではない。苦しさを受け入れ、認めて、そのままの自分で日々の暮らしを少しでもマシに過ごしていくには、人生をどう考えるか。捉え方や感じ方を変えて生きていくしかないと普段からお伝えするようにしています。

モヤのかかる岩山の頂上で、ぼんやりとした朝日を眺める人
(写真素材:Unsplash)

取材を終えて

富田さんは、「みんなが僕のようになろうとしなくていい」と語り、「自分だけの“本当の望み”」を知ることの重要性について話してくれました。

障害を負って「どう生きていけばいいのかわからない」というとき、富田さんはカウンセリングやコーチングの専門家と面談をして、自分を見つめなおす時間を持ちました。その時につかんだ「僕は自分の変化や成長が楽しい」という気づきは、人生の指針になっているといいます。現在も、たくさんの対話や読書を通じて「内省」をすることを心がけているそうです。

最近読んで良かった本を聞いたところ、大学教授と精神科医の対談本『健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体』(内田樹、春日武彦)を紹介してくれました。現代社会における「幸福」の定義について、深く掘り下げている本とのこと。視覚障害と向き合う方だけでなく、多くの方の参考になるのではないでしょうか。

この記事を書いたライター

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Spotlite編集部

Spotlite編集部は、編集長で歩行訓練士の高橋を中心に、視覚障害当事者、同行援護従業者、障害福祉やマイノリティの分野に精通しているライター・編集者などが協力して運営しています。

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