広島県内で鍼灸マッサージの治療院を経営する清水和行(しみずかずゆき)さん。
県内初の盲導犬ユーザーになり、全日本盲導犬使用者の会の初代会長を務めるなど、盲導犬に関する第一人者として活躍しています。
2020年8月には、日本で初めてヘリコプターを使用した盲導犬の避難訓練にも参加しました。
常に挑戦を続ける清水さんに、幅広い取り組みや視覚障害者としての心持ちを伺いました。
略歴
1961年広島県生まれ。広島県立広島中央特別支援学校の理療科教員を経て、2015年に治療院「あんま天国はり治国(あんまてんごくはりじごく)」を開業。1989年、広島県内で初めての盲導犬ユーザーとなる。1994年、全日本盲導犬使用者の会の設立に携わり、初代会長に就任する。現在、広島ハーネスの会の理事を務める。
インタビュー
ー清水さんの目の病気や見え方について教えて下さい。
先天的に弱視だったと思うのですが、生活に特に不自由を感じるほどではなかったので、一般の小学校に通っていました。2年生の体育の授業の時、ドッチボールが顔に当たったことが原因で、左目は網膜剥離で完全に失明、右目も0.01くらいにまで視力が低下し、やむなく盲学校に転校しました。
高校3年生の時、緑内障が進行して入院したことを言い訳に、大学受験から逃げて、理療科に進学しました。在学中には広島YMCAが主催する国際交流プログラムに参加して、晴眼者の中高生や大学生たちとともにハワイの学生と交流したりホームステイをするなどする中で、盲学校の外の世界で活動することに自信を持つことができるようになりました。
ーそこからマッサージの仕事に就いたのですか?
いいえ、理療科を卒業する時に鍼灸やあん摩で自立する自信がなく、筑波大学理療科教員養成施設に進学しました。それでもまだ自分の技術に自信が持てなかったので、臨床専攻生として学校に残り、1年間の臨床経験を経て、母校の教員になりました。
ーそうだったのですね。清水さんが盲導犬を迎えるきっかけは何だったのですか?
全盲になる前年ですから、1989年の秋、広島大学の学園祭で、学生が広島県内に盲導犬がいないことを取り上げてくれたそうです。また、広島県に盲導犬がいないことについて、地元のローカルテレビ局でも報道されました。当時、日本に盲導犬がいない県は4つしかないということから、広島大学の学生や視覚障害者団体など多くの市民が関わり、「広島県に盲導犬を」という運動が起こりました。
ー学園祭がきっかけで大きな運動につながったのですね。
その時、県内に盲導犬の使用希望者がどれくらいいるのかについての調査があり、私もエントリーしてみました。
ところが、その直後の1989年1月に電柱にぶつかって全盲になってしまったのです。関西盲導犬協会の多和田所長(当時)が退院したばかりの私に電話をくださり、「盲導犬が間に合っていたらぶつからなかったはず。申し訳ない」と言われたことを覚えています。
そして「広島ハーネスの会」が発足したのは、私が全盲になって1ヵ月後の1989年2月のことでした。そして、翌月の3月には関西盲導犬協会へ訓練に行き、4月に広島県内で第1号となる盲導犬がやってきました。
広島大学の学園祭からわずか半年のできごとだったわけですね。今思えば、「広島県内で盲導犬のことを広く知ってもらうために、元気で活動的な若者に託してみよう」ということが、私が県内最初のユーザーに選ばれた理由かなあと思っています。でも、口の悪い友人は「怪我の功名よ」なんて言っていました。変に納得してしまいましたけど(笑)
実は、私の妻も盲導犬ユーザーです。関西盲導犬協会で出会いました。
ーその後、広島県内で少しずつ盲導犬ユーザーが増えていったのですか?
はい、私以外にもユーザーが増え、1990年には広島県内の盲導犬5頭とユーザー7人で1泊2日の交流会を行いました。当時、盲導犬への理解はまだまだ浸透しておらず、5頭が同時に宿泊するには大変な労力が必要でした。あまりのしんどさで翌年は行わなかったのですが、周りからの要望があり、1992年以降は毎年開催しています。そこで私が感じたのは、ユーザー同士のつながりがないということです。全国には盲導犬協会が複数ありますが、盲導犬協会を超えてユーザーが交流することはありませんでした。
ーどのようにユーザーのつながりを作られたのですか?
1993年10月、全日本視覚障害者協議会が主催する全国視覚障害者活動交流集会の盲導犬分科会に14名の盲導犬ユーザーが集まりました。そこで「盲導犬ユーザーの全国組織をつくろう」という話になり、全国の盲導犬協会のユーザーに呼びかけて準備会を立ち上げました。そして1994年11月に「全日本盲導犬使用者の会」が発足したのです。そして当時33歳の私が会長を引き受けることになりました。16名の理事の中で最年少の私が会長になったのも、元気で活動的な若者に託してみようということだったのでしょう。以来、50歳まで会長として活動しました。広島ハーネスの会や全日本盲導犬使用者の会の活動に取り組むようになり、盲導犬を通してより一層、多くの人たちとのご縁が増えていきました。
ー会長を務められたのですね。どのような活動をされたのですか?
全日本盲導犬使用者の会としての最大の成果は、身体障害者補助犬法(以下、補助犬法)の成立に関われたことだと思います。介助犬や聴導犬ユーザーと協力しながら、何度もロビー活動を行いました。そして2002年5月22日の参議院本会議で全会一致で可決成立しました。私の人生の中で、少しは世のためになった証かなと思います。
ー盲学校の教員から、どのような経緯で治療院を開業されたのですか?
2014年、52歳で理療科の教員を退職しました。盲導犬にしても視覚障害者教育にしても、やはり狭い世界の中のことですから、もっと広い世界にも目を向けて生きて行きたいと思いました。盲学校では非常勤講師として働きながら、後輩の治療院で働いたり、中小企業化同友会で多くの経営者と交流したり、放送大学にも入学しました。
ー教員を辞めて開業しようと思った理由は何ですか?
自由な時間と仕事を両立したかったのです。鍼灸やあん摩マッサージは好きだったので、いずれは開業したいと考えていました。今の時代、60歳では人生終わりません。70歳、75歳まで働こうと思うと、60歳で退職して開業するのは遅いかなと思うようになりました。それで2014年に52歳で退職し、2015年に開業したのです。
ー長期的な人生と仕事を見据えた決断だったのですね。今は、自由な時間と仕事が両立できていますか?
治療院は予約制にしたので、比較的自由な時間を作ることができます。仕事以外の活動では、小学校などに盲導犬や視覚障害者の生活についての講話をしています。学校以外では、官民が連携して運営する刑務所「島根あさひ社会復帰促進センター」で講話をすることもあります。ここでは点訳や音訳、盲導犬のパピーウォーカーの仕事をしている受刑者もいますので、このようなご縁もあったのです。今年からは大学で「障害者コミュニケーション技術」という講義を持ち、点字を教えています。スポーツも、グランドソフトボールやゴルフをしていますが、最近ではブラインドテニスにも挑戦しています。
ー広島を襲った平成30年7月豪雨での被災体験について教えて下さい。
2018年(平成30年)7月6日金曜日の夕方、西日本豪雨の影響で自宅が水害にあいました。妻と娘の3人と盲導犬2頭、ペットの猫4匹で、2階に避難しました。息子は道路の水位が高く、帰宅することもできませんでした。
ーその後、どのように対応したのですか?
水位が下がらず盲導犬が歩くこともできないほどでしたので、盲導犬との避難は難しいと考えました。私たちは関西盲導犬協会のユーザーでしたが、同じ安佐北区に事務所がある日本盲導犬協会の訓練師が、7日の朝、2頭の盲導犬を抱きかかえて先に避難させてくれました。消防からは「9日月曜日には雨が止むので、それまでそのまま待機してほしい」と言われていました。
しかし携帯電話の電池が少なくなってきたので、このままでは急に体調が悪くなっても連絡が取れなくなると困るなあと思っていました。
ところが8日の朝、近所の人や友人が集まり、私たちの避難を支援してくださいました。足元の泥をスコップで除去して避難路を確保してくれた人、水の深さなどを考え避難路の安全を確認してくれた人、肩を触らせて私と妻を誘導してくれた人、貴重品や猫のゲージを持ってくれた人、などのお陰で、安全に避難することができました。
ー近所の人のご協力があり、無事に避難所まで移動できたのですね。
いいえ。私たちは避難所ではなく、私の治療院に一時避難しました。10日には広島市障害者基幹相談支援センターのお世話で、作業所の中の2DKの部屋を無償で貸していただけることになり、被災した家を復旧しながら治療院での仕事も再開できました。そして11月には、自宅に帰ることができました。
ー想像を絶する状況だったのだとお察しします。どのように盲導犬の避難訓練につながったのですか?
私の被災体験が広島市消防航空隊の隊長の耳に入り、視覚障害者が盲導犬と一緒に避難できる方法を考えてくださいました。隊長のお父様が視覚障害者だったこともあり、このようなことにも関心を持っていただいたのではないかと思います。
昨年、日本盲導犬協会の協力の下、救助方法の検証訓練を行い、2020年8月に初めて盲導犬ユーザーへの訓練を行いました。近県の消防航空隊も見学に来ていたようです。
ーヘリコプターを利用する際、盲導犬はどのように救助されるのですか?
犬が安心できるように、私と航空救助隊員が向かい合い、その間で盲導犬を抱くような姿勢で引き上げられます。吊り上げ用のハーネスは、海外の軍用犬用のものを購入したそうで、盲導犬の胴体全体を包み込むようなものでした。
ーそうなのですね。実際に体験された感想はいかがですか?
音と風がすごかったです(笑)
ヘリコプターを利用した救助は、消防士も含めてリスクが高いので最後の手段です。台風や雷では使えないなど、外的な条件もたくさんあります。
ヘリコプターの救助ですべてが解決するわけではないのですが、避難の選択肢が増えたことで、命の助かる確率が高まったと思います。
ー「命の助かる確率」という言葉が印象的です。清水さんの訓練が大きな一歩になったのですね。
ヘリコプターでの救助は、事前の訓練や器具の準備がなければできません。今回の訓練を経て、盲導犬ユーザーへの対応がマニュアル化された意義は大きいと思います。視覚障害者の誘導方法や、お互いに向き合ったときに右左の伝達が逆になることなど、基本的な接し方を知ることが重要です。今回の訓練で全てがいい方向に進むとは思っていませんが、視覚障害者の防災に風穴をあけられたのかなと思います。
ー防災に関して、清水さんがこれから取り組みたいことはありますか?
避難所でどのような暮らしができるのかを体験してみたいです。そして普段から地域の人ともっともっとつながっていきたいと思っています。
例えば、積極的に挨拶をするとか、清掃活動や集会など地域の行事にできるだけ参加するとか、小さなことを大切にすることです。そうして近所に視覚障害者が住んでいることを知ってもらうことが大切だと思います。
最近では、強い雨が降った時など民生委員さんが「警報が出ているけど、まだ水位が高くないから大丈夫ですよ。なにかあったらまた来ますね」と自宅に寄ってくれたりもします。広島市は過去の災害の経験を踏まえて、少しずつ防災に強くなっていると感じています。
ー地域の人とのつながりが1番の強みになるのかもしれませんね。
行政から地域の避難計画を作るために「避難行動要支援者名簿」への登録を求められることがあります。これは障害のある方などの個人情報を関係者に開示することにもなりますが、安全に避難するためにはぜひ登録しておくといいと思います。また、福祉サービスの支援計画の中に「個別の避難支援計画」を作成してもらえれば、なおいいでしょう。地域で避難訓練があれば、積極的に参加するのも大切だと思います。
ー清水さんが次々と新しいことを始められる原動力は何ですか?
周りからの頼まれごとに「NO」と言わないことでしょうか。自分でできることであれば基本的にお受けします。しんどいこともありますが、いい思いをすることの方が多いように感じます。
私は、流れる水は腐らないけど淀む水は腐ると思っています。視覚障害があると自ら動くのが大変なので、頼まれごとの機会を活かしています。いつでも自分が受け入れられる環境を整えておくと、周りからの紹介でご縁が広がるような気がしています。
ー清水さんにとって、盲導犬はどのような存在ですか?
盲導犬がいることで、歩く機会が増えて健康でいられます。盲導犬の最も適した利用方法は、散歩だと思っています。ガイドヘルパーや誰かに頼まなくても、自分の好きな時に1人で自由に歩けるのは素晴らしいことです。
盲導犬のことを「私の体の一部」とか「私の目」などという人もいますが、私は、盲導犬のことを捉える時に「生きた自助具」という考え方を大切にしています。
「盲導犬は道具ではない」と怒られることもありますが、それは私の自立を支えるために社会的な意義を与えられた犬であり、多くの人たちの手を経て私に貸与されているツールであると考えています。
盲導犬が歩行補助具として機能してこその盲導犬ですから、普段から節度を持った愛情で接し、いつも盲導犬としてしっかり仕事ができるようにしておかなければなりません。そして盲導犬を通して、多くの人に助けられているので、だからこそ自分らしく自立した豊かな生活を送ることが、関わっていただいた多くの人への恩返しになるのではないかと信じています。
そういう意味で、盲導犬を自分だけのものとして擬人化しすぎるのがあまり好きではないのかもしれません。私の盲導犬観は少し変わっているかもしれませんが、盲導犬を使いこなすことで様々なご縁をいただけたのかなと思っています。
ー適切な距離感を大事にされていることが伝わります。盲導犬に関する課題はありますか?
盲導犬と生活するようになると、自分は特別だと錯覚してしまう可能性があるように思います。偉くなったわけではないのに、講話に呼ばれたり、チヤホヤされます。「犬がいなけりゃただの人」なんですけどねえ(笑)
お店の入店拒否にあった場合でも、補助犬法を盾に自分の権利ばかりを主張して怒る人もいるようです。確かに法的にはそうなのですが、お店にはお店の事情があるはずです。そこにも想像力を働かせて、相手と同じ方向を向いて解決策を見つける謙虚な姿勢も必要です。補助犬法を改正した際、都道府県などに補助犬に関する苦情相談窓口を設置する条文を入れました。もちろんユーザーからの苦情相談を受けてくれるのですが、お店側からモンスターユーザーの苦情相談を受けることがないようにしたいものです(笑)
ー対等な立場で公平に考えていくことを清水さんご自身が意識されているのですね。
広島ハーネスの会は身体障害者に補助犬を貸与し、身体障害者の社会自立を支援するボランティア団体です。ユーザーの当事者団体ではありません。
会長は晴眼者ですし、理事に盲導犬を使用していない白杖使用の視覚障害者もいます。このような組織は全国的にも珍しく、広島県の補助犬ユーザーは大変恵まれています。
だからこそ私は、視覚障害者の自立と社会参加を目指すために盲導犬を利用していることを忘れないようにしたいと思います。
ー今、悩んでいる視覚障害者に伝えたいことはありますか?
「障害になって悩んでいることは何だろう」と考えた時、おそらく根本的な原因は自分の中にあるのかなと思っています。「あるものが無くなった」と捉えると、しんどくなります。しかし、「やり方を変えるだけ」という視点に立つと、今まで視覚以外の感覚を100%使い切っていないことに気付けるかもしれません。
中途の視覚障害者は、急に友人が離れていったり、逆に過剰に対応したり、周囲の対応が変わることが辛いはずです。周りの方は、その人と関わる本質を考えて、対応を変えないでいただきたいです。視覚障害者も変に遠慮をせず、今まで通り接することで、解決の糸口が見つかるのかなと思います。
ー清水さんの視点を変える考え方、大変勉強になります。
水害で失ったものはたくさんありますが、人の優しさに触れることができ、得たものもそれなりにありました。障害がないに越したことはないですが、全てを引き算で考えるのではなく、障害があることで新しく見えることもあるのかなと思っています。
清水さんのインタビューはここで終了です。貴重なお話をどうもありがとうございました。
落語が好きで、治療院でもよく流しているという清水さん。「あんま天国はり治国」という名前はユーモアに溢れています。
さらに、治療院のことは「宮殿」、院長は「国王」、ルーラは「女王様」、患者様は「国民」で、治療代を「貢物」と呼んでいるのだとか。
冗談を交えながら、終始、穏やかな口調でインタビューに答えていただきました。
今回の取材は、私、高橋の大学時代の恩師である牟田口辰己(むたぐちたつみ)先生のご紹介で実現しました。牟田口先生は、2018年3月に広島大学教育学部の教授を退職後、2019年4月から広島ハーネスの会の会長を務められています。
地方での初めての取材を大学時代を過ごした広島で行うことができ、感謝の気持ちでいっぱいです。
清水さん、牟田口先生、この度はご協力いただき、ありがとうございました。
皆様、広島にお越しの際は、宮殿に足を運んでみてください。
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