東京都内でヘルスキーパーとして働く宮食行次さん。パラリンピック種目 ゴールボール の日本代表強化指定選手としても活躍しています。まだ競技を始めて約1年という期待の星。普通校で過ごしてきた学生時代の葛藤、ゴールボールを通して変化した障害の見方、これからの目標などを伺いました。
※所属や肩書は2019年の取材当時のものです。
略歴
1995年、大阪府吹田市生まれ。小学5年生のときに網膜色素変性症であることが判明。兄の影響で小学生のころから野球を始め、高校ではソフトボール部に所属。2017年には日本ゴールボール協会が主催する人材発掘プロジェクトでゴールボールと出会い、競技を始める。現在は、ゴールボールチーム所沢サンダースに所属し、日本代表強化指定選手として練習に励む。
インタビュー
普通校での葛藤
ー眼の病気や見え方について教えてください。
視野が周辺からだんだん狭くなり、中心だけが見えています。見え方としては、トイレットペーパーの芯から覗いているようなイメージですね。中心はよく見えるので、スマホを操作したり本を読むこともできます。ただ、暗いところでものが見えにくくなる夜盲という症状もあって、夜や照明の少ない店内では周りの状況が分かりにくいです。
ー最初に診断されたのは小学校5年生だったんですよね。
はい、兄がこの病気だと診断されたので、親が僕も病院に連れて行ったんです。そこで分かりました。
小さい頃から夜盲はありましたが、それでも普通に見えていたので、「視野が狭い」と言われても僕は生まれた時からこの見え方しか知らないんですよね。だから「これが普通でしょ」とずっと思ってました。
ー診断されたときは、障害を意識しなかったんですね。障害を意識した具体的なきっかけはありましたか?
中学校で野球部に所属していたんですが、夕方の練習で日が陰るとノックのボールが見えにくくなってきたんですよね。最初はボールが見えないから、ノックする先生のスイングを見て、球を予測して動いていましたが、どうしても限界があって…。暗くなると早く練習を切り上げなければいけないのがとても悔しくて、あの時、初めて障害を意識しましたね。
ー障害があるということは周りの人に言っていたのですか?
高校生までは仲のいい友達以外には言ってませんでした。特別助けてほしいことがなかったのと、やっぱり自分が障害者として特別にみられることが嫌だったんです。
ただ、夜盲には困っていて、高校生のとき友達から夜のツーリングや花火に誘われたら、本当はヒマなのに「予定がある」と言って断ることもありました。気になる女の子とデートに行って、店内が暗くて失敗したこともありましたね(笑)
コップの位置が分からなかったり、相手の顔が見えなくて「どこ見てるの?」と言われましたが、適当にごまかしてしまいました。今では自分から障害のことを言えるようになりましたが、相手の立場や関係性によってどこまでの話をするかはやっぱり悩みますね。
ー障害による見えにくさがありつつも、高校ではソフトボール部に入り、3年生のときには大阪選抜チームのメンバーにも選ばれたのですよね。
夕方になるとボールが見えないので、チーム練習を抜けて家で素振りを繰り返しました。今までで1番練習したと言えるくらい、とにかく必死でしたね。
ーそこまで必死になったのには何か理由が?
「見えるうちにできることをやっておこう」という気持ちがあったからです。その気持ちは今も変わりません。最近、祖母が「行次の目がこれ以上悪くなりませんように」と祈っていると聞いて、「ああ、俺って本当に目が悪くなる病気なんだ」と改めて意識しました。僕の病気は進行性で治療法は見つかっていません。明日急に目が見えなくなるかもしれないという不安は常にあります。だから1日1日を大切にしたいし、見えるうちに色々なことをやっておきたいんです。
ゴールボールを通して多くの視覚障害者と出会う
ー盲学校に通っているとき、ゴールボールを始められたそうですね。きっかけは何でしたか?
フロアバレーボールの大会に出たとき、岐阜県でゴールボールの選手を発掘するための練習会があることを知って参加しました。その練習会で当時の日本代表監督に声をかけていただき、日本代表合宿に参加するようになったんです。練習会の前は、YouTubeで試合映像を見て投げ方を研究し、1人で体育館で投げ込んでいましたね。
ーゴールボールを始めて、宮食さんの中でどんな変化がありましたか?
本気で打ち込めるものが見つかって単純にうれしかったです。目の病気が進行して、もうスポーツはできないと思っていたので。
あとは、自分以外の視覚障害者と出会って障害に対する見方が変わりました。それまで視覚障害者が周りにいなかったので、真面目に考えたことがありませんでした。なんとなく、「視覚障害者は、全盲で自分とは違う世界の人だな」と思っていた程度で…。
でも、ゴールボールのチームには視覚障害と言えどもいろいろな見え方の人がいます。先天性と中途失明の人、また、全盲と弱視でも困っていることがそれぞれ違うんですよね。
ー視覚障害者と関わる中での気づきや変化はありましたか?
最近、ゴールボールチームの同じ病気の先輩がきっかけで、夜だけ白杖を使うようになりました。今までもずっと夜盲のために夜道は怖かった。でも白杖は使いたくなかったんです。「とうとう俺も視覚障害者か…」という抵抗感があり、自分の見えにくさをなかなか認められなかったので。
でも、「先輩も使っているなら」と思って買いました。実際に使ってみると、やっぱり足元の段差や障害物を察知できる安心感があって便利だなと思います。また、晴眼者がいる時は誘導をお願いすることも増えて、少しずつ自分の見えにくさの付き合い方が変わってきたのかもしれません。
ー同じ病気の先輩の存在が大きかったのですね。
そうですね。他にも多くの視覚障害者と関わることで、勉強になることがたくさんあります。ただ、ちょっとなあ~と思うこともありますよ。少し厳しい言い方ですが、「部屋がすぐ散らかる」とか「電車の乗り換えに時間がかかってよく遅刻する」と言う視覚障害者がいても、それは個人の性格や生活に原因があるんじゃないかなと。部屋が散らかるなら同じ場所に物を置くとか、電車に乗り換えに時間がかかるのなら余裕を持って家を出るとか工夫もできますよね。視覚障害があることで難しいことはいろいろとありますが、できないことを何でも障害のせいにするのではなく、見えにくさがある中でどうやればできるのかを考えるようにしたいなと思っています。
サポートしてくれる多くの方のために
ーこれからの目標や挑戦したいことを教えてください。
ゴールボールの日本代表として2020年の東京パラリンピックに出場して金メダルを取りたいです。私が好きな言葉の一つに「経過は己がために。結果は他がために。」というのがあります。世界的なダンサー上野隆博さんの言葉で、文字の通り、経過は自分のためだけど結果は他の人のために出すものだという意味です。
ゴールボールを始めて、サポートしてくれる人の数に驚かされました。高校時代、ソフトボールをやっていた時とは比べ物にならないくらい多いんです。いつもサポートしてくれる方や応援してくれる方への感謝を結果で示すために、世界の舞台で活躍したいですね。
ー同じ病気で悩んでいる視覚障害者の方に伝えたいことはありますか?
「障害を受け入れる」というのがとても難しいと思うのですが、僕は無理して受け入れようとしなくてもいいのかなと思います。時間が経つにつれて少しずつ気持ちが変化するのかもしれませんし、いくら時間が経っても変わらないものかもしれません。
僕の場合だと、上京してゴールボールを始めたことが大きな転機になりました。もし今のままで何か悩みがあるのであれば、小さなことでいいので環境を変えたり、新しいことを始めてみるといいかなと思います。あとは、視覚障害者と関わることで気づくことはたくさんあるので、他の視覚障害者と出会える場に行くのもいいかもしれません。
ー晴眼者にも伝えたいことはありますか?
僕は、視覚障害者でも特に困っていなさそうな人には声をかけなくてもいいかなと思っています。視覚障害者にとって他の人に声をかけて助けてもらうことは必要なスキルというか義務だと思うからです。
ただ、だからと言って皆さんが無関心になるのではなく、街中で視覚障害者を見かけたら「困ってる様子はないかな」と気にしてもらえるとありがたいです。「視覚障害者は何でもしてもらって当たり前」「周りの人は助けてあげて当たり前」ということではなくて、お互いにコミュニケーションを取る中で必要なことをサポートしてもらえるといいのかなと思います。