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ストーリー

触覚で世界を理解する盲ろう者のたばたはやとさんが、触覚デザイナーとして手すりをハックした遊具を作る

田畑さんがデザインした遊具。「TOUCH PARK」と書いてある。

「私はやりたいことをやっているだけなんです」

そう語るのは、盲ろう者であり触覚デザイナーのたばたはやとさんです。普段は、手話に触れて会話する「触手話」を使ってコミュニケーションをとっています。

触覚デザイナーとは、手から伝わる感覚をヒントに遊ぶゲームや遊具をつくるデザイナーのこと。視覚や聴覚を使わないこれらのゲームは、障害の有無や国籍に関わらず、誰もが楽しめます。

はやとさんが、触覚デザイナーとして活躍するまでの歩み、ものづくりにかける思いとは。はやとさんの通訳者であり、ものづくりのパートナーでもあるインタープリター(解釈者・媒介者)の和田夏実さん、母の真由美さんにもお話をうかがいました。

自宅で、触手話で話している田畑さんの写真。

略歴

触覚デザイナー たばたはやとさん
1997年東京生まれ。先天性盲ろう者。第一言語は手話、コミュニケーション手段は、接近手話、触手話、指点字、筆談など。武蔵野大学で社会福祉を学んだのち、京都芸術大学大学院に進学し、在学中。盲ろう者だからこそできる社会参加を模索している。趣味はマラソン、旅行、2人乗りのタンデム自転車。

インタープリター(解釈者・媒介者) 和田夏実(わだ・なつみ)さん
ろう者の両親のもとで手話を第一言語として育ち、大学進学時にあらためて手で表現することの可能性に惹かれる。視覚身体言語の研究、様々な身体性の方々との協働から感覚がもつメディアの可能性について模索している。東京大学大学院 先端表現情報学 博士課程在籍。同大学 総合文化研究科 研究員。2016年手話通訳士資格取得。

「受け入れ施設がゼロ」社会福祉士の実習で感じた大きな壁

─まずははやとさんの見え方や聞こえ方について教えてください。

はやとさん 私は、先天性の盲ろう者です。生まれたときから、左目は弱視で多少見えていますが、右目は光を感じる程度です。そして、両耳が聞こえません。人の声はまったく聞こえず、すごく大きい音なら少し聞こえます。そのため、小学校1年生から高校卒業まで12年間、ろう学校に通いました。

ろう学校卒業後は大学へと進み、障害者福祉、高齢者福祉、地域福祉、ジェンダーのことなど社会福祉全般を学んでいます。

─大学で社会福祉を専攻されたはやとさんが、福祉職ではなく触覚デザイナーとして活動することになったきっかけは何でしたか?

はやとさん 私はもともと、社会福祉士になりたいという夢を持っていました。私と同じ先天性盲ろう者で社会福祉士を目指す先輩に憧れて、社会福祉士の受験資格を取得できる大学に進学したのです。しかし実習を行うなかで、大きな壁を感じました。

まず、私を実習生として受け入れてくれる施設が見つかりませんでした。新型コロナウイルスの流行も原因の一つでしたが、私が盲ろう者であることも大きかったと思います。

先生が必死に受け入れ先を探してくれたので、最終的には3カ所の施設で実習を経験できましたが、それでも盲ろう者である私には思うように利用者さんの支援ができなかった。社会福祉士のハードルの高さに直面し、今は勉強をいったん休んでいる状況です。

自分には何ができるんだろうと改めて考えたとき、大学2年生で始めた触覚に関するものづくりが楽しかったことを思い出し、専門的に学びたいと思いました。2023年4月からは大学院に進学しています。

水辺に積み上げられた大きめの石の写真。
(写真素材:Unsplash)

─大学院ではどんなことを学んでいますか?

はやとさん 大学院では触覚によるサインシステムについて研究しています。触覚のサインシステムとは、触れて形を理解する案内標識のことです。

案内標識は現状、視覚によるものが多く、触覚によるものは少ないですよね。そのため私は、ゆくゆくは触覚のサインシステムを社会に提供していきたいと考えています。

─お話を聞いていると、はやとさんは社会全体に目を向けられていると感じます。

はやとさん そうですね。盲ろう者の社会参加に大きな壁を感じたことがきっかけの一つかもしれません。

たとえば、通訳・介助員の同行制度。海外にはまだ通訳・介助員制度はなく、日本ならではの制度なので非常にありがたいのですが、課題もまだまだあると考えています。

あらゆる場所に同行してほしくても、通訳・介助員の同行は1日8時間までと決まっているため、思うように予定が進みません。さらにコロナ禍では、“触ること”自体の制約や通訳介助の限定が、コミュニケーションの大きな壁となりました。

このように社会のシステムに課題を感じる機会が多かったからこそ、社会全体に目を向けて活動できているのです。

展示会で出会い「たばたはやと+magnet」結成へ

─はやとさんの通訳者であり、ものづくりのパートナーである和田さんは、現在どのような活動をされていますか?

和田さん 私はもともと、手話通訳を中心に活動していました。いろいろな人と関わるなかで、一人ひとりの世界の見え方、感覚世界の広がりに興味を持つようになり、現在は大学で視覚身体言語を研究しています。

ろう者だけではなく、たとえば認知症の方のようなさまざまな特性を持つ方と一緒に、その方の世界の見え方をどう翻訳するか、それを家族とどう共有するかを研究し、コミュニケーションツールを作っています。

そのため私は、解釈者・媒介者の意味を持つ「インタープリター」と名乗っています。

─はやとさんと和田さんは、一緒にコミュニケーションゲームなどを開発したり、ワークショップを開催されたりしています。お二人の出会いについてお聞かせください。

はやとさん 私が大学2年生のとき、NTTインターコミュニケーション・センターで開かれた展覧会「結んでひらいて/tacit creole」で、初めて和田さんと会いました。そのとき和田さんが展示されていた作品や、触覚の世界観について触手話で会話したのです。

和田さん 私ははやとくんと出会って、初めて触手話を体験しました。それまで手話は「視覚の言語」だと思っていましたが、はやとくんと触手話で会話したことで、身体的な言語だと気付かされました。自分の言語が更新されたことに感動しましたね。

また、作品への感想を話す彼の想像力の豊かさや発想の素晴らしさに感銘を受けました。はやとくんの意見によって、自分たちの作品にさらなる広がりを感じたのです。

─はやとさんが「触覚デザイナー」と名乗るようになった経緯も、和田さんたちとの出会いがきっかけだったそうですね。

はやとさん 私は和田さんと、コミュニケーションデザイナーの高橋鴻介さんと、「たばたはやと+magnet」というチームを組んでいます。

「たばたはやと+magnet」ではこれまで、『たっちまっち』というカードゲームを作りました。2枚1組の真っ白なカードにそれぞれ立体的な模様を施し、手の感覚を頼りにトランプのように遊べるゲームです。文字や数字、色などがなく触覚のみを使うので、障害の有無や国籍を問わずに遊べます。

このカードゲームは、海や山や、川、水、自然に触れるなかで私が感じてきた触覚を、呼び覚ますように形にしました。

そのほか、触手話を元にしたゲームも作っています。カードの指示に合わせて、棒が崩れないように指同士をつないでいく『LINKAGE』というゲームです。

このように触覚を使ったものづくりをするなかで、和田さんや高橋さんから「触覚デザイナーという肩書きが良いのでは?」と言っていただきました。自分でもしっくりきたのでそう名乗っています。

誰もが楽しめる「プレイフル」なものづくり

─和田さんは、はやとさんを「デザイナー」として捉え、関係性を築いていったのですね。

和田さん そうですね。私たちは、はやとくんの卓越した触覚の感性と世界認識を頼りにしているのです。

たとえば私と高橋さんがアイデアを広げ、はやとくんに持っていきます。すると「この感覚は近い、近くない」と、プロダクトの範囲や幅などのディティールを、はやとくんの触覚の実感のなかでディレクションしてくれます。

触覚という無限の世界にアプローチする上で、はやとくんが積み重ねてきた感覚は欠かせないので「たばた巨匠」と呼んでいます(笑)。

私たち3人に共通するのは、誰もが楽しめる「プレイフル」なモノを作りたいという思いです。はやとくんと過ごすなかで得られた感覚の魅力や、世界のおもしろさを入り口にして、楽しみながらものづくりをしています。

左から、黄色・オレンジ・黄緑色の鮮やかな3つのボードの上に、一つずつ電球がおかれている写真。
(写真素材:Unsplash)

─今年3月には、京都円山公園で開催されたイベント『KYOTO FRAGMENT ART PROJECT』に参加されました。

和田さん 私たちは「TOUCH PARK」という、手すりをハックした遊具を作りました。目をつぶった状態またはアイマスクを装着して、手から感じるヒントを頼りに、迷路のような空間を進んでいくものです。手すりの先にある赤いラッパのような部分がスタート、青いひょうたんのような形に触れたらゴール、といった具合です。

お話をいただいたときは、公園の土地が斜めになっていることや、雨天の場合の対策など、悩ましい部分がありました。また、アイデアが生まれた当初は予算の関係上、もっと小さく、紙で制作する予定だったのです。

これらの懸念点がありましたが、NPO法人全国盲ろう児教育・支援協会からの支援があり「たばたはやと+magnet」として初めての展示会を形にすることができました。

遊具につけられた、メガホンのような場所に手を入れている子どもの写真。
触りながら遊具を楽しんでいる様子の写真。

─展示会を終えて、今の心境はいかがですか。

和田さん 多くの方にご参加いただいたことで、さらに多くのアイデアが浮かんできました。展示する場所によってはトイレを示すサインシステムが必要かも、などと考えるきっかけにもなりましたね。

今回「TOUCH PARK」では、参加者が触れる手すり部分は3Dプリンターでつくりました。これらを一般公開し、誰もがダウンロードできるようにできたらいいなと考えています。

日本と海外の手すりは形状が異なりますし、一般公開して海外の人にも触れてもらいたい。

多様で豊かな世界を生み出すためには、はやとくんや全国の盲ろうの方々、いろんな人たちが「見たい」と感じている景色を実際に描き、多くの人に触れてもらうことが必要です。

私たちの活動が、「世界の見え方」が変わるきっかけになれば良いと願っています。

遊具の一部の、突起がある部分を触って確かめている写真。

触覚デザイナーとしての今後と母の想い

─はやとさんは今後、触覚デザイナーとしてどのような活動をされるのでしょうか。

はやとさん 2023年5月には横浜市で、盲ろうの子どもたちが対象のワークショップを開催しました。これまで作ってきた『たっちまっち』や、指で遊ぶジェットコースター『たっちコースター』などを使って、盲ろうの子どもたちと楽しく遊びました。

今後コラボしたいアーティストもいるので、日本各地で「たばたはやと+magnet」のワークショップを開催できればと考えています。

取材では、よく同じ盲ろう者の人やその周囲の人たちにメッセージはあるかと聞かれますが、特にないんですよね(笑)。私はいつも、自分がやりたいことをやっているだけなのです。これからもいろいろな人と出会いながら、より豊かに活動していきたいです。

─はやとさん、お話を聞かせていただきありがとうございました。お母様の真由美さんも、本日は通訳をありがとうございます。

真由美さん こちらこそありがとうございました。サチュレーションモニター、在宅酸素、医療的ケアなど命を支えることに必死だったはやとの幼いころを振り返ると、今が夢のようです。はやとの未来にマラソン大会完走や未踏分野研究へのチャレンジがあることを、まったく想像できませんでした。

やりたいことが山ほどある、これがはやとの宝なのだと思います。「WANT」が先走り、自分で工夫したり人に頼ったりしながら、そのプロセスさえ楽しみ、気付いたら叶っているのがはやとのすごいところです。

田畑さんとお母さんの真由美さんが話している写真。

─お母様から見て、はやとさんの原動力のルーツはどこにあると感じますか。

真由美さん 日常が冒険のようなはやとにとって、触覚を手掛かりにすることは普通のことでした。身体や触覚に比重を置いた世界理解は、境界が薄く、すべてがひと続きなのだろうと思います。境界線が薄いから、臆さずさまざまな世界に飛び込めるのかもしれません。

ヘレン・ケラーは「見えない」「聞こえない」「話せない」を三重苦と表現しました。はやとがヘレン・ケラーの伝記を読み「三重苦」という言葉を知ったとき、「僕は三重苦なの?」と驚いたように私に尋ねました。私が「自分ではどう思うの?」と逆に質問すると、「3つも苦しさが重なっているなんて思ったことない」と答えたのです。見えないこと、聞こえないことが、幸せの本質の障害になるとは限らないのだと思います。

そしてはやとの幸いは、良き仲間に恵まれたことです。はやとと周りのみなさんを見ていると、共生社会の理想的な縮図だと感じますね。見たことがない光景を見ることができるのはみなさんのおかげだと、たくさんの出会いに感謝しています。

写真撮影:Spotlite(※注釈のあるものを除く)

記事内で紹介した「TOUCH PARK」は、2023年8月6日(日)まで、上野にある東京都美術館「だれもが文化でつながるサマーセッション2023(外部リンク)」内で展示されました。
※現在は終了しています。

この記事を書いたライター

Spotlite編集部

Spotlite編集部は、編集長で歩行訓練士の高橋を中心に、視覚障害当事者、同行援護従業者、障害福祉やマイノリティの分野に精通しているライター・編集者などが協力して運営しています。

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