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ストーリー

「ささやかなことで生活は変わります。視覚障害リハビリテーションの必要性を多くの人に知ってほしいです」吉野由美子さん

公園の桜の木の下で笑顔の吉野さんを撮影した画像。

視覚障害リハビリテーション協会広報委員で高齢視覚障害者リハビリテーション事例研究分科会代表の吉野由美子(よしのゆみこ)さんにお話を伺いました。

自身に目と足の重複障害がある吉野さんは、点字図書館の職員や大学教員として、長年、視覚障害リハビリテーション(以下、視覚リハ)に携わっています。

今回は吉野さんの経歴を中心に、視覚リハに関わるようになったきっかけや現在の課題、これから取り組みたい活動をご紹介します。

略歴

1947年生まれ。 東京教育大学附属盲学校(現:筑波大学附属視覚特別支援学校、以下:付属盲)の小学部から高等部を経て、日本福祉大学社会福祉学部を卒業。 名古屋ライトハウスあけの星声の図書館(現:名古屋盲人情報文化センター)で中途視覚障害者の相談支援業務を行ったのち、東京都の職員として11年間勤務。その後、日本女子大学大学院を修了し、東京都立大学と高知女子大学で教鞭をとる。2009年4月から視覚障害リハビリテーション協会の会長に就任する。2019年3月に会長を退任し、現在は視覚障害リハビリテーション協会の広報委員と高齢視覚リハ分科会代表を務める。

インタビューの中で吉野さんが真面目な表情をしている画像。

インタビュー

ー吉野さんご自身の障害について教えて下さい。
私は、目と足に重複障害があります。視覚障害の方は先天性の白内障です。生後3ヶ月のころ、母が、目が開かず手を握ったままだということに気づき、生後6ヶ月の時から、7回に分けて水晶体の摘出手術を受けました。現在は、良い方の目の視力が0.15のロービジョンで、視野障害はありません。
足の障害は、原因不明で3歳頃から大腿骨が内側に曲がる症状が出ました。手術を3回受けて、杖をついて生活していましたが、68歳の時に骨粗鬆症から腰椎の圧迫骨折をして、現在は電動車椅子で生活しています。10分から15分程度であれば歩くこともできます。


ー吉野さんは、小学校から盲学校に通われたのですよね。
親は、私を普通校に入れようとしたのですが、「受け入れできません」と言われました。 そんな時、親戚の子供さんが盲学校に通っているというのを聞いて、付属盲の始業式か入学式をやっている最中に飛び込んで、「私の娘を学校に入れてください」とお願いしたそうです。当初は、足の障害があるので肢体不自由の学校がいいのではないかと議論になったそうですが、視覚障害に応じた学習支援が必要だということで付属盲に入りました。


ー今と比べて、盲学校の違いはありましたか? 
当時の盲学校は、世間にその存在があまり知られていなかったことと、障害を持っている子供を恥ずかしいものとして世間から隠すという考え方もまだ根強く残っていたので、10歳になってようやく1年生として入学し、1年生を数ヶ月やってから飛び級するという例も多々ありました。「その頃は、目を酷使すると見えなくなる」とか「いずれ見えなくなるのだから」という考え方が一般的で、入学した子供達はすべて点字での教育でした。


ー現在とは大きく異なりますね。

付属盲では、見えない・見えにくいことは当たり前で、見えない・見えにくいことに配慮された生活でした。体育の授業などで、かけっこをすると、みんなゴールに走り込んでいるのに、私は、まだ半分も走れていない。そんな経験から、私は「自分には肢体不自由がある」と認識して、視覚障害については、ほとんど意識していませんでした。 


ー周りに視覚障害者が多い環境だったからこそなのかもしれませんね。
付属盲は、中学部、高等部と進むために厳しい入学試験があり、それに合格した人が全国から集まります。皆、活発で、白杖を使って歩き回っている全盲の人たちをたくさん見てきました。だから、 見えないことは不便だけど、大して重い障害ではないと思っていたのです。私の知っている全盲の人は、達観していて「見えなくてもこの状態で生きていく」という覚悟を持っているように感じました。むしろ私みたいに少し見えている方が、見えにくさはありますが、ちょっと手を伸ばすと障害のない方と同じように動けそうな中途半端さをどのように扱ったら良いのか、戸惑っていたように思います。

インタビュアーの後ろから吉野さんを撮影した画像。

ー付属盲の高等部を卒業後、大学に進学されます。
当時、ほとんどの大学では「点字の受験が認められない」つまり「視覚障害のある者が大学教育について行けるはずがない」というのが、常識とされており「欠格条項」にも記載されていました。「視覚障害があっても大学を受験させろ」という門戸開放運動を、私が高校2年生の頃、付属盲の先生方と先輩達が始めて、私も先輩達に交じって毎週署名を集めに街頭に立ちました。


ー入学試験を受けるまでにハードルがあったのですね。運動の結果、変化はありましたか?

まとまった署名を先生方と父兄が文部大臣(現:文部科学大臣)に手渡し、それがテレビのニュースで大々的に取り上げられました。ちょうど盛んであった様々な改革運動の波に乗って、成果を上げ、文部省(現:文部科学省)から通達が出て、国立大学をはじめ多くの大学で点字受験が認められるようになりました。私は、2年浪人をして日本福祉大学に合格しました。


ー将来、福祉的なお仕事に就きたいと思っていたのですか?
はい、アメリカのドラマで、スラム街の貧困の人を助けるソーシャルワーカーを見て、「こういう仕事をやりたい」と思うようになりました。
自分も重複障害者として生活する中で、色々な困りごとや不公平さを感じることが多々ありました。自分の経験を活かして困っている人の相談に乗り、社会の課題を解決したいと考えていました。


ー盲学校からの大学進学でしたが、スムーズに馴染めましたか?
付属盲では高等部普通科は、1クラス3人だったのが、大学では1学年で400人です。大学生活に欠かせない情報は全て掲示板に貼ってあるだけ、休校の案内等も全然見えません。当時は、70年安保の真っ只中、様々な学生運動のビラが毎日山のように配られ、しかもガリ版刷りで全然読めるような文字ではなくて。勉強用の参考書を私が読むには、点訳してもらうか、テープに吹き込んでもらうしかありませんでした。


ー時代の流れも合わさって、大学入学後に戸惑った様子が伝わってきます。

ITなどがまだほとんどない1970年代ですので1冊読めるようになるには、何ヶ月もかかります。私は、1ヶ月に1冊本を読めればいい方でした。そんな時に、大学の前の書店に行くと、壁一面に専門書が並んでいる。障害のない学生さん達は、これを買ってどんどん勉強しているんだと思って、ひどく焦りました。「大学なんかに行っても食えないよ」と周りからの反対を押し切って入った大学ですが、入学して3ヶ月経った頃には「こんなところでやっていけない」と落ち込みました。


ー大きな環境の変化への対応が難しかったのですね。 

環境の変化などという生やさしいものではありません。激流に翻弄されているみたいでした。すっかり落ち込んでしまった私をみた先輩が、精神障害者福祉を教えている先生のところに相談に行くように勧めてくれました。そこで出会ったのが、後に私の一生の恩師になる窪田先生です。「みんないっぱい本を読んで勉強しているのに」など、私の悩みを相談すると、ゲラゲラ笑われて「障害のない学生のことスーパーマンだと思っているの?そんな1ヶ月に何冊も本を読む学生なんていないわよ。ビラなんて捨てていいの。障害者と健常者ってそんなに違う?」と言われて、とても気が楽になりました。それからも、何かと窪田先生に相談に乗っていただいて、3年生からは窪田ゼミに入り、周りにたくさん協力してくれる友人もでき、まあなんとか大学生活に適応して卒業することができました。

ジェスチャーを交えてお話する吉野さんの画像。

ー就職先はどのような経緯で見つけたのですか?
1974年に私は大学を卒業したのですが、その頃は、視覚障害者が三療(あんま・マッサージ・指圧・鍼・灸などの施術)に従事する以外には、就職できないと言われていました。そんな時に、大学入試の問題の作成や、入学後のテキストや参考書の点訳などで大変お世話になっていた名古屋ライトハウスあけの星声の図書館の岩山光男館長(ご本人も全盲で大学卒)から、「人生の半ばで視覚障害になり、何年も家に閉じこもっていた人がこの頃相談に来るようになった。でも、私には何もできない。あなたは福祉を勉強しているのなら、中途視覚障害者の相談にのってほしい」とお誘いをいただき、点字図書館の職員として仕事をしながら、2年間で延べ50人の中途視覚障害者の相談に乗ることになりました。


ー実際に中途視覚障害者の相談を行われていかがでしたか?

「1人でトイレに行けない」「見えないので歯ブラシに歯磨き粉もつけられない」等と言って、「こんなになるのなら死んだ方が良い」という方達のお話しを聞きながら、私は今まで接してきた視覚障害者との違いに驚きました。最初、どうしてこんなに違うのかと言う意味も分かりませんでした。そのとき、私は先天性も含む幼い頃からの視覚障害者と中途視覚障害者の違いについて、何も知らなかったのです。必死で情報を集め勉強して、中途視覚障害者のための歩行訓練や生活訓練などのリハビリテーションがあることを学び、この視覚障害者のためのリハビリテーションがほとんど世間に知られていないことを実感し、この普及活動を自分のライフワークにしようと決意しました。


ーそこから視覚リハの専門家としてのキャリアが始まったのですね。
当時、日本に入ってきたばかりの視覚リハの考え方や技術を一生懸命に勉強しました。そこで私は、視覚リハの第一の目的は、「見えない・見えにくい状態になっても生きていける」ということを絶望的になっている中途視覚障害の方達に自分自身で納得してもらうことから始まるのだと思いました。見えない、見えにくい状態になること、特に全盲になってしまうことは、視覚に頼り切って生活してきた人に取っては、言いようのない恐怖であります。そこから一歩踏み出してもらうために大切なのは、ちょとしたヒントを与えることだったりします。


ー具体的にはどのようなヒントが考えられるでしょうか?

「歯ブラシに歯磨き粉をつけられないのであれば、自分専用のチューブを持って、口の中に歯磨き粉を入れて、それから歯ブラシを入れて磨いたら」などというアドバイスをします。つまり、視覚を使わなくてもできる他の方法に置き換えることを教えることで「あ、見えなくても生きていける」と思ってもらえたら、後は、一歩一歩、日常生活のできることを増やし、白杖歩行にも挑戦していただくことができます。視覚リハの専門家がその専門知識を駆使して行う提案、そのささやかなことで「見えない・見えにくい人たち」の生活は確かに変わります。


ーたしかに「リハビリテーション」というとどうしても難しいというイメージがあるかもしれません。

我が国では、視覚障害者だけでなく障害者に対する福祉サービスやリハビリテーションは「経済的な自立を目指すことを目標とする」という考え方が、1970年代前半までありました。そのため、視覚障害者に対する歩行訓練や日常生活訓練は、職業訓練の前段階として、施設でおこなわれていて、主婦や高齢者などは、訓練対象にならない時期が長く続きました。


ーそのような制度が変わるきっかけはあったのでしょうか?
ノーマライゼーションの考え方や国際障害者年の考え方が日本にも影響を与えたことで、サービスの範囲が広がってきました。そこから徐々に、日常生活を豊かにするための訓練という認識が生まれてきました。今は、視覚障害者の7割以上が高齢者です。経済的な自立はとても大切なことですが、それだけでなく、QOLの向上を目的にした高齢視覚障害者に対するリハビリテーションの方法の確立やその普及も大切になってきていると私は思っています。

電動車椅子で公園のスロープを登る吉野さんを後ろから撮影した画像。

ー視覚リハを普及する中で、課題はどのようなところにあると考えていますか?
歩行訓練や日常生活訓練の方法や技術は、視覚障害だけの単一障害の方で、若年から中高年の方のために開発されたものを基礎にして発展してきました。また、社会では「視覚障害者=全盲」というのが常識で、「見えなくなったら何もできない」と言うのも世間の常識になっています。


ー世間の認識とズレがあるということでしょうか。
法律上視覚障害者と認められて手帳を所持している人は、31万人足らずで、我が国の人口のほんの一握りだと政府も考えています。実は、見えにくいけど手帳が取れない方や高齢の方で介護保険などのサービスを受けていて手帳を取れない方なども入れると、160万人以上の人が、見えない・見えにくいことで生活に困っています。「見えにくい人」のことについては、ほとんど理解が進んでいないのです。これらすべての条件のもと、視覚リハというものがあり、それを行う専門家がいて、リハを受けた人たちの生活はとても良くなるなどということは、社会にはほとんど知られていません。


ーまずは正しい情報を知ってもらうことが重要なのですね。それを踏まえて、これからの視覚リハに必要なことはなんでしょうか?
歩行訓練士(視覚障害者生活訓練指導員)は、日本全国で実働しているのが500人ほどです。「対象者の数が少ない」「需要がない」「視覚リハって何をするの」という声があるなど、とにかく知られていないので、障害者福祉や高齢の方の様々な対策、災害の時の備えを行う時など、すべての社会的な連携の中から視覚リハは外れてしまっています。そこで、まず私たち専門家が視覚リハの存在と効果を積極的に社会に啓発し、高齢視覚障害者や重複の視覚障害者にも役に立つ方法や技術を蓄積していかないといけないと思うのです。視覚リハの存在を知り、その効果を理解してくださる多職種の専門家に働きかけ、当事者の方、関係者の方と連携して行くことが必要だと思います。


ー国の制度や見え方の理解など、幅広い視点で捉える必要がありそうですね。
さらには、医療機関との連携も欠かせません。先程、視覚リハは全盲の方の訓練として始まったと言いました。全盲の方は、眼科では治療ができなくなった方と言えます。だから、いわゆる麻痺や、骨折や脳梗塞等のリハが、医師の主導によって導入されたのと違い、視覚リハは、医療とつながらないところで行われていました。


ー全盲の方を中心に考えると、確かに医療との連携が難しそうですね。

それではいけないと気づいた先進的な眼科医もおられました。順天堂大学病院の若松先生がご自身の病院内で視覚障害者に歩行訓練をおこなった例などが有名です。少しずつ理解が進み、眼科医の中でも治療だけではなく、少しでも快適な生活ができる方法を考えようという考え方が広がってきています。ロービジョン外来やロービジョンケアの広がり、医療と福祉などの連携を図るためのスマートサイトも普及してきています。今が医療と連携しておこなう視覚リハを確立するチャンスだと思います。

インタビューに答える吉野さんを横から撮影した画像。

ー視覚リハを取り巻く環境も少しずつ改善されているのですね。今、中途視覚障害者で悩んでいる人へ伝えたいことはありますか?
「見えなくなったら一人では何もできない」「諦めるしかない」というのが、残念ながら一般社会の常識になっています。そして、視覚障害になったらどうすれば良いのかという情報があまりにも少なすぎます。そこで、私の属している視覚障害者リハビリテーション協会では、ホームページにこんな標語を掲げています。『「見えない」「見えにくい」そんなあなたの未来を応援! 私たちは、福祉・教育・医療が連携して、視覚障害者を支援します』
見えない・見えにくい方に役立つ情報を掲載していますし、各地域で、見えない・見えにくい方達を支援するためにおこなわれているイベント情報も掲載しています。※ホームページはこちら(外部リンク) 


ー積極的な情報発信をされているのですね。

そうなのです。しかし、高齢の方などは、ネットで情報を集めるのは難しいかもしれません。だからこそ中途視覚障害者の家族の方、関係者の方にも、諦めずに情報を探して見てほしいと強く思います。こんな情報ではとても足りないのは良く分かっていますが、まずアクセスしてみてください。


ー情報にアクセスすることで、何か行動を起こすきっかけになればいいですね。

「訓練なんて若い人が対象なんだろう」などと諦めてしまわずに、ぜひ電話をかけて、聞いて見てください。ちょっとした出会いから、道が開けることがあります。最近は、視覚障害当事者の方達もいろいろな形でネットからたくさん情報を流すようになりました。「こんなことがしたい」ということをキーワードにして探してください。すぐにピタッと自分に合う情報は見つからないかも知れませんが、何かヒントが見つかると思います。決して諦めないでください。


ー視覚リハに関する情報を探す時のコツはありますか?
ネットでは、「視覚障害リハビリテーション」「視覚障害の方の就職」「ロービジョンケア」や「スマートサイト」等のキーワードで探してみてください。
いつもかかりつけの眼科の先生に「治るか治らないか」ということではなくて、「眼鏡を変えてみたら見えやすくならないでしょうか」「眩しさをやわらげることはできないでしょうか」というような自分の困りごとに目を向けた質問をするのも良いと思います。


ーこれから吉野さんが取り組みたいことを教えて下さい。
高齢視覚障害のリハビリテーションに重点を置いて活動したいです。「見えにくくなったのは年のせい」「お迎えが来るまでの我慢」「今更パソコンなんてできないし」等などと諦めている当事者、「私たちが面倒を見るから」と言って、保護してあげることが良いと考えている家族や介護関係者の方達に、視覚リハの存在を示し、その効果を理解していただけるような、啓発活動などを中心におこなって行きたいと思っています。


ー少子高齢化の日本では、高齢の視覚障害者への支援はますます重要になりますね。
私が点字図書館に録音図書があることを紹介した、70歳後半の時代小説を読むのが趣味だと言っておられた男性が「見えなくなって死ぬことばかり考えていたけど、こんなに沢山時代小説が聞けるなら、これ全部聞き終わるまで死ねない」と言ってくれました。こんなささやかな情報を届けるだけで、生きる希望を持てる方がいます。そういう方達にもれなく視覚リハの情報が伝えられるようになるように、講演など発信活動をして行きたいです。どんな年齢でも視覚障害になることは、つらいことですが、生きていく喜びを一緒に見つけ出せる方法があります。それをいろんな方達と協力して普及していきたいです。

公園の道の真ん中で電動車椅子に乗っている笑顔の吉野さんの画像。

お問い合わせ

視覚障害リハビリテーション協会のホームページはこちら(外部リンク)

吉野さんの日常の様子などを記したブログもぜひご覧ください。

ブログ:吉野由美子の考えていること、していること(外部リンク)

吉野さんは講演依頼などを随時受け付けています。ご希望の方は下記までお問い合わせください。

メール:yumiko-yoshi@nyc.odn.ne.jp

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Spotlite編集部

Spotlite編集部は、編集長で歩行訓練士の高橋を中心に、視覚障害当事者、同行援護従業者、障害福祉やマイノリティの分野に精通しているライター・編集者などが協力して運営しています。

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