背景を選択

文字サイズ

編集部から

800gで生まれた次女。「目に注射をするかも」と言われたとき、これまで出会った人たちの顔が浮かんだ【代表コラム】

大人の左手の上に、赤ちゃんの左手が重ねられている写真。

7月下旬、娘がNICU(新生児集中治療室)を退院しました。

4月に生まれる予定だった娘は、去年12月、800gほどの小さな体で生まれました。

心臓の手術、お腹の手術、未熟児ならではのさまざまな検査。約7か月をNICUで過ごし、ようやく家族4人での生活が始まりました。

多くの方に励ましの言葉をいただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

娘が退院して私が一番感じた変化。それは、人と比べなくなったことです。

娘が生まれたときのことは、以下のコラムでもお読みいただけます。

「自分とは少し違う」体験談を読めなかった

娘が生まれてから、私はインターネットで体験談を探しました。

「700gで生まれました。」「1200gで生まれました。」「NICUを卒業しました。」そんなタイトルを見つけては、読んでみました。

でも、不思議なことに、そのときの私には最後まで読める記事はほとんどありませんでした。

「1200gか。うちの子より大きい」「700グラムでも手術してないのか。たくましいな」

心の中でそんな独り言を言いながら、「自分とは少し違う」と感じて、ページを閉じました。

今思えば、自分とできるだけ近い境遇の人を探していたのだと思います。安心したかったからなのか、自分の未来を重ねたかったからなのか、理由はよく分かりません。

スマートフォンを見ている視覚障害者を肩越しに写した画像。スマートフォンの画面にはSpotliteのサイトが表示されている。

「目に注射をするかもしれません」

入院中、一時期、未熟児網膜症が進行している予兆があると言われました。

「このままの様子であれば、来週あたり薬を目に注射して、進行を抑える治療を行います」

医師からそう説明を受けました。その後、眼の状態は落ち着き注射はせずに済みました。今後は定期的に眼科を受診することになりました。

私は視覚障害者と関わる仕事をしています。しかし、家族や親戚に視覚障害者がいるわけではありません。だから、それまで視覚障害は「身近」ではあっても、「家族のこと」ではありませんでした。

「目に注射をするかもしれない」と聞いたあとの数日間は、視覚障害が急にすぐ隣にやってきたような気がしました。しかし、不思議だったのは、そのとき自分が絶望していたわけではないことです。

「もしそうなったら、面白い人生になるかもしれない」

そんなことを思った記憶があります。

もちろん、不謹慎な意味ではありません。視覚障害者と関わる中で、一人ひとりがそれぞれの人生を歩んでいることを教えてもらっていたからです。

ある社員が入社して気づいたこと

今年5月、私たちの会社に一人の男性社員が入社しました。

履歴書には約1年間のブランクがありました。話を聞くと、その間に奥さんをがんで亡くされ、小さなお子さんを育てながら生活していたそうです。

ひと区切りついて、「もう一度働こう」と思ったときに応募してくれたのが、うちの会社でした。

その話を聞いてから、私はしばらくその社員のことが頭から離れませんでした。もし自分が同じ立場だったら……。もうすぐ2歳になる長女の顔を見るたびに、簡単には想像できない日々を過ごしてきたのだろうと思います。

私自身、未熟児で生まれた娘の通院や、妻の体調、会社のことなど、「いろいろ重なるな」と感じていました。それはそれで非日常の連続でした。でも、その社員の話を聞いて、自分の世界だけを見ていたことに気づきました。人はそれぞれ、見えないところで何かを背負っています。

だから私は、「大変」という言葉を、自分に対しても誰かに対しても、簡単には使わなくなりました。その人にとっては、それが毎日の暮らしだからです。

家庭の事情を採用や評価に持ち込むことはありません。仕事は仕事です。だからこそ、「この会社なら安心して働ける」と思ってもらえる場所でありたいという気持ちが強くなりました。

私を一番勇気づけてくれたのは、同じ境遇のNICUの家族ではなく、一人の社員の姿でした。

娘は娘の時間を生きている

NICUの保育器の中の、細く小さな手が高橋さんの右手人差し指の先を握っている。指三本で第一関節のサイズと同じくらいの小ささ。
(写真提供:筆者)

娘は今年の4月に生まれる予定でした。

予定より早く12月に生まれた娘と同じ学年になるのは、昨年4月から今年3月に生まれた子どもたちです。もう1歳を過ぎている子もいます。歩いていてもおかしくありません。

一方、娘は修正月齢(本来生まれる予定だった月から数える方法)では3か月。現在の体重は3,700gほどです。一般的な3ヶ月の女の子は、約6キロだそうです。もし予定通り生まれたなら、今頃もっと大きくなっていたでしょう。

これから保育園や学校へ行けば、予定より早く生まれた娘は、1年飛び級でクラスに入るようなものです。周りより小さい時期がしばらく続くでしょう。

でも、不思議と焦りはありません。娘は娘の時間軸で成長しているからです。

誰でも「マイノリティ」のときがある

以前、医療的ケア児を育てるお母さんから、「喉元にはいつも違う熱さがある」という言葉を聞きました。

本当に、その通りだと思います。心臓の手術が終わったと思ったら、次はお腹の手術。少し落ち着いたと思ったら、また新しい検査。ジェットコースターのように、次の出来事がやってきます。でも、そのおかげで出会えた人もたくさんいました。NICUで働く医療者。医療的ケア児を育てる家族。

そして、私と同じように誰かの体験談を探している親御さん。

これまでの私は、「視覚障害者というマイノリティに関わる仕事」をしていました。今は、「マイノリティの家族」という立場も加わりました。

病気、障害、介護、子育て……誰でも、マイノリティになる瞬間が突然やってくるかもしれません。まそのことでつらくなったときに必要なのは、正解を教えてくれる人や、「私もそうでした」と励ましてくれる人ではなく、少数派の人生を当たり前に生きている人のありのままの姿なのだと、私は思います。

もし、この文章が、数か月前の私のように、同じ境遇の誰かを探している人へ届いたら嬉しいなと思い、このコラムを書いています。

Spotliteも、視覚障害だけではなく、マイノリティの立場になった人に必要な、誰かのありのままの姿を届けられるメディアでありたいです。

こらまでの記事は、以下のページからご覧いただけます。

アイキャッチ写真素材:Unsplash
記事内写真撮影:Spotlite(※注釈のあるものを除く)
編集協力:株式会社ペリュトン

この記事を書いたライター

高橋昌希

1991年香川県生まれ。広島大学教育学部卒業後、国立障害者リハビリテーションセンター学院修了。視覚障害者のための福祉施設での勤務を経て、ガイドヘルパーの仕事を行う。教員免許(小学校・特別支援学校)を保有。歩行訓練士。Spotlite発起人。

他のおすすめ記事

この記事を書いたライター

この記事を書いたライター

高橋昌希

1991年香川県生まれ。広島大学教育学部卒業後、国立障害者リハビリテーションセンター学院修了。視覚障害者のための福祉施設での勤務を経て、ガイドヘルパーの仕事を行う。教員免許(小学校・特別支援学校)を保有。歩行訓練士。Spotlite発起人。

他のおすすめ記事