視覚障害のあるランナーに伴走し、並走しながら進行方向や周囲の状況を伝える役割を担うのが「ガイドランナー」です。山梨学院大陸上競技部元監督の上田誠仁さんは、地元で初開催されたかがわマラソン2026で、2名の視覚障害者ランナーへのガイドランナー派遣を行いました。
長年にわたりトップレベルで競技と向き合い、箱根駅伝総合優勝3回などの輝かしい成績を残した駅伝界のレジェンド・上田さんが、なぜ視覚障害者のマラソンに関わるのでしょうか。その背景にあった経緯や緻密な準備、指導哲学、そしてスポーツを通じた共生のあり方についてお話をうかがいました。
上田誠仁(うえだ・まさひと)さんプロフィール
1959年香川県生まれ。順天堂大学在学中、箱根駅伝5区を3度走り、区間賞を2度獲得。チームの総合優勝に2度貢献した。卒業後は香川県で教員を務めたのち、山梨学院大学陸上競技部監督に就任。指導者として箱根駅伝で3度の総合優勝へと導く。山梨学院大スポーツ科学部教授を2026年3月に定年退職。現在もスポーツを通じた人材育成に携わっている。

「走れること」の意味を問い直す。ガイドランナーとの出会い
ー上田さんは、長く競技のトップレベルで活躍されてきましたが、視覚障害者のマラソンに出会ったのはどのようなきっかけでしたか?
2018年頃、視覚障害のあるランナーの方とご縁があり、娘と一緒にガイドランナーの体験をさせていただきました。はじめは、当時中学3年生だった娘が興味を持っていて、私もついていったのです。
そのときにこんなお話を聞きました。「どんなに天気がよくても、花が咲いていても、気持ちのいい気候であっても、一緒に走ってくれる人がいなければ自分は外を走ることはできない。自宅のルームランナーで走るしかないのだ」と。
私は、長距離走の良さは、花鳥風月をともにして風や季節、草木の移ろいを感じながら走れることだと考えてきました。勝負にこだわってそれを見逃すのはダメだと、連載しているコラムにも書いてきています。
ただ、それはあくまで健常者の視点でしかありませんでした。視覚障害や聴覚障害のある方、車椅子を利用されている方には、まずその環境を味わうこと自体が難しいという不自由さがあるのです。「選手を育てる」という視点の中で、まだ自分に欠落している部分があったのだと気づかされました。
ー価値観が大きく揺さぶられたご経験だったのですね。そこから、どのようなアクションをされましたか?
ガイドランナーの講習会に参加し、私自身も見えない状態や視野が狭くなる状態で走る体験をしました。これが、想像していたよりも怖かったのです。一方で、ガイドランナーが適切に誘導し、視覚障害のある方に心を寄り添わせることができれば、歩いたり走ったりすること自体はできることも実感しました。
そうした経験があった中で、今回、地元で初開催となったかがわマラソン2026で、ガイドランナーを探していると聞きました。ちょうどその頃、山梨学院大の卒業生と食事をする機会があったので、「こういう話があるけど、やってみないか」と声をかけたところ、「ぜひ挑戦させてください」と応えてくれました。私がこれまで体験したことも伝えながら、今回の伴走支援につながっていった、という流れです。

かがわマラソンに向けて。ガイドランナー体制の舞台裏
ー今回の伴走に向けた準備で、気をつけたことや意識したことはありますか?
マラソンは、外気温や風向き、高低差といった条件をいかに把握してペースを組み立てるかが基本になります。それを知らないまま走ってしまうと、きつい登りが控えているのにペースを上げてしまったり、道幅が狭くなることに気づかず危険な状況をつくってしまったりします。
ガイドランナーの場合は特に、適切な声かけや判断ができるかどうかが、選手の安全やパフォーマンスに直結するので、その責任はより大きいと感じています。
かがわマラソンの前に開かれた香川丸亀国際ハーフマラソンに帯同した際も、レースの前日の早朝に車を借りて全コースを視察しておきました。マラソンの前に合流するガイドランナーにコースの特徴を説明するためです。
ガイドランナーはレースの前に一度コースを試走しておく必要があります。登り下りの状況だけでなく、路面の凹凸や舗装路面の状態なども知っておく必要があるからです。
今回もガイドランナーが現地入りした日に、担当するハーフの距離を試走するように計画を立てました。視覚障害を持ったランナーはマンホールや路面の亀裂や継ぎ目など、健常者ランナーは気にすることなく走れる変化も、つまずいたり転倒する危険性があるからです。実際に試走することでそのような変化を把握し、コース取りやランナーに伝えることが可能となります。
ー マラソンに対する専門的な知識が大切になってくるのですね。
さらに今回は、自分たちで伴走体制を整える必要があったので、走ること以外の準備も重要でした。当日は交通規制がかかる中で動くことになるので、公共交通機関を使って事前に現地に入り、待機しなければいけません。
公認レースであれば、何キロ地点で交代するのか、どこにウェイティングエリアがあるのか、トイレはどこにあるのか、といったことは整備されています。ただ今回は、「この地点の施設は使える」「このガソリンスタンドのトイレが使える」といったことも含めて、自分たちで一つひとつ確認していきました。待機場所についても、自分たちで使用許可を得ています。
また、後半ガイドランナーの移動や走り終えたガイドランナーの帰路などを含めて、導線計画を立てました。最終バスの案内や、徒歩でどのくらいで移動できるのか、どこから迂回路に出られるのか、といった情報も事前に整理しました。
今回、知識やランニング経験がある人であれば、前日に入ることで十分対応できるということがわかり、すごく安心しました。

障害者スポーツを、良い意味で「普通」にする
ー今後、視覚障害者の参加するマラソン大会がより良くなっていくために、どんなことが必要でしょうか?
ガイドランナーをあらかじめ運営側で確保しておき、視覚障害のある方が希望すれば伴走者を手配できる、 という体制をとれるといいと思います。すべてを特別なものにする必要はありません。基本的には健常者と一緒でいいのですが、安全性や危険性に配慮し、無理なく参加できる環境を整備することは必要です。
視覚障害に限らず、下肢に障害のある方や聴覚障害のある方など、さまざまな背景を持つランナーが安心して走れる環境を、徐々に整備してもらえたらいいなと感じています。
また、そうした取り組みをしっかりと啓蒙・告知していくことも必要です。ガイドランナーとともに走る選手の存在を知ってもらい、応援し、理解を深めてもらう。スポーツには発信力があるので、みなさんに知ってもらいやすいです。
瀬戸内の風を感じるのは、健常者の特権ではありません。いろんな障害のある方も、足が速くてもそうでなくても、それを感じられる環境が整備され、みんなが応援して支えている。そういうスポーツ文化が醸成されていくといいですね。
ー障害者のスポーツ全般に関して、どんなことを考えていらっしゃいますか?
過去に、私たちが大学の練習をしていた競技場でこんなことがありました。夜に時間を延長して使わせてもらっていたら、車椅子競技で活躍している選手が、私たちが練習を終えるのを待って、その後に練習をしていたのです。「特別な配慮で、こんな時間に使わせてもらえるなんて本当に感謝です」と言っていて、私はハッとさせられました。特別な配慮がないとできないのか、と。
もちろん、学生ががんがん練習しているトラックに混ざって練習するのは危険かもしれませんが、「1コースと2コースを使います」などと共有して、私たちがサッと開けるなどの工夫は十分にできます。障害のある人が、特別な配慮ではなく日常的に使えるように、もうひとつ先に行かなければならないのではないかと思いました。

ーメディアでは、障害者のスポーツを「壁を乗り越えて何かを達成している姿」として取り上げられがちです。それもいいのですが、スポーツの価値は他にももっとあるように感じてしまいます。
障害を乗り越えている姿ばかりを称えていると、「乗り越えなければいけないもの」と思われてしまって、ものすごく苦しく、不自由になってしまうと思います。障害のある方の多くは、スポーツを特別なものとして祭り上げてほしいわけでもありません。あくまでも「スポーツを楽しみたい」という純粋な気持ちです。それならば、私たちも一緒に楽しむことがまず大事なのではないでしょうか。
今回、ガイドランナーで走ってくれた卒業生たちも、「楽しかった」と振り返っていました。「俺がサポートしてやっている」という態度ではなくて、「一緒に楽しみましょう」と、ともに楽しめればいいなと思っています。
スポーツは、競うだけのものではなく、「する・見る・支える」という関わりの中で成り立つものです。競争から共創へ。選手だけでなく、運営やボランティア、そして応援する人たちも含めて大会をつくり上げていく。その中で、多様な人たちに対して多様な声援を送る文化が育っていってほしいと願っています。
3つの言葉に込めた、指導哲学と願い
ー上田監督がこれまでの長年の指導で大切にしていることは、どんなことですか?
指導で大切にしていることは3つあり、毎年、手帳の裏表紙に書き留めています。
1つ目は「疾風に勁草を知る」。強い風が吹いたときにこそ、その人の本当の強さがわかるという意味です。竹のようにしなっても、復元力のある強さを持つ選手、人間になってほしい。そういう願いを込めています。
2つ目は「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」です。京都にある大徳寺の住職・尾関宗園(おぜきそうえん)さんの言葉で、高校生の頃に出会いました。努力というものは、誰も見てくれないし、なかなか評価もしてもらえない。でも、そういった努力をしていると、やがて来る春に、花を咲かせることができます。
そして3つ目は、戒めの言葉としての「おごるなよ 丸い月夜も ただ一夜」。これは、山梨学院大で指導を始めて2年目、箱根駅伝の予選会を通過しておいおい泣いていたときに、「予選を通過しただけでその調子では、今回限りになるぞ」と、ある方からかけられた言葉です。耳の痛い言葉でしたが、ふと我に返って、本当にその通りだと。
厳しいことを言われたときに、自分がそれをどう捉えるかで、人生は変わる。選手にも伝えていることです。

ー最後に、陸上競技などのスポーツをしている方に向けたメッセージをお願いします。
これまで長くスポーツに関わってきて感じているのは、やはり「まだまだわかっていないことが多い」ということです。いろいろ学び、キャリアを重ねても、知らないことや気づけていないことがあります。中国の礼記に、「学びて然る後に足らざるを知り、教えて然る後に 困しむを知る」という言葉があります。いつも新鮮な気持ちでいろんなものと向き合うことが大事なのだと考えています。
人生において、何が起きるかは問題ではありません。それをどう受け止めて活かすかが重要です。過去は変えられなくても、自分と未来は変えられます。そのことを忘れずに、前向きに取り組んでいってほしいですね。
スポーツは、多様な人の存在を広められるよい機会でもあります。障害者を「サポートしてあげる」のではなく、一緒に走り、楽しむ。良い意味で「普通」な感じがいいと思います。そういう関わりの中で、自然と理解が深まっていく。スポーツには、そういう力があると思っています。
記事内写真提供:上田誠仁さん
編集協力:株式会社ペリュトン