「ニューデリー2025世界パラ陸上競技選手権大会」の100m、視覚障害T12クラスで、銀メダルに輝いた久野竜太朗さん。
意外にも、陸上を本格的に始めてから約3年しか経っていません。ニューデリー大会がはじめての国際大会だったといいます。久野選手の陸上競技との出会いや原動力、今後の目標などをお聞きしました。
久野竜太朗(くの・りゅうたろう)さん プロフィール
パラ陸上競技男子100m・T12クラス。シンプレクス・ホールディングス株式会社(本社:東京都港区)所属。1999年3月8日生まれ。愛知県出身。現在も愛知県を拠点に活動している。小学校2年生のときに網膜色素変性症の診断を受ける。地域の普通校を経て工業高校を卒業後に就職。その後、症状が進行し20代で盲学校に入学。盲学校卒業後の2023年から本格的に陸上競技をはじめる。2025年9月27日〜10月5日にインドのニューデリーで開催された「ニューデリー 2025 世界パラ陸上競技選手権大会」で銀メダルを獲得。
ニューデリー2025世界パラ陸上で銀メダル

「当時は、2位だった悔しさの方が強かったです。一緒に走って金メダルの選手との差が明確にわかってしまった」
2025年、ニューデリーでの世界パラ陸上で銀メダルを獲得したときの感想を聞くと、はっきりとそう答えた久野さん。それでも、その後うれしさもわいてきたといいます。
「周りの方がとにかく喜んでくれました。家族や友人は『おめでとう』と言ってくれましたし、面識のない方からも『勇気をもらいました』と言ってもらえることがうれしかったです。目指していた存在に自分が近づけているのかもしれないと感じました」
久野さんにとって、2025年の世界パラ陸上が初の国際大会でした。しかも、現地到着後に受けたクラス分けでT13からT12にクラス変更になります。
「不安はなかったです。当時は『やってやるぞ』という気持ちが強かった。ただ、T13のクラスには福永凌太選手と川上秀太選手がいます。2人とも同い年で尊敬もしているので、いつか世界で一緒に走りたいと思っていました。それがかなわなくなったのは残念でした」
また、T13は1レース8人出場に対してT12では4人出場です。予選を2位のタイムで通過して決勝に進出した時点で「メダルがほぼ確定」の状態でした。そのときも「プレッシャーよりも『やるぞ』という気持ち」だったといいます。
結果は初の国際大会でアジア記録タイの100m10秒91。2位に輝きました。
(※クラス変更などの関係で、正式なアジア記録としては登録されていません)
参考PDF:2025年度版 日本パラ陸上競技連盟 クラス分け説明表(トラック・跳躍)(外部リンク)
T13クラスの福永凌太選手の寄稿記事は以下のリンクからお読みいただけます。
「ずっと帰宅部で体育の成績は3」20代で陸上と出会う
そんな目覚ましい活躍とは裏腹に、「ずっと帰宅部」「体育の成績は3だった」という久野さん。小学校時代にリレーの選手に選ばれたことはあったそうですが、「クラスで一番ということはなかった」といいます。そんな久野さんが陸上競技をはじめたきっかけは、20代で入学した盲学校でした。
「僕は地域の普通校で育ってきたので、身の回りに視覚障害者がいなかった。高校卒業後に就職してから2年ほどして目の症状が進んできて焦りました。『視覚障害者はどんなふうに働いているのだろう?』とネットで調べて、直接連絡をして話を聞きに行っていました。
そんな中で、盲学校に通うとあん摩マッサージ指圧師の国家資格が取れるという事を知り、『将来のためにはこれしかない』と、盲学校に入ることにしました。当時は前向きな気持ちというより、何かしなくてはいられない感覚でした」
盲学校に入学後、久野さんは寄宿舎に入ります。そこで自分より視覚障害が重い子どもたちが、音楽やスポーツに打ち込んでいる日常の姿を肌で感じました。
「たくさん人懐っこい子どもたちがいました。食事のときにどんなおかずが好きだとか何気ない話をしたり、見えにくいけれど絵を描いて見せてくれたり、電車が好きだと話してくれたり、子どもたちの方から僕に話しかけてくれました。5~6人で入れる広さのお風呂があるのですが、一緒に入ろうといって手を引いて行かれて……」
久野さんは、視覚障害のある子どもたちと生活をともにする中で、自分が経験してきた晴眼者の子どもたちの生活とも似た、日常の姿を知りました。同時に、自分の子ども時代との違いも感じたといいます。
「僕は子どもの頃には日常生活に不便がなかったので、地域の学校に通って遊びたいときに友達とどこでも遊びに行っていました。
でも、盲学校で接した子どもたちは、大人がよかれと思って提案したルールの中で、自分の好きなタイミングで好きなことをできない場面も多い。また、将来自分が働くイメージが湧かず、将来の夢を持てないと話す子もいました」
盲学校で、久野さんは「運動部」に所属していました。さまざまなスポーツに取り組む部活動です。運動部で参加した陸上大会の100mで優勝したとき、子どもたちが本当にうれしそうに喜んでくれたことが、陸上を志すきっかけとなります。
陸上で自分が活躍し、視覚障害のある子どもたちにとっての「目標」や「あこがれ」になりたいという思いが強くなりました。そして、卒業と同時に競技に本格的に取り組むために所属先を探す中で、現在所属するシンプレクス・ホールディングスが応えてくれました。
「当時は、試しに出た健常者の大会での100m11秒29というタイムしか実績が無かったのですが、そのタイムで『世界を狙えます』ということと、子どもたちへの思いを話して、採用していただけました」

世界一を目指して「アジアで負けている場合じゃない」
初の国際大会で銀メダルに輝いた久野さんですが、網膜色素変性症は進行性の病気です。現在、日中は白杖を使わずひとりで移動することも多いそうですが、将来的に全盲になる可能性もあり、「今後は日常での同行援護の利用も考えている」と話します。
競技面においても、ニューデリー大会では直前のクラス変更も経験しました。現在のT12クラスでは伴走者なしでも出場できますが、病気が進行してT11になるとアイシェードの装着と伴走者が必須になります。伴走者探しを考えていかなければなりません。
日本パラ陸上競技連盟のスタッフによると、久野さんのタイムで伴走者を付ける場合、健常者の大会で日本代表やオリンピック出場レベルのタイムが出せる選手でないと条件に適合しないそうです。それは、久野選手がパラ陸上で世界のトップレベルで戦える選手だからこその難しさでもあります。
伴走者だけでなく、コーチを探すことも課題です。
「僕は競技経験が浅く、これまで独学と我流でやって来ました。世界一を目指して、今はまずコーチを探しています。
練習手法や相性が合うことはもちろん重視しています。ただ、障害に理解がある方がより良いと考えています。僕は視野が狭く、日常の練習でも誘導がないと他の選手と衝突してしまう危険があります。また、夜盲があり暗くなると練習強度が落ちます。それらも踏まえて、慎重に探しています」
久野さんは、「伴走者もコーチも金銭面の課題もあるんですよね……」と笑いながらも真剣に話してくださいました。
2025年は大躍進で、今後のさらなる活躍が期待される久野竜太朗選手。これからの目標や予定もうかがいました。
「2026年の初戦は、この春に開催のジャパンパラ競技大会です。陸上競技は地元愛知県の名古屋市で5月16日と17日開催です。
また、10月にはこちらも地元愛知でアジアパラ競技大会があります。今は世界大会での金メダルを目指しています。アジアパラで負けている場合じゃない。優勝しか考えていないです」
最後に視覚障害のある子どもたちへのメッセージを聞きました。
「障害があっても、不便はあるけど不幸じゃない、と伝えたいです」

各大会日程など詳細は下記の公式サイトで最新情報をご確認ください。
- 2026ジャパンパラ競技大会・陸上競技:陸上|ジャパンパラ競技大会(外部リンク)
- 愛知・名古屋アジアパラ競技大会:アジアパラ競技大会(外部リンク)
取材・執筆:aki
写真提供:一般社団法人 日本パラ陸上競技連盟(※注釈のあるものを除く)
編集協力:株式会社ペリュトン