今回は、私が視覚障害者と接する中での体験談のなかでも、失敗してしまった経験を中心に、いくつかお伝えします。
今でも数え切れないほど失敗しながら、少しずつ、視覚障害者との関わり方を学んでいます。視覚障害者と接することの楽しさと奥深さが伝われば嬉しいです。
私が視覚障害者と関わるようになったきっかけは、以下の記事からお読みいただけます。
餃子をヒタヒタにした夜

まずは、視覚障害者との関わりの根本になっているエピソードをご紹介します。
ゴールボールの練習後、仲間たちと中華料理店に行ったときのことです。私は気を利かせて、視覚障害者の仲間のために、しょうゆと酢とラー油のバランスを聞きながら、完璧な餃子のタレを作り、そこに餃子を浸して渡しました。
「完璧なサポートができた」と内心でドヤ顔をしていたら、「おお、タレに入れてくれたんだ。自分でつけて食べたかったんだけど、まあいいや」との一言。
タレにつけて食べるという動作も、その人にとっては楽しみの一部であり、自分の好きなタイミングで、好きなだけタレをつけて食べたかったのです。
気を利かせたつもりが、視覚障害者の楽しみを奪ってしまった。大きな気づきでした。
後日、別の視覚障害者と餃子を食べに行ったとき、「餃子とタレは別々がいいですか?」と聞くと、「一緒にしてくれたほうが食べやすいから、タレに入れちゃって」と言われました。
餃子のタレの割合が人それぞれ違うように、食べ方もまた人それぞれ。「こうするべき」ではなく、「どうしたらいいですか?」とまず聞くことが、いちばんの気配りなのだと学びました。
バスに乗り間違えた新人ガイド
ガイドヘルパーを始めて間もない頃。利用者さんと一緒に、ある講演会の会場へ向かうため、バスを利用することになりました。
私は「来たバスに乗れば目的地に着く」と単純に考えて、行き先をろくに確認もせず乗り込みました。
しかし、バスはどうも違う方向へ。異変に気づいたのは、隣にいた視覚障害の利用者さんでした。「ん?このバス、なんか違くない?」という一言で慌てて次の停留所で降車しました。その方は講演会の講師として現地に向かう予定で、もう時間ギリギリ。
タクシーを拾うために慌てて移動しながら、ふと横を見たときの険しい表情の彼の横顔は、今でも鮮明に覚えています。なんとかタクシーで目的地まで向かい、ギリギリ間に合いました。

案内される側になった大阪駅
そもそも私は高校卒業まで、四国の香川県で過ごしていました。電車やバスはあるものの、路線や本数が限られており、基本的に車社会です。友達と遊びに行くのは徒歩か自転車、家族と出かけるのは車ばかり。電車やバスに乗った記憶は数えるほどしかありません。
東京に出てきて最初に驚いたのは、「駅は1つじゃない」ということです。
JR新宿駅には改札が5つ以上あり、改札を出て歩いているはずが、「新宿駅」という入口を何個も見かけるのです。「え、新宿駅ってそんなにたくさんあるの?」と戸惑ったのを覚えています。その上、スマホの乗換案内で「西武新宿駅に乗り換える」という案内を見て、さらに混乱しました。
JR新宿駅の駅員さんに「西武新宿駅って、何番ホームですか?」「なぜ、同じ新宿駅なのに改札を出るのですか?この改札を出て大丈夫ですか?」と、聞いていたレベルです。
1つの駅で改札が複数ある上に、鉄道会社が違うと乗り場も改札も変わるという複雑なシステム。地方出身の自分にとっては、迷路の中をただ右往左往する毎日でした。
それでも都会に慣れて、いろいろと失敗を重ねながらも、少しずつ私は「誘導する側」らしくなってきた。そう思っていた矢先です。大阪駅で、全盲の友人に道案内されるという出来事がありました。
目的地は駅から徒歩10分ほどのカフェでした。彼は迷いなく「右の通路をそのまま進んで、エスカレーターを上がると近いよ」と、私を導いてくれました。途中の分岐で「僕、これで合ってますか?」と尋ねると、「うん、合ってるよ」と即答です。正直、スマホのナビよりよほど頼りになる誘導だったので、「ごめんなさい、そのままお願いします」と伝え、彼の案内に頼ったまま、すんなり目的地に到着しました。
これは失敗談ではないですが、視覚障害者と接していくなかでの新しい発見でした。見えている・見えていないという壁を超えて、「得意な方が案内すればいい」。そんな自然体の関係性が、ありがたく、心地よかったのを覚えています。
「ごめんごめん」が許されなかった日
別の日。事業所の開設当初からずっとサービスを利用してくださっていた20歳ほど年上の男性がいました。明るく、やさしい人柄で、公私ともども仲良くさせていただいていたので、私はすっかり“友達モード”で接していました。
気が緩みすぎていたのか、同行援護で買い物の依頼を受けていたある日、バス停での待ち合わせに少し遅れてしまい、軽い調子で「ごめんごめん〜」と声をかけてしまいました。
そのとき返ってきたのは、静かで、でも、しっかりとした声です。
「なんだその言い方は。高橋くん、仲が良くても、ちゃんとするところはしないと。
遅刻することは仕方ない。でも、事前に連絡するとか、できることもあったよね?
そして、遅れてきてその言い方はないよ」
恥ずかしかったですし、何より、申し訳なかったです。「親しき仲にも礼儀あり」を、身をもって学びました。
こうして指摘してくださる方がいるからこそ、今の私があります。福祉サービスを提供することの責任を、身をもって学ばせてもらい、現在のみつきの事業に反映しています。

失敗のたびに、許してくれた人たちがいたから
香川から出てきて10年以上が経ち、今では視覚障害者の外出をサポートする同行援護の事業所を運営する仕事をしています。「駅は1つじゃない」と驚いていた自分が「視覚障害者を目的地まで案内する仕事」をするなんて、当時の自分が聞いたら腰を抜かすかもしれません。
同行援護を始めてからも、餃子をヒタヒタにしすぎたり、バスを間違えたり、「ごめんごめん〜」で怒られたり……たくさん失敗してきました。しかし、そのたびに、誰かが教えてくれて、許してくれて、少しずつ成長できた気がします。
今では、餃子のタレは「どうしますか?」と聞いてからお渡しするようになりましたし、新宿駅でも「これはJRの新宿駅だから、西武新宿に乗るには…」と説明できるようになっています(たぶん)。
他にも、ここではご紹介しきれないほど、たくさんの失敗があります。ただ、失敗以上にやりがいのある仕事です。ガイドヘルパーになりたての皆さま、これからやってみようかなと思う皆さま、ぜひ一緒にお仕事できれば嬉しいです。
現場を離れた今でも、利用者さんやガイドヘルパーの皆さんの話を聞くたびに、視覚障害者との関わりは楽しくて奥が深くて、日々新しい発見ばかりです。これからも見え方に関わらず、誰もが気軽におでかけできる社会を、一緒につくっていきたいと思います。
私が目指す社会については、以下の記事からお読みいただけます。
記事内写真撮影:Spotllite(※注釈のあるものを除く)