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ストーリー

聖火ランナーが伝える超高齢化を迎えた社会へのメッセージ 吉野由美子さん、舟越智之さん

聖火リレー会場でトーチを持つ吉野さんの後ろ姿の画像
アイキャッチ写真提供:吉野由美子さん

東京パラリンピックで聖火ランナーを務めた吉野由美子さん。

視覚障害と肢体不自由の重複障害があり、普段通うデイサービス施設の舟越智之さんにサポートを受けながら、電動車いすに乗って聖火を運びました。

吉野さんの生い立ちやこれまでの活動を取り上げたインタビュー、歩行訓練特化型デイサービス「エバーウォーク」の取り組みについては、これまでの記事でご紹介しております。

「ささやかなことで生活は変わります。視覚障害リハビリテーションの必要性を多くの人に知ってほしいです」吉野由美子さん

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今回は、2020東京パラリンピックの聖火ランナーを務めた吉野さんとサポートした舟越さんが伝えたかったメッセージをお伝えします。

吉野さんインタビュー

ーなぜ、聖火リレーに参加しようと思ったのですか?
1964年、日本で初めてパラリンピックが開催されたことが、社会の障害者に対する考え方を変えるターニングポイントになったことを、障害者福祉の歴史を学ぶ中で実感しました。今度開かれるパラリンピックでは、自分がなにかの形で関われたら良いと思い、聖火ランナーに申し込みました。


ー1964年の東京パラリンピックで、社会はどのように変わったのでしょうか?
当時の日本の選手は、療養所や福祉施設、病院から集めて必死で特訓した、にわか作りの選手でした。一方、ヨーロッパの選手たちは市民として仕事を持ち、社会の中で生活していました。その当時の我が国では「障害者は病院や施設で保護されてようやく生きていける」という風に考えられていましたが、ヨーロッパから来た選手達は、皆、社会の中で市民として仕事を持ち、余暇にスポーツをしていたのです。その違いに我が国の障害者もそれを支援する側も衝撃を受けて、日本の障害者や周りの意識が変わり始めたのです。


ー日本とヨーロッパの差は歴然としていたのですね。どのように意識が変わったのでしょうか?

1番大きかったのは「社会人がスポーツを楽しみ、競技会ができる」という認識が浸透したことだと思います。その意識がベースになった上で、1981年に指定された国際障害者年で「ノーマライゼーション」などの考え方が日本に入ってきたことも後押しになりました。


ーそうだったのですね。吉野さんの周りでも何か変化はありましたか?

当時、私は盲学校に通う高校1年生でした。学校連携の一環で、健常児が通う一般校には児童生徒が観戦に行くという取り組みがあったのですが、盲学校には案内が来ませんでした。「見えないから試合を見ても仕方がない」ということです。盲学校の校長先生が抗議して、ようやく国立競技場へ観戦に行くことができました。そういう時代に行われたパラリンピックは、新時代の象徴になりました。

エバーウォーク両国店でインタビューを受ける吉野さんの画像
聖火リレーのユニフォームを着てインタビューを受ける吉野由美子さん(撮影:Spotlite)

ー吉野さんが聖火リレーを行うまでの経緯を教えて下さい。
2019年に応募してすぐ、パンデミックとなり、東京オリンピック・パラリンピックは1年延期になりました。2021年に開催が決まった後も連絡がないので落選したと思っていたら、2021年7月に突然当選という連絡が来ました。しかし、当初は参加するか迷っていました。新型コロナウイルスの感染拡大が続く中でオリンピックパラリンピックを開催するという政府の方針に賛成しておらず、聖火リレーを辞退した人に共感する自分がいました。一方、私はイベントが大好きなお祭り女です。当選の連絡を受けた時、一瞬どうしようかなと思ったのですが、「今、私が辞退しても何も変わらない。自分が聖火リレーをすることで何かメッセージを発信できれば」と思って、参加を決めました。


ー当日まで、どのような流れで進んでいったのですか?

当初は緊急事態宣言がいつ解除されるかの見通しも立たなかったので、トー
チを持って公道を200m走る予定になっていました。車椅子のランナー用に、トーチを車椅子本体に取り付けるアタッチメントが用意されています。トーチの重さは1.2キロです。
事務局から、「手で持って走りますか?アタッチメントをつけて走りますか?」と聞かれました。一般的な車椅子は両手で操作するためアタッチメントが必須ですが、私の場合は片手で操作できる電動車椅子なので、片手が開きます。
私は、どうしようか迷いながら「一応、用意してください」と言いました。ただ、できれば自分で持って走りたいという気持ちがありました。


ー当日は吉野さんがトーチを持って聖火リレーをしていました。何か変化があったのですか?

私が通っているデイサービスの舟越さんに「トーチを持って走りたいのですが何とかなりませんか?」と相談しました。
舟越さんも最初は「アタッチメントの方がいいんじゃないですか」と言ったのですが、私が「電動車いすでかっこよく動けるところを見せたいので、自分でトーチを持って走りたい」と言うと、「吉野さんを応援します。握力や腕の力を考えると何とか大丈夫ではないでしょうか」と言ってくださり、アタッチメントを使わずに走る方向で準備することになりました。


ー吉野さんの熱い思いが伝わり、舟越さんが後押しがされたのですね。
はい、舟越さんがトーチの大きさと重さの記載を調べて、他のスタッフがすぐに練習用のトーチを作ってくれました。印刷用インクトナーの空き容器を4本使い、3本を上部の火を灯す部分に、1本を柄の部分に取り付けてくれました。実際は1.2キロなのですが、ダンボールだけでは700gだったので、リハビリ用に使っていたお手玉を入れて重さを調整してくれました。


ー練習用のトーチまで準備していたのですね。どのように練習したのですか?
舟越さんに手伝ってもらいながら、自宅マンションの廊下や公園の路上で練習しました。150mほど1人で走れるようになり、なんとかなるかなと思った矢先、緊急事態宣言下での聖火リレーのやり方についてなかなかはっきりした方針を示してこなかったパラリンピックの事務局から「公道での聖火リレーを中止して、トーチキスに変更する」という連絡が入りました。

※トーチキッス:次のランナーとトーチを重ねて聖火を引き継ぐこと。

マンションのエントランスで練習用トーチを掲げる笑顔の吉野さんの画像
練習用トーチを持って記念撮影(提供:吉野由美子さん)

ー当初の予定は変更されましたが、聖火リレーは行われたのですね。当日の様子を教えて下さい。
聖火リレーの会場は、世田谷にある砧公園のねむのき広場という所ですが、打ち合わせや着替えをする場所は、駒沢オリンピック公園の中にある総合体育館でした。
幸いなことに私の自宅から駒沢公園の最寄り駅駒澤大学駅までは、乗り換えなしで40分足らずで行けるのですが、駅から公園入り口まではバスで5分、公園入り口から体育館までは徒歩8分、公園や体育館では、お昼ご飯を食べることは禁止なので、途中でお昼ご飯を済ませて行かなければなりません。私は、ロービジョンですから、お店の看板などは見えないし、バス停を見つけるのも大変です。まして電動車いすは、ちょっとした段差にも弱いですから、初めての場所で、一人食事をしたり、バス停を見つけたり、バスのスロープの乗り降りがうまくできるかなど、いろいろな関門がありました。そこで自宅から晴眼者の舟越さんに介助をお願いしました。


ー会場までの移動のハードルもあったのですね。
私のグループの集合時間は13時15分でしたが、道中のトラブルを心配して、早々と出発し、舟越さんのサポートのおかげで、お昼ご飯を食べるレストランやバス停もすぐに見つかってスイスイ。以前バスに乗車する時、乗降用スロープの傾斜が急なため、一旦電動車いすから降りて乗車するという経験がありましたが、バスが改造されていて、バスの車体が傾く仕組みになっていて、スムーズに乗車でき、余裕を持って到着できました。でも私一人だったらたどりつく前に疲れ果てていたと思います。

スロープを使ってバスに乗車する吉野さんの画像。
スロープを使ってバスに乗車する吉野さん(提供:吉野由美子さん)

ーそうだったのですね。集合した後は、どのような流れだったのですか?
駒沢オリンピック公園の体育館に集合し、着替えたりオリエンテーションを受けたりした後、バスで聖火リレーの会場である砧公園に移動します。実際に私が走る予定は、16時でした。待ち時間の間に、運営スタッフがトーチの持ち方を教えてくれ、ここで初めて本物のトーチを触ることができました。


ー本物のトーチを持ってみて、いかがでしたか?

練習用に作ってくれたトーチと重さは同じはずですが、本物のほうがずっしりと重たく感じました。さらに実際は火がつくので、トーチを下げると髪の毛が燃える危険性があり、運営スタッフから「本当に大丈夫ですか?」と聞かれました。もしも私に何かあった時には舟越さんにすぐ支えてもらえるように、斜め後ろでサポートをお願いして、自分の手で持つことにしました。


ー吉野さんの強い思いを改めて感じました。いよいよ本番でしょうか。
集合場所から会場の砧公園までバスで移動する時、スタッフ全員が拍手で見送ってくれました。健常者は大型バスで移動しますが、車椅子のランナーは福祉車両で移動しました。
実際に走る距離は40mもなかったのですが、私はロービジョンであることと、聖火を持つことに集中していたため、周辺がよく見えず、舟越さんが周囲の様子を説明してくれました。「カメラマンが写真を撮っています。笑顔でどうぞ」などと盛り上げてくれて、無事に走り終えることができました。

ユニホームを着てトーチを持つ吉野さんとビブスを着た舟越さんの画像。
本番前、記念撮影用ブースにて(提供:吉野由美子さん)

ー本当にお疲れさまでした。トーチキッスも無事にできましたか?
はい、オリンピックの聖火ランナーは1人で走りますが、パラリンピックは3人1組で走ります。多様性や協調性を伝えるためです。3人が並んで40m進み、ポーズを決めて、次の3人へリレーします。ポーズはグループの中で決めることができましたので、ハートの形を作りました。


ー同じグループの3名は当日に顔を合わせるのですか?
そうです。本番までの待機している間に相談してポーズを決めました。みなさん優しく、私だけが車椅子でしたので、「吉野さんを中心に私たちが両脇に立ちますね」と言ってくださりました。
聖火リレーの様子がネット配信されており、中継を見ていたエバーウォークのスタッフは、「舟越さんが出しゃばってうまく真ん中に割って入った」と思われていたようですが、私が真ん中に行くことは最初から決まっていました(笑)


ーそうだったのですね。まさに多様性を象徴する聖火リレーになったのではないでしょうか。
今回の聖火リレーでは、発達障害者や車椅子の方、足に装具を付けた方や盲ろう者など、様々な障害者が聖火ランナーを務めていました。視覚障害者もたくさんいらっしゃったそうです。
聖火リレーが終わった後、希望者はインタビューを受けられます。本来、2~3分だったのですが、私と舟越さんは伝えたいことがたくさんあり、6分くらい話してしまいました。

笑顔でインタビューに答える吉野さんの画像。
時にユーモアを交えて笑顔で話してくれました(撮影:Spotlite)

ー吉野さんが伝えたかったメッセージとは何ですか?
電動車椅子を普及させることと、高齢者のリハビリテーションの重要性を伝えることです。高齢になっても新しいことに挑戦して楽しく生きられる。そのためにリハビリテーションが必要だということを伝えたかったのです。
本当は、介護保険制度や視覚障害者に関する専門的なことを伝えたかったのですが、インタビューは短時間でしたのでそこまで踏み込むのはやめて、「高齢者も色々と挑戦して輝くことができる」というメッセージを伝えました。


ー今回は時間がありますので、踏み込んだ思いもお聞きしたいです。今回のメッセージを伝えたいと思った背景を教えて下さい。
私の印象では、デイサービスに通っていることを周囲に知られたくないという高齢者が多数います。ずっと健常者で生きてきた自分が、できないことが増えることに抵抗感が強いのでしょう。できないことが増えてデイサービス施設などに通っていることが、どこかみっともないと思っているのかもしれません。私の場合は生まれつきの障害者で、みっともないという感覚はありません。障害があるのは私にとって当たり前のことですから。そうであれば、私が聖火リレーで人前に出て、私の姿を通して何か伝わるものがあればと思っていました。


ー吉野さんの熱意と、舟越さんをはじめとする皆様のサポートがあってできたことだったと感じました。
私は4年少々、エバーウォークに通っています。「100歳まで歩く」という目標に共感しているからです。最初、舟越さんにもアタッチメントをつけた方がいいと言われ、私もその方が安全だと思っていました。しかし、自分で歩きたいと言えば「希望に添えるように」と全力でサポートしてくてました。私がやりたいことに向かって、どうすればいいかを考えてくださる雰囲気がここにはあります。

エバーウォーク両国店の外観を撮影した画像。
吉野さんが通うエバーウォーク(撮影:Spotlite)

ー介護保険や視覚障害リハビリテーション(以下、視覚リハ)における課題は何でしょうか?
介護保険の中では、障害別の専門的な支援が受けられません。身体障害者手帳を取得すると視覚障害の場合は、補装具・日常生活用具の支給サービスや同行援護サービス、歩行や日常生活訓練などの視覚リハサービスなどを受けられますが、これらは介護保険のメニューには入っていません。私は福祉の専門家で、制度ごとの詳細を知っているからこそ、自ら手帳の等級を変更したりサービスの利用申請を行っています。
しかし、高齢で中途障害になった方の多くが、自分が使える制度を知らないのが現状です。補装具や日常生活用具、さらにはもっと簡単な工夫で見えにくさが改善できることを知る機会がないのです。自分には受けられるサービスがないと、諦めてしまっている方たちをよく目の当たりにします。


ーそうなのですね、複雑な制度だからこそ余計に難しく感じるのでしょうか。
私たちが社会保障制度で支援を受けようとする時、「社会保障制度間の選択優先順位」という原則があります、その原則によると、保険金を私たちも払っている制度からの支援が優先されるので、介護保険の方が、保険料を支払っていない障害者福祉サービスより優先されます。そこで、65歳になって介護保険が適応される年齢になると、介護保険制度でのサービスが優先となります。ただ、介護保険では提供されない障害者福祉サービスについては、併給ということが認められているのです。しかし、介護保険の担当者も障害者福祉の担当者も、当事者もその併給の仕組みについて、あまり知らないのです。


ーそういう背景があったのですね。何か対策はできないのでしょうか?
厚生労働省は、優先順位という原則に捕らわれずに、本人に適したケアを行うような通達を出していますが、窓口の担当者が詳細を把握せず、介護保険に誘導するケースが多々あります。障害者福祉サービスを受けてきて、介護保険のサービスとの違いを理解している当事者の方は、介護認定を受けないで障害者福祉サービスのみを続けるという形を取ることもあります。また併給の制度を利用して、視覚障害等に特化したサービスを受けている方達もいます。しかし、高齢になってから中途視覚障害になって、視覚リハサービスなどを知らない方達は、取り残されてしまっている例も多いのです。また、併給についての判断も各自治体に任されているので、自治体によって大きな差が出たりしています。

椅子に座る吉野さんとその横に歩行用の杖が置かれている画像。
高齢視覚リハに関する課題は多い(撮影:Spotlite)

ー本人や窓口の担当者の知識次第で、大きな差がありそうですね。
はい、このような現状の中、サービスの質を知っている人たちは熱心に自治体に要望を伝えています。しかし、高齢で視覚障害になった場合、サービスの存在を知らず、視覚障害は何もできないと思いこんでいる人が多いのです。
自治体の担当者やケアマネジャーから、「介護保険でデイサービスを使えば、お風呂に入ってゆっくりできますよ」と言われるがまま、「これしかない」と諦めて、介護関係の施設に通っている方は残念ながら多いと思います。


ー視覚障害に特化した福祉サービスを受ける前に、デイサービスに通い始める方も多いのですね。

視覚障害者の高齢者がデイサービスに通い始めた時、受け入れる側の介護職員に知識が少ないと、視覚障害者がどのように生活しているかを知らないため、「とにかく安全に」と、1日中テレビの前に座らされるという話をよく聞きます。すると、どんどん筋力が落ちて何もできなくなり、うつ状態になる人もいます。
本人に話を聞くと、「私はデイサービスに行きたくないけど、家族が行けという。周りのために行っている」と言うのです。


ー最初の入口を誤るだけで、悪循環になるのがよく分かりました。

視覚障害リハビリテーションの世界では問題が山積しており、早期発見、子育て、学校教育、就職などのテーマが活発に議論されています。しかし、年齢を重ねて一生懸命生きてきて、自分で介護保険のお金を払っているにも関わらず、「家族のためにデイサービスに通っている。絶望の中で早くお迎えがこないかな」という高齢者が増えるのはあまりに寂しいなと思っています。

真剣にお話する吉野さんの顔をアップで撮影した画像。
真剣な眼差しで話をしてくれました(撮影:Spotlite)

ー高齢者の視覚リハには様々な課題が関係していることがよく分かりました。
自宅からデイサービスに環境が変わりできないことを、介護職員が認知症だと思うケースもあります。「理解力がない。やる気がない。安全にさえしておけばいい」という雰囲気で、まさか70歳や80歳になって見えにくさを補う訓練ができるとは思われていないようです。しかし最近、94歳で見えにくくなった老人ホームの入居者に、歩行訓練士が移動の方法を練習しているという事例を聞きました。


ー年齢に関わらず、それぞれの見え方でできることはあるということですね。
以前、時代小説が好きだった人が視覚障害になり、点字図書しか知らず読書を諦めていたのですが、録音図書を紹介すると、「これを最後まで聞くまで死ねない」と、夢中になって本を読むようになりました。
やりたいことは人によって違いますが、一人一人の関心に合わせた何かを引き出せればいいなと思っています。
「見えなくなってこんなに惨めな思いをするなら早く死にたい」などと人生の最後に思うなんて、あまりにも悲しいことです。見えない・見えにくい状態になっても、様々な工夫をして、環境を整えて、その方のやりたいことに寄り添えば、楽しい老後を送ることができます。それを伝えていくのが私の仕事かなと思っています。


ー吉野さんの思いが伝わりました。他に伝えたいメッセージがありますか?
老人ホームでは、内科や整形の疾患は、命に関わるため放っておけないこともあり、内科医や整形外科医を非常勤で雇用しているところが多くありますが、眼科医との関係はほとんどなく、非常勤で雇われているということもほとんどありません。視覚障害は、目の癌以外は命に関わらないとはいえ、眼疾患が進めば、運動もできなくなり、精神的な問題とも深く関わっています。眼科医に診てもらえないまま、白内障や緑内障が悪化して失明してしまったり、度の合わない眼鏡をそのまま使っていて、見えにくさが進んだりしている高齢者が、老人ホームにたくさんいます。是非、内科医や整形外科医と同様に眼科医との関係を老人ホームに持っていただきたいと思います。眼疾患の生活に及ぼす影響をしっかり理解していただきたいと思っています。また、在宅で障害が重く、自分で病院に行けない高齢者の方のために、眼科医の方達にも往診がもっとできるような制度になる必要があると思っています。

ジェスチャーをしながら話をする吉野さんの画像。
幅広い視点で分かりやすく説明してくれました(撮影:Spotlite)

ー吉野さんのこれからやりたいことを教えて下さい。
今はブログで自分の思いを書いたり、イベントにお誘いいただくと積極的に登壇しています。
先日は、墨田区の多職種連携懇話会でお話させていただきました。高齢者の見え方に関する問題は、視覚リハ協会の中では少し取り上げられていますが、それ以外ではあまり真剣に捉えられていません。こういう機会でたくさんお話ができるようになるといいなと思います。


ー視覚リハに関わらない人に対して、積極的に発信するのが大切されているのですね。
イベントでは、歯医者、管理栄養士、ケアマネージャーなど様々な職種の人が参加しており、想像以上に視覚リハへ関心を示してくれました。
例えば、見えにくい高齢者のための配慮として階段にテープを張ることなど小さな工夫を伝えると、たくさん質問を頂きました。視覚障害以外の専門家の皆様に、少しでも関心を持ってもらえるよう、私たちの伝え方や引きつけ方を工夫することが大切なのかもしれません。

エバーウォーク両国店の入口で電動車いすを降りて笑顔で立っている吉野さんの画像。
電動車いすを降りて笑顔で1枚(撮影:Spotlite)

ー最後に改めて、吉野さんが今回聖火ランナーを務めたことの意義をどのように捉えているか教えて下さい。
アスリートが活躍することで障害者への見方が変わるという側面は確かにありますが、日常的に障害者と健常者が暮らすという感覚は少し違うと感じています。
スポーツで頂点を極めるのは大事なことです。しかし、隣に視覚障害のあるおばあさんが引っ越してきたら「面倒で、いやだなあ」と思うことはないでしょうか。このWebサイトでも紹介されていた視覚障害者の家探しにおける課題は、1964年の東京パラの時から変わっていません。


ー日常生活に落とし込んで考えるために、できることは何でしょうか?
もっとインクルーシブな教育が浸透し、障害者と健常者が一緒に生活する場が必要だと思います。以前に比べてずいぶん障害者が外に出るようになりましたが、まだまだ不十分で、もっと外に出なければいけないなと思っています。


ー障害者の方から積極的に社会に出ることで、日常的な関わりも増えてくるのですね。

聖火ランナーの後、エバーウォークでは利用者から「トーチを見せて」と言われたり、ケアマネージャーさんの娘さんがわざわざエバーウォークに来るなど、ちょっとしたムーブメントになりました。私ではなく、トーチの効果だと思いますが(笑)
今回の聖火リレーで私をサポートしてくれたのは、全員視覚リハ以外の専門家です。腰が痛くなったらマッサージ師にケアを受け、ダンボールのトーチを作ってくれたのは柔道整復師のスタッフでした。自分の知識や体験を、もっと周りの人達に伝えていきたいと考えています。


ー吉野さんの行動力の源となる思いがとても伝わってきました。
今回の聖火リレーを通して感じたことは、やっぱり視覚障害の世界は閉じているということです。私は重複障害があるので、余計感じているのかもしれませんが、もっと周りを見渡して色んな障害者や専門家と連携することが必要だと思います。視覚リハの問題だけに対応すると、ロービジョンケアや歩行訓練士、盲学校の教員などで止まることが往々にしてあります。
私はエバーウォークに通っているおかげで、理学療法士やマッサージ師、さらに利用者の皆様とつながりが持てています。
私はパラリンピックで金メダルは取っていませんが、様々な年代の様々な業種の人とつながり、これからもチャンスを見つけて高齢者のリハビリテーションの大切さを伝えていきたいと思います。

聖火リレー会場でトーチを持って満面の笑みを浮かべる吉野さんの画像。
聖火リレーの本番前に(提供:吉野由美子さん)

舟越さんインタビュー

ー吉野さんのメッセージについて、リハビリテーションの専門家、舟越さんからのご意見もお聞きしたいです。
吉野さんがお話された高齢者の介護保険と視覚リハの問題は、確かに私の周りでも存在しています。見えにくさが原因で家に閉じこもり、身体の機能が低下して要介護になった人を知っています。根本的な原因は、見えにくいがゆえ外出できなかったことです。必要なサービスが届いていれば、こうはならなかったはず。支援が遅かったと感じることが多々あります。


ーそうなのですね、根本的な原因を見極める力は本当に大切なのですね。
高齢になると目が見えにくくなる、耳が遠くなるのが当たり前だと思われていますが、適切な治療をすれば回復する症状はたくさんあります。「歳だから」で終わらせず、早期にそれぞれの専門家につなぐことが大切だと思います。

エバーウォークで笑顔でインタビューに答える舟越さんの画像。
エバーウォーク両国店 店舗管理者 舟越智之さん(撮影:Spotlite)

ー舟越さん自身が聖火リレーに参加して伝えたかったメッセージを教えて下さい。
今回のパラリンピックでは、「We The 15」というメッセージを掲げていました。世界の人口の約15%、10億人には何かしらの障害があるということです。日本にも900万人以上の障害者が生活しています。
リハビリテーションとパラスポーツは「可能性を追求する」という点で同じだと考えています。吉野さんは、73歳でも、電動車いすに乗っていても、視覚障害と肢体不自由の重複障害があっても、新しいことに挑戦できるということを体現されました。私は、吉野由美子さんの生き方自体が高齢者の視覚リハだと思います。


ー最後に、この記事を読んでいる高齢者や障害者の方に伝えたいことはありますか?
今回吉野さんが聖火リレーに参加する過程を間近で見ながら、可能性を信じ続けることはばかにできないと改めて強く感じました。この記事を読んでいる皆さんには、「あなたの可能性をつぶさないでください。可能性を信じ続けてくれる人に出会えれば人生は変わります」と伝えたいです。

エバーウォークで吉野さんと舟越さんが笑顔で並んでいる画像。
2人の熱い思いをお話いただきました(撮影:Spotlite)

この記事を書いたライター

Spotlite編集部

Spotlite編集部は、編集長で歩行訓練士の高橋を中心に、視覚障害当事者、同行援護従業者、障害福祉やマイノリティの分野に精通しているライター・編集者などが協力して運営しています。

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