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ストーリー

「今はZoomで囲碁を打っています」 一般社団法人日本視覚障害者囲碁協会 代表理事 柿島光晴さん(前編)

碁盤アイゴと碁石
記事内写真撮影:Spotlite

今回ご紹介するのは一般社団法人日本視覚障害者囲碁協会の代表理事 柿島光晴(かきじまみつはる)さんです。17年程囲碁の普及に携わり、現在はZoomやYouTube等を活用し、更に活動の幅を広げています。

長年柿島さんと親交がある中で、新しいことに柔軟で人をつなぐ楽しい場を生み出している方だなあという印象を持っており、改めて現在に至る背景など伺えたらと思い、今回インタビューをしました。2回に分けてご紹介します。前編はこれまでと現在の活動についてです。後編では、初めは趣味で始めた囲碁が後々教える側に変わっていく過程など、今につながる過去のお話などをまとめています。

略歴

着物を着ている笑顔の柿島さん
囲碁イベントでは着物を着ることも多いそう

1977年東京都町田市生まれ。20歳の時に網膜色素変性症を発症し、23歳でほとんど目が見えなくなる。盲学校卒業が近づいた26歳の頃にTVで放映されていたアニメ「ヒカルの碁」を見て関心を持ち囲碁を友人と始める。視覚障害者用の碁盤「アイゴ」の金型を復活させ、全国の盲学校へ碁盤の寄贈や囲碁の普及を行っており、既に67校中49校回っている。2015年に一般社団法人日本視覚障害者囲碁協会を立ち上げ、現在はZoomやYouTube等も活用しながら距離を超えて活動の範囲を広げている。

インタビュー

−現在の活動について教えて下さい。

主にアナログで直接アイゴという碁盤を盲学校に届けて、直接生徒に教えていました。コロナの関係で囲碁を直接教える機会が減りまして、オンラインに活動の場を移動しました。Zoomを使って言葉で囲碁を教えるようになり、メリットとしてむしろ地方から囲碁を習いたいという声をもらい、ほぼ毎日囲碁を教えています。北は仙台、南は沖縄まで。1週間前に依頼があったり、当日に今から時間ありますか?という方もいます。地方のなかなか会いに行けない人に距離を超えて教えられるようになりました。コロナがあけたら、地方の盲学校の普及にも力をいれていきたいです。

−アイゴについて教えて下さい。

さも自分が作ったかのように語っていますが、実は30年以上前にネーミングがなされていたものです。目のアイと囲碁という言葉が入っていて、作った方の話だと目の状態に関わらず歩いていけという「GO」の意味合いもあるそうです。すごく好きな言葉なので名前をしっかり継承していきたいと思っています。

碁盤を持ってルールを説明する柿島さん
アイゴを慣れた手つきで扱う柿島さん

普通の碁盤は線が書かれているので、碁石を上に置くと触ると動いてしまいます。アイゴの最大の特徴は碁線が浮き上がっていてはめ込むことができます。黒石には点が真ん中についていて、白石にはついていないため触って区別して碁盤をイメージして打つことができます。正式な碁盤は19×19の碁盤で、裏に9×9の碁盤もついていてリバーシブル構造になっています。初心者にルールを教えるのには9×9で充分で、おかげで視覚障害者が囲碁に関わることが増えて、覚えることに役立っています。

碁盤の裏にある小さな碁盤を説明している柿島さん
アイゴの裏面の碁盤について紹介してくださる柿島さん

−アイゴはどのようにして生まれたのですか?

奈良県にお住いの方がこの碁盤を考案して作られたのですが、金型の保管が上手くできずに数年で錆びて朽ちてしまったそうです。2002年頃に囲碁を始めた時にこの碁盤は生産できない状態で、限りある在庫の1つを譲り受けて、細々と使っていました。これが生産できないと視覚障害者に囲碁が普及できないなということで、2012年にアイゴ復活に関わることになりました。

話すと長くなってしまうけれど、とある新聞社の方に碁盤のことを話したら、記者の方が調べてくれて、アイゴについての記事はあるけれど、金型を復活させてほしいという呼びかけの記事は一つもないから記事を書いてあげると2012年の8月に記事を書いてくださいました。

1週間も経たないうちに5、6件の金型業者から連絡があり、様々なやり方で制作しましょうという話があり、どの会社も何割引きで安くしますよという声が多かったのですが、1社だけ福岡県の会社から無償で金型を作るよというところがあって、次の週に福岡に飛んで社長に訴えて、1年の歳月をかけて2013年の12月に新しいアイゴが復活できました。今となってはほしいひとが購入できる状態になりました。

−柿島さんはこれまでアイゴと色んな所に旅をして寄贈してきたと聞いているのですが、思い出ベスト3を教えてもらえますか?

1、盲学校に囲碁盤を寄贈することのきっかけになった出来事

2015年に関東のとある盲学校の文化祭で囲碁のコーナーを作って、当時小学5年の生徒に囲碁のルールを教える機会がありました。ものの数分で囲碁のだいたいを理解した頭の良さに驚き、視覚障害のある生徒は囲碁に素養があるのではないかと気づいた瞬間でもあり、盲学校に囲碁を普及しようと思ったきっかけとなりました。それから5年経って、全国にある67の盲学校のうち49校の盲学校に碁盤を寄贈しています。現在は視覚障害者が囲碁を通して頭の中で地図を描く能力のイメージ作りや触察能力にも繋がると感じています。

2、プロ棋士を目指す小学生

先ほどとは別の盲学校の生徒で囲碁にはまった小学6年生がいます。始めて2年半で僕よりも強く、今はプロ棋士を目指しています。いまだ視覚障害者でプロはいないため、試験に合格したら、視覚障害者と健常者の囲碁の隔たりがなくなるんじゃないかと考えています。囲碁は障害を越えたゲームということが証明される瞬間だと思っています。

3、囲碁を通して距離や年齢も超えてつながっていくこと

沖縄に住んでいる72歳の視覚障害の男性が目が見えなくなり、自分が好きだった囲碁が打てなくなってしまい、何十年も囲碁を打つことを諦めていました。その方がアイゴを手にして今は囲碁を打てるのが楽しくて毎週打っています。私と30歳以上年齢が違いますが、碁を打つ中で親友のような感じで、歳を感じず、碁盤上で脳と脳がリンクしてつながった感じになります。お互いに考えていることが分かるような状態で、僕も毎週彼と囲碁を打つのが楽しみです。今はZoomで囲碁を打っています。

−「今はZoomで囲碁を打っています」とのことでしたが、一体どうやっているのでしょうか?

電話のやり取りのように画像がない中で言葉だけで伝える時のことを想像すると早いと思います。座標は全て数字で表すことができます。一番左上が1の1、横軸が2の1、3の1という形でずらして表現して、お互いに数字を言い合って、手元にある碁盤に両者の石を置いていく。側から見てると数字を言っているだけなんだけど、心理戦が盤上ではなされています。これによって場所、距離を越えて囲碁を打つことができます。

碁を打つ柿島さんの指先
指先もカメラに撮られる機会が多いため普段から意識されているそう

−ルールがシンプルだから、音だけで戦えるんですかね?

囲碁の特徴を申し上げると世界共通のルールで、将棋は駒の動き方が国が変わると違います。囲碁は言葉が通じなくても、コミュニケーションが取れます。実はフィンランドとフランスの囲碁大会に以前出場することができて、英語が分からなくても色んな国籍の人と囲碁をすることができました。中ではそれで楽しくなって、一緒に喫茶店にコーヒーを飲みに行ったこともあります。

−言葉が通じなくてもつながれるのすごいですね。共通体験がつながりを生むんですかね?

実は囲碁の別名が手の談話と書いて「手談」と呼ばれていて、一手一手で語っているという意味があります。言葉がそこにはなく、盤上だけでコミュニケーションが取れるため手談と言われています。

碁盤を挟んで対局する手元の様子
碁盤を触りながら対局する様子

最後に

だんだんお話を聞くにつれ、囲碁の奥深さを知りました。

人と人をつなぐ囲碁。そしてその繋がりを柿島さんがたくさん生んでいるのだと感じました。

小さい頃から囲碁の存在は知っていてもなかなか触れる機会がない方も多いかもしれません。

今回柿島さんが囲碁初心者に教える様子を動画撮影させていただきました。

2人の手談の様子を是非ご覧ください。

後編では、囲碁普及活動の今につながる過去のお話などをお伝えします。

問い合わせ先

一般社団法人日本視覚障害者囲碁協会 代表理事 柿島光晴さん

WEBサイト: https://aigo.tokyo

メールアドレス:yfa80943@nifty.com

この記事を書いたライター

Spotlite編集部

Spotlite編集部は、編集長で歩行訓練士の高橋を中心に、視覚障害当事者、同行援護従業者、障害福祉やマイノリティの分野に精通しているライター・編集者などが協力して運営しています。

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