参天製薬に勤務する葭原滋男(よしはらしげお)さん。
パラリンピックに4度出場し、走り高跳びと自転車競技で金メダルを含む合計4個のメダルを獲得しています。ブラインドサッカーやサーフィンでの日本代表経験もある生粋のアスリートです。
また、地元の視覚障害者福祉協会の会長として、啓発活動にも積極的に取り組んでいます。
葭原さんの幅広い取り組みとその背景にある考え方を、2回に分けてご紹介します。後編では、地域での啓発活動や視覚障害者へのメッセージをお伝えします。
スポーツと仕事を中心にインタビューした前編はこちら。
「課題をクリアするためのノルマを自分に課すと、4年間はあっという間でした」パラリンピック金メダリスト 葭原滋男さん(前編)
インタビュー
ー葭原さんは港区視覚障害者福祉協会の会長もなされています。どんなお仕事があるのですか?
港区に住み、働き、学んでいる視覚障害者のよりよい生活環境整備を目指して活動しています。まちづくりや障害者福祉など、港区の施策に対して、視覚障害者の立場で意見を述べたり、障害者理解のための講習会を実施したり、区内の他の障害者団体との情報交換を行ったり、区内の福祉行政には様々に関わらせていただいています。あんま鍼灸の資格を生かして、区内のお年寄りを対象にした鍼・マッサージサービス事業も請け負ってもいます。また、上部団体となる東京都盲人福祉協会と意見交換するなど、活動の範囲は様々です。
ー障害者理解のための講習会ではどのようなことを行うのですか?
2018年には、初の試みとして視覚障害者サポート教室を実施しました。視覚障害者のサポートというと、白杖体験や誘導体験が多いと思うのですが、それが本当に実効性のあるものなのか疑問に感じていました。それ以前に大切な「声かけ」や「情報共有」という必要なコミュニケーションに主眼を置いた講習会を実施しました。
誘導する際に気が付いたことをなるべく多く相手に伝え、情報を共有します。そして、全員がアイマスクをして、食事をしたり、身近な持ち物を触り、お互いに気が付いた点を意見交換しながら正解を見つけていくという体験をしてみました。それなりに受講者からは高評価をいただいたようです。
ー視覚障害者サポート教室で大切にしていることはなんですか?
お互いでコミュニケーションをたくさん取ることです。誘導法などの細かな技術はありますが、それを覚える前にまずは相手が必要としていることを聞くことが大切だと思っています。例えば誘導する際、腕を持つのか肩に手を乗せるのか、自分はどちらに立てばいいかなどは、視覚障害者に聞けば多くの人は「こうしてください」と言ってくれると思います。
今回のイベントでは、誘導法を説明する前に、まずはアイマスクで歩行体験を行い、その後感想を伺いながら実際の視覚障害者やガイドヘルパーを交えて大切な点を話し合いました。参加者には、視覚障害者が生活上、本来必要としていることを少しはイメージしていただけたようでした。
ー本当に幅広い活動をされているのですね。視覚障害者の当事者団体として活動する中で課題はありますか?
やはり、高齢化と人手不足は大きな課題です。個人情報保護という壁も課題のひとつです。視覚障害者が区内のどこに住んでいるのかが全くわからないため、ひとりで苦しんでいたり、引きこもってしまっている方がいるかもしれません。何かしら協力したいと思っても、そういう情報は口コミでしか得ることができないのが現状です。さらに、行政とのやり取りでは書面やFAXを中心に行うことが多いので、最新のIT技術などを取り入れていただくような働きかけも行っています。
ー葭原さんは何でもできるスーパーマンのようにも感じますが、生活の中で不便を感じることはありますか?
不便なことはいろいろありますが、工夫することで多くのことが可能となると思っています。そのため、正直、自分が視覚障害者だとあまり感じていない面はあるかもしれません。それでも、やはり見えないということを痛感させられるのは、バスや電車に乗っていて、空いている席があるのに分からない時です。
席を譲ってもらっても、声をかけていただかないと譲ってもらったことが分かりません。自分の前の席が空いているのに気が付かずにいて、ひょんなキッカケで分かった時、「ああ、やっぱ俺って見えないんだな。ちょっと声かけてくれれば、自分も座れたのに」と、自分が障害者であることを痛感させられます。周囲の人が「席空いてますよ」と一声かけてくれるだけで、そういうこともなくなり、障害のあることを忘れることができるのかもしれません。
ー街中で体験した印象深いエピソードなどはありますか?
嬉しかったことといえば、ある時、女子高生が「お手伝いしましょうか?」と声をかけてくれました。一緒に歩きながら話してみると、「今日、学校で誘導について勉強して、勇気出して声かけてみました」と聞いた時、本当にありがたく感じました。障害者を見かけてもどうすればいいのか分からず声かけをためらう人も多いと思うので、こういう方の存在は非常に嬉しく思います。
困ったことと言えば、たくさんありすぎて何がいいのでしょうか(笑)
例えば、町中で歩行者が白杖につまずき、白杖が折れてしまったのにその人はいなくなってしまったり。1人で歩いていることを誰かが気にして、すぐ後ろを歩いてくれているようなのに声かけてくれなかったり。そういうときは一声かけてくれると助かりますね。
ー葭原さんが、これからやりたいことや目標はありますか?
世界に活動を広げて、外国の視覚障害者の生活を知りたいです。いいところは日本に取り入れて、悪いところは日本の事例をもとに改善できればと思います。この目標は、参天製薬での事業を通して実現できるのではないかと感じています。
スポーツの世界でもまだまだ現役で活躍していきたいですね。様々なスポーツにチャレンジして、障害者らしくない障害者像を、さらに進化させていきたいです。
ー新型コロナウイルスの感染拡大は続いていますが、東京オリンピック・パラリンピックに関するムーブメントはこれからの日本に大きな影響を与えそうです。
社会的に大きな転換期で、変革のキッカケになることは間違いありません。「困っている人に声をかけるのは勇気がいる」と思ってる人がいるかもしれません。でも、本当は全然勇気は必要ないんですよね。声をかけて、どうすればいいのか聞いてみればいいことなのです。それが気兼ねなくできる社会をつくりたいと思っています。
私たち障害者が住みやすい社会は、間違いなく誰にでも住みやすい街です。どんなにバリアをなくそうとしても、必ず誰かのバリアになることも分かっています。様々なデバイスが開発されても、それが使いこなせない人も多くいます。それを埋められるのは、やはり「心」じゃないでしょうか。周囲の人のことを考えて、声をかけて、行動する。そういう心のネットワークと社会のチームワークを育てることが必要だと思います。それを実現するためには、我々視覚障害者が積極的に外に出て行動し、よりよい社会を築くために意見を述べていくことが必要で、そのための視覚障害者が自由に行動できる社会をつくることに取り組みたいです。
ー葭原さんの発想力と行動力、改めて見習うべき点ばかりです。
私たち視覚障害者は、視覚以外の他の感覚が研ぎ澄まされ、普通の人が気づかないことに気づけるはずです。
私は、視覚障害として生きることが一つのクイズだと思っています。日常生活の中で悩んだり苦しんだりすることは、それが自分に与えられた問いだと捉え、克服する方法を考えています。受験生が、大学受験で試験の答えを見つけるのと同じです。視覚障害があることは、私の人生で1番難しいクイズです。その分、答えが見つかった時の喜びや感動が大きいので、今はクイズを解くことを楽しめているのかなと思います。
ー新しい捉え方だと感じました。葭原さんがクイズを解くときに意識していることはありますか?
まずは、全体像を把握するように努めています。その中で、現在置かれた状況をしっかり分析して、バランスを考えつつも自分なりに判断します。それが大多数の意見と異なっても、自分を信じて行動するようにしています。
また、「絶対無理」とか「やめた方がいい」と言われると、その解決策を何とかして見つけ出したいと思ってしまうんです。
そうやって、誰か1人が新しく挑戦することで、その道に進みたい同志の後押しができると思っています。人のやっていないことに踏み切れるのが自分の個性なのかもしれません。
ー人がやっていない選択をする中で不安に感じることはありませんか?
意外に思われるかもしれませんが、実はものすごく小心者です。新しいことを始めるときは、色んなことを考えてしまいます。悩んだりストレスが溜まることもありますが、そういうときは、夜空を眺めながら、坂本九さんの「上を向いて歩こう」などを歌っていると、今まで小さいことで悩んでいたのだと気づき、前向きになれます。
ー障害の有無に関わらず誰もが暮らしやすい社会になるために必要なことは何でしょうか?
繰り返しになりますが、心のネットワークと社会のチームワークを育てることだと思います。
相手の立場に立って考え、行動するには、心にゆとりを持っていないとなかなかできるものではないと思います。宇宙の中の小さな地球、そこに住む虫けら程度の人間は、大自然には到底かないません。ひとりひとり、生きがいとゆとりをもって生活できれば、きっとみんなにHappinessが訪れると思います。