「視覚障害者の職業選択」と聞いて、みなさんはどんなことを思い浮かべますか?
一般的にイメージされるのは、鍼灸マッサージ師や障害者雇用の事務作業などのいくつかの職種ではないでしょうか。そんな中、国内の経営大学院に通い、MBAを取得したロービジョンのビジネスパーソンがいます。視覚障害者のキャリアを考える上で、MBAの取得は一つの選択肢かもしれません。
MBAとは、Master of Business Administration の略称です。日本では経営学修士と呼ばれ、経営学の大学院修士課程で経営に必要な高度な知識とスキルを得た者に授与されます。
ロービジョンの当事者である西川隆之さんは、大手通信会社の情報システム部門にて社内システムの維持運用業務に従事しながら、34歳でMBAを取得。その後、外資系IT企業の日本法人に転職しました。いち会社員として業務に従事していた西川さんは、自身のキャリアをどのように捉え、なぜ経営大学院で学ぼうと考えたのでしょうか。
今回は、MBAを取得するまでの道のりや視覚障害者の職業選択についての思い、新しく何かに挑戦したい人へのメッセージについてお話いただきました。
西川隆之さん 略歴
1985年生まれ、兵庫県神戸市出身。7歳のとき、網膜色素変性症が発覚。20代中頃で白杖を使用し始める。現在の見え方は夜盲と視野狭窄があり、視力は0.1程度。父親の仕事の都合で4歳から8年間、アメリカのニュージャージー州で過ごす。帰国後、中学生から大学生までは京都で過ごし、大学を卒業してから大手通信会社で13年間情報システム部門に勤務。2019年にグロービス経営大学院でMBAを取得したのち、2022年4月、外資系IT企業に転職。公益社団法人日本網膜色素変性症協会(JRPS)理事、ミドル部会代表。
きっかけは「ロービジョンのビジネスパーソン」としての危機感
—西川さんは大手通信会社で働きながら、MBAを取得されました。取得しようと思ったきっかけを教えてください。
「ロービジョンのビジネスパーソン」として危機感をもったことが大きかったです。
当時、社内システムの維持運用チームに配属され、パソコンでの業務がほとんどでした。それなのに画面が見づらくて、資料やメールのインプットも資料作成などのアウトプットも時間がかかる。周りと比較しては焦って、自己肯定感が下がっていく一方でした。
何かしらスキルをつけて現状を打破したいと考え、大学時代から興味があったMBAの取得を検討し始めました。MBAでは企業の経営戦略を達成するために、いかにヒト・モノ・カネといった経営資源を最大限活用するかについて学びます。カリキュラムではマネジメント、会計、マーケティングなどの分野を幅広く学びます。ケーススタディを中心にしながら企業の問題に対していろんな立場からのアプローチ方法を学べる点に魅力を感じました。
そんな中、アメリカでMBAを取得した人たちと知り合って、話を聞く機会がありました。1番わかりやすかったのが、「MBAはオリンピック選手の強化合宿のようだ」という話です。大量の情報や本、課題を渡されて、それを筋トレのようにこなすなかで、膨大な情報を整理し構造化する思考力が鍛えられていきます。
MBAを取得したみなさんは、その経験から「仕事で問題が発生したり、アクシデントが重なったりしても動じなくなった」と言うのです。その話を聞いて経営大学院に通うことを本格的に視野に入れました。
—正社員として働きながらの勉強はなかなか大変そうです。スクールはどのように選んだのでしょうか。
MBAは一般的に全科目を2年間で修了する必要があります。いきなり入学するのはハードルが高かったので、1科目から受講できる「単科生制度」のあるグロービス経営大学院に申し込みました。最初は「とりあえず試してみよう」くらいの気持ちで始めました。スモールスタートで始められたのがよかったです。単科生として数科目を受講したのち、MBAを取得するために本科に入学しました。
グロービス経営大学院は唯一、単科生の1年と大学院にあたる本科生の2年、合計3年間に分散して受講できる点もよかったですね。
事前に面談を申し込み、お互いの懸念を解消
—入学するとき、視覚障害についてはどういう伝え方をされましたか?
グロービス経営大学院には、これまで視覚障害者が入学した前例がありませんでした。そのため事前に面談を実施してもらい、僕の見え方や今までの働き方を伝えました。
学校側の懸念は2点あったようです。1つ目は「講義中にスクリーンに投影する資料やグループディスカッションを行うホワイトボードが見えない中で、僕自身が学びを深めたり受講生との議論についていけるか」。2つ目に「他の受講生にとって、僕自身が建設的なディスカッションのできる受講生であるか」ということです。特に、2つ目は大学院側がビジネススクールの一つの価値である「受講生同士から学びあう」ことを担保する必要があったと思います。
これらの懸念点を解消するために、入試担当者と事前に面談を実施してもらい、どのような受講形態が最適かについて話し合いました。
その後、全員共通の試験を受けて、無事に入学できました。
—実際に授業を受けていて、壁を感じることはありましたか?
僕は人と会うのが大好きなので、通学で受講したいと思いました。しかし、学校と相談した結果、ホワイトボードやスクリーンが見づらく授業の理解に支障が出るといけないとのことで、オンラインでの受講が中心になりました。オンラインでの講義では、パソコンの画面設定を工夫したり、支援技術を活用したりすれば、問題なく受講できましたね。科目によっては、担当教員から通学の許可をもらえたので、3分の1ほどの授業は通学で参加しました。
—これからMBAに挑戦したい視覚障害者が、西川さんの前例を知ってチャレンジできるケースもありそうですね。当時を振り返りどのように感じますか?
僕にとっては人生が変わる決断でした。受講して本当によかったと思っています。具体的には、自己肯定感が上がり、「自分は何も知らなかった」ということを理解できました。
大学時代、そして働き始めて数年間の1番の目標は「健常者になること」でした。ロービジョンの視覚障害者は、全く見えないわけではないので、健常者と同じような方法でやろうとしてしまいます。だけれど、パソコンの入力には時間がかかるし、 長時間画面を見ているとしんどいのです。20代のころは、何かを学びたくても、見えにくさが原因でうまくいきませんでした。自分が抱えている問題の解決法が全くわからず、ロービジョンと健常者の間で自分のアイデンティティが揺らいでいました。
でも、グロービス経営大学院で学ぶことで、これからの目指したいキャリアが明確になり、自分なりの方法で成功体験を積んでいくことで、一気に可能性が開けてきました。
多分、勉強はもとから好きだったんですよね。20代の時は文字が見えにくくて、読めない本ばかりが机に積み上がっていました。しかし、今では音声を活用した読書が身近な存在になり、学ぶことが楽しくなりました。
MBA取得後に転職を決意。仕事に対してミッションを持つことが大切
—MBAを取得して、働き方に変化はありましたか?
グロービス経営大学院に通うまでの僕は、自分の考えに自信を持てず、はっきり自分の意見を言うことが少なかったと思います。自己肯定感が低くて、「上司に対して意見するのはどうかな」と怖気づいてしまったり、周囲の目を気にしたりして、自分から行動できていなかったのです。
しかし、経営学を学んでから、組織やマネージャーの役割、会社の存続意義などを知ることができ、上司と自分の一対一の関係ではなく「自分自身がチームに貢献するためにはどうしたらいいか?」と考えられるようになりました。その結果、役職者に対して必要以上に気を遣わず、よりチームがよくなるような建設的な意見が言えるようになりましたね。気づけば、低かった自己肯定感も少しずつ上がっていきました。
いち社員として社会に貢献するためには、会社のミッションを達成しなければいけません。そのためには、業務上で気になることは人の目を気にせずはっきり言うべきなんですよね。
—上司との関わり方にも影響があったのですね。現在はどのようなお仕事をされていますか?
現在は、外資系のIT企業に転職して働いています。
MBAを取得してから2年が経った頃、以前から気になっていた外資系IT企業の「アクセシビリティ」に関する講演会に参加したのです。そこで、障害者向けの求人があることを知り、応募しました。
MBAを取得するまで、「自分なんて転職は無理だろう」と思っていました。でも、「なんとかなるだろう」という自信に切り替わったんですよね。
現在の業務は、自社が提供しているアプリ全般におけるアクセシビリティ機能の改善です。
例えば、ロービジョンの視覚障害者の場合、コントラスト比や文字サイズのわずかな差で見えやすさが大きく異なります。僕がアプリを実際に使ってみて、見づらい、使いづらいと思った箇所をまとめてレポートを提出し、エンジニアのチームが改善を検討していきます。
—現在、視覚障害者の職業は、選択肢がまだ少ないように感じます。視覚障害者のキャリアについて、西川さんはどのようにお考えですか?
どの選択肢にも良し悪しはなくて、大切なのは仕事に対して「ミッションを持っているか」「社会に価値を提供できているか」「自分がやりがいを感じているか」だと思います。
視覚障害者が働く上での課題は、自信をなくす機会が非常に多いことだと思います。これは、従業員のダイバーシティ(多様性)をなかなか受け入れにくいという日本の企業文化が関係していると思っています。
外資系企業に入社して強く感じたのは、国籍・言語・価値観・宗教・障害の有無などが異なる多様な人材がいて「みんな違う」が当たり前の環境と比較すると、日本企業はまだまだ日本人が多数を占めていて同質化されているということです。日本企業は障害者や外国人を受け入れた経験が少ないため、どう対応していいかわからなくなり、人事や現場のマネージャー、そして当事者本人も困ってしまうのだと思います。
日本企業がより多様な人材に対して寛容になりダイバーシティを推進するには、様々な人材と関わる機会をもっと増やし「経験値」を積むことが大事だと学びました。
一方、視覚障害者が自分自身で働きやすい環境を切り開くというのも重要な視点です。視覚障害者から周囲に配慮してほしいことを明確に伝えることで、活躍できる場を広げられるかもしれません。その際は、伝え方にも工夫が必要です。
例えば、「暗いところは見えません」と言うだけでは周りの人は忘れてしまいますし、何をしたらいいのかわかりません。「暗いところでは見えないので、声を掛けてください。移動する際は肩を貸してください」と伝えれば、同僚は「肩を貸せば、この人は移動できるんだな」と理解してもらえます。
チャレンジしたい人には「スモールスタート」がおすすめ
—西川さんの今後の目標を教えてください。
僕のミッションは、「視覚障害者が生き生きと暮らす社会をつくること」です。現職では、アクセシビリティの改善など、デジタルの側面からミッションの実現を目指しています。
さらに、全国には、パソコンの白黒反転や拡大機能などの機能を知らないまま、見えにくい目を駆使して、しんどい思いをしている視覚障害者がたくさんいます。僕が同様の悩みを抱えていた時、知恵を貸してくれたのが日本網膜色素変性症協会(JRPS)の先輩でした。今度は僕が誰かの力になれるよう、今後も仕事と並行して、JRPSでの活動にも取り組んでいきたいと考えています。
—これから「新しいことを学びたい」「成長したい」と思っている人に向けてメッセージをお願いします。
大切なのは、スモールスタートをすることです。僕がMBAに挑戦できたのは、グロービス経営大学院の「単科生制度」があったからです。MBAは「晴眼者でも必死に2年間勉強しなければいけない」というイメージだったので、単科生制度がなければMBAの世界に飛び込めていませんでした。
僕は「Never too late(いつからでも遅くはない)」という言葉が大好きです。自信がないと心にブレーキをかけがちですが、50歳でも60歳でも、年齢に関係なく、始めたいと感じた時が最適な時期だと思います。自分自身、これからも学び続ける姿勢を忘れず、この記事を読んで新しいことに挑戦する人が1人でも増えれば嬉しいです。
(記事内写真撮影:Spotlite)※注釈のあるものを除く
【参考】日本網膜色素変性症協会(JRPS)ミドル部会のご紹介
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