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編集部から

「私の取り扱い説明書」2026年は自分の弱点も活かせる1年に【代表コラム】

高橋さんと二人の同僚が、オフィス内のソファに座ってそれぞれノートパソコンを見ながら談笑している。

今年は、会社ビジョンの更新や採用、新しい団体設立の話など、会社の取り組みをいろいろ書いてきました。12月ですので、1年の締めくくりとして少し雰囲気を変え、私の取り扱い説明書を書いてみようと思います。

取り扱い説明書は、通常「強み」を中心に書くものです。

しかし私は、強みよりも先に弱点を出しておいた方が、読み手にとっても、周りにとっても、そして何より自分にとっても健全な気がしています。

ということで、弱点中心の私の取扱説明書(2025年版)です。

今年発表した会社ビジョンや、採用については、以下のリンクからお読みいただけます。

1. 電車を乗り間違えます。乗り過ごします。

今年に入って、自分でもびっくりするほど、電車の乗り間違えや乗り過ごしが増えました。

体感で言うと、2回に1回くらいです。さすがに盛ってるのでは?と思う方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。むしろ「今日は大丈夫かな」と毎回ドキドキしています。よく使う駅ですら、当たり前のように乗り過ごします。

ひとつ前の駅で「次だ」と思っているのに、気づいたら発車している。あの瞬間、何が起きているのでしょうか。自分でも謎です。原因は、注意が散漫になることと、アナウンスが耳に入らないことかなと考察しています。何か別のことを考えているわけでもないのに、音が音として聞こえていない感じがします。

対策として、音楽やポッドキャストを聞くイヤホンを片耳だけにしてみています。「周りの音に集中できるかな?」と思ったのですが、今のところ効果はありません。

最近も、命に別状はないのですが家族が入院していて、少し急いで移動していた時に、予定通り、乗り過ごしました。結果、1駅余分に進んで、そこから20分くらい歩いて移動するはめになりました。急いでいる時ほど、重要なときこそ、こういうことが起きるから不思議です。いえ、不思議ではなく、ただの弱点です。

2. 片づけの衝動が強すぎて、必要なものまで捨てます。

緑色の四角い蓋つきゴミ箱のフタが開いていて、丸めた紙ごみがあふれそうなくらい詰まっている。
(写真素材:Unsplash)

僕は断捨離が好きです。大学生のときは、部屋にものが溢れかえり、足の踏み場もないような生活をしていました。しかし、社会人生活を始めたころ、近藤麻理恵さんのこんまりメソッド、「ときめくものだけを残す」という考え方に感動してから、急に部屋がきれいになり始めました。

物が減って、部屋が整っていくと、妙に気分が良いものです。ただし、ここには重大な副作用があります。それは、部屋が散らかるとイライラしがちになり、勢いで必要なものまで捨てることです。

それでタオルを断捨離したことがあるのですが、最終的にタオルが2枚だけになりました。風呂上がりに身体が拭けなくなりました。よく考えると、タオルの大半はときめきません。あの時、人生で初めて「生活に必要なものは、最低限の量がある」という当たり前のことに気づきました。

しかし、なかなか捨てたい衝動はコントロールできず、時々最適化を超えて、生活を不便にしてしまいます。必要書類もどんどん捨ててしまうのです。「これは要らないだろう」と思う時の判断が、やたら速い、速すぎる。速すぎるというより、反射的に捨てているときすらあります。

この、捨てることへの衝動は、詰め替えという概念が苦手なことにもつながっています。トイレの芳香剤、ハンドソープ、ウェットティッシュ……詰め替え用があるのに、なぜか私の脳内には「詰め替える」という選択肢が存在しない。そして、空になった容器や箱が目に入ると、衝動的に捨ててしまいます。結果、会社の仲間や家族に迷惑をかけるのです。

目の前の「気持ち悪さ(散らかりや空の容器)」をゼロにしたいという欲求が強すぎて、未来の自分の不便さを想像する前に処理が終わっている。片づけ好きの副作用としては、かなり厄介です。

ここまで読むと、「それってADHD(注意欠陥多動症)っぽいですね」と思う人もいるかもしれません。実際、私自身もそう思っています。診断を受けているわけではないのですが、個人的には、ADHDとよく似た気質が強く出ていると感じています。

大学生のとき、教育学部の特別支援教育教員養成コースで発達障害について学んでいたのですが、その時に「間違いなくこれは自分のことだ」と思いました。そして教授に「卒論で自分のことを研究できますか?」と聞いたら、却下されました。

以前はこういう気質を「なおしたい」と思っていました。今は、なおすことは諦め、いい方向に活かせたらいいなと思っています。

3. 言葉の葛藤。「育ってきた言葉を捨ててしまったのだろうか」

ざるに盛られた冷やしうどんの写真。
(写真素材:Unsplash)

弱点とは少し違う話ですが、最近の葛藤をもうひとつお話させてください。

私は香川県で18歳まで育ち、22歳から関東に出てきました。こちらでの生活が長くなり、気付けば標準語になっていました。たまに香川に帰ると、家族や友達の話す言葉が「こんなになまっていたのか」と感じると同時に、すごく懐かしくて、羨ましくなりました。

そして、自分が話す言葉は標準語と讃岐弁が混ざり、自分でももちろん違和感があり、周りからは「変やで」と言われるのです。

香川の言葉は、関西弁に近い独特のニュアンスがあります。「おはよう」「ありがとう」のイントネーションすら異なります。

「なんしょん?」「ほんまに」「〜〜やけん」

最近、讃岐弁がすごく好きだったことを再認識しています。言葉は、単なる言語じゃなくて、体に染み付いた自分の居場所みたいなものなのかもしれません。

家の中でタメ語で話すと讃岐弁に戻ることも多いのですが、来年はもっと普段から讃岐弁を取り戻したいと思っています。

また弱みとは少し離れてしまいますが、最後に香川関連でもうひとつ。

疲れた時、ふとお腹が空いたなと思った時、真っ先に思い浮かぶのはうどんです。

関東にいると「はなまるうどんとか丸亀製麺ってどうなの?」と聞かれることがあるのですが、私の答えは「普通にうまい」です。

もちろん、地元の美味しい手打ちのさぬきうどん屋さんと同じとは言いません。しかし、セルフ方式のさぬきうどんとして、普通に満足しています。その証拠に、はなまるうどんも丸亀製麺も、香川県内にもしっかり店舗があります。

ここ1年で、私は香川を忘れかけていました。それが、私の弱みなのかもしれないと感じてきました。

来年は、弱点も活かせる1年に

こうして書いてみると、私の弱点はわりと分かりやすいです。

  • 注意が飛びやすい(乗り過ごす)
  • 最適化が極端になる(捨てすぎる)
  • 自分のルーツが揺れる(言葉の葛藤)

来年は、この気質を活かす1年にしていきたいものです。捨てるばかりではなくて、残すものを残し、取り戻したいものをちゃんと取り戻す1年になればいいですね。

具体的には、讃岐弁で話し、うどんをたくさん食べたいと思います。

今年1年、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

高橋さんが、オフィス内の打合せスペースで、こちらを見て座っている。デスクには開かれたノートパソコンがある。

記事内写真撮影:Spotllite(※注釈のあるものを除く)
編集協力:株式会社ペリュトン

この記事を書いたライター

高橋昌希

1991年香川県生まれ。広島大学教育学部卒業後、国立障害者リハビリテーションセンター学院修了。視覚障害者のための福祉施設での勤務を経て、ガイドヘルパーの仕事を行う。教員免許(小学校・特別支援学校)を保有。歩行訓練士。Spotlite発起人。

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1991年香川県生まれ。広島大学教育学部卒業後、国立障害者リハビリテーションセンター学院修了。視覚障害者のための福祉施設での勤務を経て、ガイドヘルパーの仕事を行う。教員免許(小学校・特別支援学校)を保有。歩行訓練士。Spotlite発起人。

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