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ストーリー

「たった0.05の視力低下。でも……」当事者として、支援者として、見えなくなることへの恐怖を体験して見えてきたこと

マンションのポストをスマートフォンで拡大して開錠する吉野さん

「私は何もわかっていなかったのだと実感しました」

そう語るのは、45年間にわたって視覚リハビリテーション(ロービジョンケア)の普及活動に携わってきた吉野由美子さんです。きっかけは、視力が0.05低下したことでした。

「たった0.05」の視力低下。多くの人にとって、それは小さな変化かもしれません。しかし、もとの視力が0.15だった吉野さんにとって0.05の変化は大きく、生活が激変しました。

ロービジョンの人たちは、病気の進行などによって失明する恐怖に直面することが何度もあります。だからこそ、ロービジョンケアは、その人の見え方が悪くなるたびに何度も支援が必要で、とても難しいのです。吉野さんは、「ロービジョンケアに専門家として45年間携わってきて、理解していたつもりだったのですが、自分の見え方が変わったときに、何もわかっていなかったと実感しました」と言います。

吉野さんは、支援者として「自分が伝えてきたことは合っていたのか」、当事者として「この先どうなるんだろう」と困惑します。

そんな体験を経て感じたことやこれからの暮らしの工夫について、今しか聞けないお話を聞きました。

吉野由美子さん 略歴

1947年生まれ。 東京教育大学附属盲学校(現:筑波大学附属視覚特別支援学校)の小学部から高等部を経て、日本福祉大学社会福祉学部を卒業。 名古屋ライトハウスあけの星声の図書館(現:名古屋盲人情報文化センター)で中途視覚障害者の相談支援業務を行ったのち、東京都の職員として11年間勤務。その後、日本女子大学大学院を修了し、東京都立大学と高知女子大学で教鞭をとる。2009年4月から視覚障害リハビリテーション協会の会長に就任する。2019年3月に会長を退任し、現在は視覚障害リハビリテーション協会の広報委員と高齢視覚リハ分科会代表を務める。

車いすに座っている、笑顔の吉野さんの写真。
吉野由美子さん(撮影:Spotlite)

視力0.15のロービジョン。見え方に変化が生じる

私は先天性の白内障で、小眼球です。良く見える方の左眼の視力が0.15、角膜混濁がひどい右眼の視力が0.02のロービジョンでした。視野障害は自覚していませんでした。幸いなことに、良い方の左眼の見え方は、ここ30年以上変わらず安定していました。

2021年2月頃から、急に見え方が変わってきました。テーブルの上に置いた箸、細長い蛍光灯、表の罫線といった横線があると、ぐにゃっと歪んで見えるのです。最初は原因がわからなかったのですが、さまざまな検査を経て、2021年10月に「病的近視における脈絡膜新生血管の増殖」と診断されました。

幸いなことに、新生血管の活動を抑える特効薬が開発されていて、この薬を眼に直接注射することによって治療が可能になっています。眼に注射を打つので最初はとても怖かったのですが、注射を打っているとき、視界がシャボン玉や虹のようにも見えて、ドクターに「綺麗ですね」と言ったら驚かれました(笑)。定期的な注射を繰り返したところ、4回目の注射の後、16週間経っても、新生血管の増殖が抑えられていたので、「もしかしたら増殖が収まったかもしれない」ということで、しばらく様子を見ていました。

ところが、2022年9月半ばからまた見え方がおかしくなってきました。今度は歪むのではなく、左眼の視野の一部にモヤモヤしている部分があって、文字を読むと抜けるところが出てくるようになりました。1ヶ月に1度受けていた定期検査で、新生血管の活動が活発になっていることをドクターに告げられました。

そして、また注射を打ったあと、感染症や新生血管の検査の前に行う視力検査で、視力が0.1しか出なかったのです。新生血管は見事に引いていて、注射による治療は成功したのですが、視力が0.15に戻らず、左眼のモヤモヤも消えなくて、生活がしづらくなってしまいました。

元々の視力が0.15、それが0.1への変化はとてつもなく大きかった

突然、視力が0.15から0.1になってしまいました。実は、ロービジョンの方達を支援する専門家の間では、日常生活を何とかこなせる視力は、0.2から0.1がギリギリと言われているので、私にとっての0.05の視力低下は、とても大きく、生活に困難が増えました。

最初に困ったのは、郵便ポストのダイヤル鍵が合わせられなくなったことです。仕方がないので立ち上がって、拡大率の高いめがねをかけて合わせるようにしました。

玄関などの暗い所に並んでいる靴を見ると、黒か茶色か区別がつかなくなり、テレビの時代劇などの古い映像を見ると、全体にもやがかかってしまって、背景や俳優の顔がぼやけてしまうようになりました。毎朝、洗面台の鏡をのぞき込むと、鏡に映る自分の顔にもやがかかったようで、はっきりと見えなくなりました。

それまで当たり前に見えていたものが、はっきりと見えなくなります。私はとてつもない不安にさいなまれるようになり、気がつくと「見えなくなったらどうしよう」と考えている自分がいました。鬱になりそうだったほどです。

私は、視力0.15のロービジョンでした。もちろん生活に支障が出る部分もありましたが、30年以上にわたり、0.15の視力に合わせて生活を組み立てていたので、それなりに暮らしていけたのです。

自分の視力に合わせて生活を組み立てるということについて、どういうことかを説明します。

私たちがものを見るとき、目だけでなく知識や技術の全体で見ていると思います。例えば、私はダイビングをしていました。まず潜る前に、「この海に住んでいるスミレナガハナダイという非常に珍しい魚を見に行きます」と説明を受けます。タブレットで、スミレナガハナダイが動いている動画も見せてもらいます。だから潜ったときには、はっきりと見えなかったとしても「あれがスミレナガハナダイらしい」と目星をつけることができます。

さらに、最新のビデオカメラで撮影しながら、20倍ほどに拡大して見ることもできます。写真も自分なりにわかるように撮れるようになっていきました。このように、知識や技術を総動員させて「見ている」わけです。

日常生活でも、パソコンの設定を自分に合わせて見やすくしていたり、自宅の物の配置を自分の見やすいように決めていたりします。また、私は同じ場所に10年以上住んでいるので、今の自分の視力で、家や街などの環境に適応していっていたのです。電動車椅子に乗って街に出て、なれている環境の中で、人の助けも借りることで、困ることはほとんどなくなっていたのです。

でも、視力を失えば電動車椅子さえ使えなくなってしまいます。突然視力が低下し、見えにくさが進むことで「生活が維持できなくなるのでは」という大きな不安に襲われました。

両側に壁がある細くて暗い道の写真。
(写真素材:Unsplash)

治療の限界を見極めるのがいいこと?支援者としての葛藤

私は支援者としては、治療の限界を見極めることを推奨してきました。

視覚障害者のなかには、とにかく目の保全や治療を最優先にしている方もいます。

「紫外線が目に良くないから」という理由で、カーテンを締め切って明かりを消し、暗い部屋で過ごしている若い方に出会ったことがあります。でも、聞いてみると視力が0.6以上あって、視野障害はまだ出ていない。まだ普通に日常生活を送れる段階なのに、暗い部屋に閉じこもっているのです。

もちろん人によっては非常に早く進行して、あっという間に見えなくなってしまう方もいます。一方で、亡くなるまで相当な視力や視野が残る方もいらっしゃる。人によって、全然わからないのです。

だから私は強く言いました。「​​まだまだ青春を謳歌できるのに、この暗い部屋で何をやってるの」と。

治療だけを最優先に考えるのではなく、治療の限界を見極めて良い意味であきらめ、リハビリをして日常生活に出ていくことが大切だと、つい最近まで思っていたのです。でも、いざ自分の視力が突然0.1に下がったら、ふと気がつくと目のことしか考えていない。「もう0.15にはならないんだろうか」とひたすら嘆いている自分がいることに気がつきました。

病気を治すために生きるのではなくて、自分の病気をよく理解して、今を大切に生きること」と出会った方達に支援者としてお話ししてきました。今でも、あの時の言葉は間違っていないと確信していますが、病気が進行して見えなくなっていく恐怖を体験した今、恐怖を感じている方たちに対しての接し方、相談の乗り方などについて、もっと深いところで考え、行動できるようになりたいと思っています。どういう方向を取れば良いのかはじっくり考えて行かなければならないし、答えが出るのか、今はわからないのですが。

日が当たっている壁に手のシルエットが映っている写真。
(写真素材:Unsplash)

今でも嘆きのなかにいる

ロービジョンで日常生活に影響がある方がたくさんいらっしゃることは、最近よく知られてきています。

私は、対処のしかたや頼れる人が多かったので、冷静になって思い出せばよかったのです。特に、周りの方から「こういう方法もあるよ」「こういう捉え方もあるね」といろいろな気づきやサポートを得られたのはありがたかったです。

それでも、怖いのです。今はそれなりの対処法を見つけられてなんとか暮らしていますが、私は脚の障害もあるので白杖訓練は受けられません。また、犬がどうしても苦手なので盲導犬や電動車椅子と一緒に動くウィルチェアドッグとは暮らせません。先のことを考えると、今でも倒れそうな気持ちになります。

私は、まだまだ嘆きのなかにいます。

ただ、私を助けてくれる人やモノにも気づきました。「たった0.05の視力低下なのに」と嘆く私に「あなたは視力の多くを損失したのだから大変だ」と言い、捉えなおすきっかけをくれたのは、ロービジョンに詳しい医師や研究者の方達でした

白い画面に黒い文字のパソコン画面の写真。
視力低下前のパソコン画面。(提供:吉野さん)
マウスポインタ―が大きくなって、黒い画面のパソコン画面の写真。
視力低下後のパソコン画面。マウスポインタ―が大きくなりました。(提供:吉野さん)

ITツールに詳しい方にパソコン画面が見えづらくなったことを相談すると、私のパソコンを遠隔操作して、一緒に白黒反転や文字の拡大、マウスポインターの拡大などの設定をしてくれました。

また、私がよく行くコンビニの店員さんは、私のことを知ってくれていました。棚の高いところにあるものが見えないし取れないので、もともとよく助けてもらっていたのです。買ったものを、車椅子の後ろに縛って結びつけてもらったりしていました。視力が下がってから、店頭の情報端末の文字が見えづらくなったので、「端末の操作を助けてくれませんか」と言うと、快く助けてくれました。

ポストのダイヤル鍵を合わせるのは、iPhoneのカメラを使って、ダイヤル鍵の数字を拡大し画面を覗きながら、数字を合わせることができて解決しました。

吉野さんが撮影した月食の写真。
iPhoneを通して見た皆既月食(提供:吉野さん)

つい最近では「皆既月食を見られるのは最後かもしれない」と思って、iPhoneで追いかけてみました。綺麗な写真ではないけれど、自分で見つけることはできたのです。動画の「スロー」モードを使えば、月食の変化を見て楽しむこともできました。こういった最新の技術を使えばまだまだ「見ることを楽しめる」ことがわかったのは、新たな発見でした。

さらに、点字を再び使い始めました。私は学生時代に点字教育を受けていました。ずっと使わずに生活していましたが、覚えているものですね。点字は視力が下がっても使うことができます。

マンションのポストを、スマートフォンで拡大している吉野さんの写真。
(撮影:Spotlite)

情報と仲間にめぐり会える機会を

今回、「私は『見えにくくなり、いずれ見えなくなるかもしれない』という底知れない恐怖について、何もわかっていなかったのだ」と痛感しました。

そういう私を救ってくれたのは、私が盲学校で学んで得た視覚障害者として暮らす暮らし方の知識・視覚リハ(ロービジョンケア)の普及活動で蓄積してきた知識、そして私のそれらの活動の中で得てきた、沢山の方たちとの出会い、仲間の存在でした。

ロービジョンケアにつないでくださるドクターがいることや、見えにくくなって行くことの不安を理解してくれる当事者仲間がいることの大切さ……。今まで分かっていたはずのことなのに、今回の体験で、情報と仲間の大切さに気付かされました。

社会一般の方たちには、見えない、見えにくい状態になったらどうしたら良いのか、どんな生活が送れるかなどの知識は、ほとんど知られていません。「見えない、見えにくくなったら何も出来ない」というのが一般の方たちの常識です。だからこそ、どうしようもなく不安になり、どうして良いかわからないのです。世の中に、視覚リハ(ロービジョンケア)の情報は、ほとんど知られていないのです。

病気や怪我で見えない、見えにくい状態になった方は、必ず眼科に行くはずです。眼科医療の一環として視覚リハ(ロービジョンケア)を取り入れていただきたいのです。また、病院での治療やロービジョンケアと同時に、福祉や教育機関、就労支援などの、当事者が利用できる制度の情報も教えていただき、適切なケアが出来る機関に結びつけてほしいです。

ロービジョンのある当事者の方達は、今は見え方に異常を感じなくても、眼の状態が変化したり、合併症を発症したりすることもあります。眼科医療から離れずに、年に1度か2度は、主治医に診てもらうようにしましょう。微妙な変化が重要なサインになっていることがあります。

私の場合、眼科では「いま出来るベストの経過をたどっている」と主治医から言われましたし、私もそのことは納得していました。でも、実際に毎日の生活で、出来なくなったことに出会うたびに、私の不安は増していきました。

治療としてはやるべきことをやっている中で、「ロービジョンケアを行うことがどうして必要なのか」について眼科医に理解していただくことの難しさも感じました。私は、主治医の先生に「パソコンの画面をこう変えて見やすくなりました」「マウスポインターをこれだけ大きくしないと使えなくなりました」と、iPhoneで撮影した写真を見せて説明しました。その上で、ロービジョン外来を紹介していただきたいとお願いしたところ、先生も理解してくださいました。

骨折したり麻痺を起こしたりして、外科や整形外科に入院した方は、手術などの治療を終えたら、理学療法士や作業療法士が、医学的なリハビリテーションを行って、少しでも日常生活を過ごしやすくしてから自宅に戻ったり、他の施設に移ったりします。いわゆる医師と理学療法士などのリハの専門スタッフがチームを組んで治療からリハビリまで行います。

でも、なぜか眼科に関しては、医師が治療を行った後の視覚リハ(ロービジョンケア)の部分が欠けてしまっているように見えます。医師が一人で治療からその後のリハまで担当するのは、とても無理です。眼科においても、治療の後の医学的なリハビリ(ロービジョンケア)を担う専門家がいるべきだと私は思っています。日常生活の困りごとのケアまで全て医師に頼るのは無理ですから、視能訓練士や歩行訓練士等の専門家とタッグを組めるシステム作りが必要なのだと、今回の経験を通じて、私は痛感しているのです。

日の当たる場所で、アイススケートをする二人組の写真。一人が後ろからもう一人を支えている。
(写真素材:Unsplash)

(アイキャッチ写真撮影:Spotlite)

吉野さんのブログ

ブログ 吉野由美子の考えていること、していること(外部リンク)
病的近視から来る新生血管の増殖についての診断を受けてからの経過記事

「病的近視における脈絡膜新生血管増殖が収まった-眼科医療から離れないことの大切さを実感!!」(外部リンク)

「病的近視における脈絡膜新生血管の活動が再開してしまった-経過報告と今の私の思い」(外部リンク)

この記事を書いたライター

遠藤光太

1989年生まれ。ライター、編集者。26歳で自身が発達障害の当事者だと知ったことをきっかけに、障害全般、マイノリティ全般に関心を抱く。執筆分野は、社会的マイノリティ、福祉、表現、コミュニティ、スポーツなど。著書:『僕は死なない子育てをする』(創元社)。

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