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ストーリー

「見えなくてもボウリングはできる」全盲の男性が視覚障害者ボウリングで日本代表になるまで

レーンを背に、左手を腰のあたりに当てて満面の笑みで話す井上直也さん。

パラボウリングB1クラス日本代表の井上直也さんは、32歳で全盲になりました。目が見えなくなり「大好きだったボウリングはもうできないんだ」と落ち込んだといいます。

視覚障害者ボウリングの存在を知ったときは、「見えないのにボウリングができるわけない」と考えていた井上さん。初めて視覚障害者ボウリングを体験したとき、何を感じたのでしょうか。そしてどのようにして、日本代表の座を掴んだのでしょうか。視覚障害者ボウリングの魅力とともに、たっぷりと語ってもらいました。

井上直也さん プロフィール

20代後半で視力低下を感じて病院に行き、網膜剥離による右目の失明が分かる。その後、左目も網膜剥離を発症し32歳で全盲になる。パラボウリングB1クラス日本代表。現在はMDSiサポートとしてVoice Overを使ったiPhone・iPadの出張サービス、勉強会の講師や講演を行う。

2020年に井上さんを取材した記事は、以下のリンクからお読みいただけます。

「視覚障害者がボウリングなんてできるわけない」

─ 視覚障害者ボウリングを始めたきっかけを教えてください。

井上さん  私がボウリングを始めたのは視覚障害者になる前、飲食店で働いていた頃でした。店主がボウリング好きで、仕事終わりによくボウリング場に連れて行ってもらいました。やっているうちにハマっていき、マイボールをつくろうと決めたタイミングで、視覚障害になったのです。

全盲になって2年が経ったころ、少し気持ちも落ち着いてきたのでパラスポーツをやってみたいと思い始めました。とりあえず複数のパラスポーツを経験して、自分に合ったものを続けていこうと考えていたとき、X(旧Twitter)で視覚障害者ボウリングの情報が流れてきました。

正直、「視覚障害者ボウリングなんて、ペットボトルを並べてゴムボールを投げる簡易的なものだろう」と馬鹿にしていました。見えないのにボウリングなんかできるわけがないと、どうしても受け入れられなかったのです。というのも、見えなくなったばかりのころ後輩がボウリングに連れて行ってくれたのですが、僕はボールを投げることすらできなかった。「隣のレーンにボールが入ってしまうかも」「滑って転んだらどうしよう」などと考えて怖くなってしまったのです。「自分はもう二度とボウリングができないんだ」とショックを受けました。

でも、視覚障害者ボウリングを見たこともやったこともないのに、無理と決めつけるのは良くないなと、視覚障害者ボウリングをやっている方に話を聞きに行ったのがきっかけでした。

─ 話を聞いてみていかがでしたか?

井上さん 僕が「晴眼者のボウリングは、自分の立ち位置や投げ出す位置から、ボールが曲がるポイントを逆算しています。見えないと、それができないですよね」と聞いたら、「いえ、僕も井上さんと同じように逆算して投げています」と言うのです。

僕はそれが信じられなかった。だからボウリングができる知り合いを連れて行って、視覚障害者ボウリングを実際に見てもらったんです。そしたらその知り合いは、「とんでもない世界があるんだね」と言いました。

そのときやっと、見えなくても晴眼者と同じようにボウリングができるんだと信じることができたのです。その日から視覚障害者ボウリングを始めました。

─ 初めて視覚障害者ボウリングやったとき、どんなことを感じましたか?

井上さん ガイドレールを使うと自分の立ち位置や投げる位置がわかるので、感覚ではなくちゃんとした根拠をもってボウリングができるのだとわかりました。「晴眼者と同じようにボウリングをしている」と話してくれた視覚障害者の方は嘘をついていなかったのだと、身をもってわかった瞬間でした。

何度か投げてみてボールがピンに当たったときは、すごく嬉しかったですね。

白地に鮮やかな模様のユニフォーム姿で、レーンに向かってボールを投げる井上さんの後ろ姿。井上さんの左側には、ガイドレールがある。

スタートから1年で日本代表へ

─ 視覚障害者ボウリングを始めて5年が経ちます。日本代表になるまでのことを教えてください。

井上さん  視覚障害者ボウリングを本格的に始めて、1年も経たないうちに全日本視覚障害者ボウリング選手権大会に出場するようになりました。そこで「日本代表を目指しますか?」と聞かれ、僕は「目指します」と答えて日本代表に選んでもらったのです。しかしその直後、コロナ禍で活動できなくなりました。

マスクをしながら週1回の練習を続け、2021年12月にタイで初めての世界大会に出場しました。自信満々で乗り込みましたが、日本代表としてのプレッシャーを感じて何もできないまま終わりました。初めてメダルを獲れたのは2023年です。

レーンを背に、つないだ手を掲げ、表彰台に立つ3人の写真。一番右が井上さん。
全日本視覚障害者ボウリング選手権大会の個人戦で、銅メダルを獲得した井上さん。(写真右)

─ 海外と日本、ボウリングをやる環境に違いはありましたか?

井上さん 日本では、ボウリングは精神的な要素がプレーに影響するメンタルスポーツとされています。そのため観客は静かに見守るのが暗黙の了解なのですが、海外ではとにかく歓声が大きい。鳴り物を持ってくる人もいます。

僕たち日本人はそれに慣れていないので、集中できずにイライラして終わってしまうこともありました。

競技としてボウリングと厳しく向き合っている国もあれば、ワイワイ楽しんでプレーする国もあって、さまざまだと思いました。

今日の試合は「足を引っ張ってしまった」

レーンに背を向け、右手をガイドレールに添えて歩いてくる井上さん。アイマスクをしているが、口元から悔しそうな様子がうかがえる表情。
ピンが1本残り、悔しそうな表情の井上さん。

─ 本日のインクルーシブチーム戦は、晴眼者1名を含む4名チームでした。いかがでしたか。

井上さん 弱視の選手は普段から晴眼者とボウリングをすることも少なくないのですが、全盲の僕たちはその機会がありません。だからこうして晴眼者と一緒に投げられるのは嬉しいし、晴眼者と視覚障害者がこれだけフラットに楽しめるスポーツは他にないと思います。

弱視の選手が晴眼者に勝る成績を残すことは珍しくありませんが、全盲だと晴眼者と渡り合うのは難しいのが現実です。「晴眼者に負けないくらいの技術を身につけたい!」と悔しく思えるのも、こうして一緒に競えるからこそだと考えています。

今回の試合では、僕は足を引っ張ってしまいました。角度が数度違うだけで結果がまったく変わってしまうのですが、試合中に感覚が掴めなくなってしまって……。何もできないまま終わってしまいました。

─ 今日は調子が悪かったのでしょうか?

井上さん 言い訳のようですが、今日は他の選手も「オイルが難しい」と言っていました。レーンに塗られているオイルが多いほど、ボールが曲がりにくくなるのです。

一般の方がレジャーで利用するボウリング場では、オイルは少なく塗られていることがほとんどなので、ボールが思い通りに曲がりやすい。マイボールを持っているボウリング好きの晴眼者だったとしても、オイルが多く塗られたレーンはほとんど経験がないと思います。

今日のようなオイルが多く塗られたレーンでは、投球の感覚を掴むのに時間がかかります。

同じコースをずっと投げていると、オイルが多くてボールが曲がらなかったところも、ボールが通過するたびにオイルが徐々に少なくなっていきます。すると、ボールの変化が自分のイメージより大きくなってしまう。投げるコース、オイルに強い弱い、曲がりが大きい小さい……など、そのときに合ったボールを選ぶのが難しいところです。ただ、それこそがボウリングの奥深いところにあるやりがいでもあります。

晴眼者の方でもオイルの変化には苦戦します。オイルの変化は目が見えていても「見えにくい」ものなのです。

大会の様子は以下のリンクからお読みいただけます。

50歳からでも日本代表を目指せる

─ 視覚障害者ボウリングの魅力はどんなところにありますか?

井上さん 視覚障害者ボウリングは選手寿命が長いのです。76歳まで日本代表として活躍される方もいますし、50歳から始めたとしても日本代表を目指せます。

晴眼者と同じルール、同じ環境で競技ができるのも大きな魅力だと思います。他の競技ではなかなかできないことです。

また他のスポーツと比べると怪我のリスクが低く、天候の影響も受けません。

腕組みをして話している、サングラス姿の井上さん。

─ ありがとうございます。今後、視覚障害者ボウリングをどのように発展させていきたいですか?

井上さん ボウリングは競技としてだけでなく、レジャーや体力づくりとしても楽しめます。もっと多くの視覚障害者にボウリングの楽しさを知ってもらい、選択肢の一つとして認知してもらえるといいですね。

そのためには、ボウリング場の環境整備が必要です。ガイドレールがあるボウリング場は限られているので、視覚障害者が気軽にボウリングを楽しめる環境を整えていくことが重要だと考えています。ガイドレールの代わりに長机を使用させてくれるボウリング場があったり、物干し竿で自作しているのをインスタで見かけたりします。こうしたちょっとした工夫で、ボウリングが楽しめるということを広く知ってもらえたら嬉しいです。

そしてゆくゆくは視覚障害者ボウリングの競技人口を増やし、全日本選手権大会をもっと盛り上げていきたいです。

最後に

この日試合を観戦し、ストライクやスペアを叩きだす選手たちの活躍に歓声を送らずにはいられませんでした。世界トップレベルの選手のアベレージは、B1選手150、B2選手190、B3選手200にもなるそうです。

若者、高齢者、晴眼者、視覚障害者、さまざまな人たちが入り混じって本気で競い合う姿を見て、「ボウリングがやりたい!」と思ったのは筆者だけではないはず。「興味はあるけどなかなか始められない」という方は、まずは観戦から始めてみるのもいいかもしれません。

視覚障害者ボウリングについて:一般社団法人全日本視覚障害者ボウリング協会(外部リンク)

取材・執筆・撮影:白石果林

この記事を書いたライター

Spotlite編集部

Spotlite編集部は、編集長で歩行訓練士の高橋を中心に、視覚障害当事者、同行援護従業者、障害福祉やマイノリティの分野に精通しているライター・編集者などが協力して運営しています。

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